白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(298)「イブの総て」と「女剣劇朝霧一座」と「有頂天一座」

2018-02-24 08:29:05 | 観劇
 「イブの総て」と「女剣劇朝霧一座」と「有頂天一座」

 前年のアカデミー賞を主演女優賞以外総なめした「イブの総て」が日本で公開されたのは昭和26年のことである マーゴ役のベティ・ディヴィス、アン・バクスターのイブ主役二人をを除いて助演男優賞のジョージ・サンダース 作品賞や監督賞、脚本賞などを受賞した

おそらく北条秀司はこの映画を見ている 
大女優マーゴに弟子入りした田舎出の新人イブがいつしか人気も「力」も上回り 作家や批評家に取り入りマーゴさえも利用しスター女優へのし上がっていく・・・
これをそのままやると当時の新派がどんな風だったか知らないがどの劇団にも同じような話があるので余りにもリアルな幕内物過ぎる
だから女剣劇一座の話に書き換え「女剣劇朝霧一座」として市川翠扇、水谷八重子(初代)伊志井寛、大矢市次郎で上演したのが昭和34年
この年は演劇界が不況で次のような文章が見られる
 
この年の毎日新聞に「観客動員に四苦八苦」という記事が出る 「今年の上半期を見ると毎月の演劇興行は歌舞伎座はじめ各劇場が苦慮している ほとんどを団体客に依存している現状で この団体客に事欠くと惨憺たる結果に繋がっている かくて(当時新派の常打ち小屋であった)明治座は昨年通り休場し ほかの劇場は猛暑に挑んで企画に苦心した
(明治座評判記による)

昭和30年代の上州の田舎町 かっては全盛を誇った女剣劇もストリップに押され今や落ち目の三度笠 二代目朝霧恵美子(渡辺えり)一座も旅回りの憂き目に合っていた 恵美子はとある駅前の食堂でバッタリ昔の恋人で今映画スターになっている嵐玉之助(段田安則)に会ってパトロン兼恋人の朝倉(村田雄二)の目を盗んで付き人小夜子(キムラ緑子)だけを連れて二人で旅館にしけこむ そこで逃亡犯の捜査の警察に起こされるが危機一髪のところを小夜子の機転でマスコミと朝倉からスキャンダルを免れる 恵美子の身代わりになった小夜子は玉之助の愛人として評判が上がる 朝倉はこれを利用して小夜子を売り出そうとして舞台に引きずり出し成功する 一座は小夜子人気で評判を上げる 先代の法要の席で小夜子は朝倉に色気仕掛けで座長の座を譲るように迫る その人気を利用して女剣劇の復活を願う朝倉と小夜子の思惑が一致して密談が纏まる その後一人になった小夜子がつぶやいた恐ろしい一言とは・・・(ここで一幕が終わる)

この一座の殆どを新派の女優たち(おそらく新派1月公演「家族はつらいよ」不参加組と思われる)で固め、といっても昔は娘役でならした女優も今や結構いい年になってしまって 必然的に老優だらけの劇団になってしまっている 劇中劇の国定忠治や踊りや三味線は出来ても見るから年老いた人ばかりであるから「朝霧一座」の行方も知ったものじゃない これじゃあストリップに押されても太刀打ちが出来ない

 むかし北条天皇が新派の名作を持ってきて扇雀(現藤十郎)主演で梅コマの演出をやった時必ず使わなければならない新派の若い女優がいた 事情が判らない最初は制作にこれはどういう女優かと聞くといわゆる先生の「お気に入り」という答えだった 
この女優が今回も出ていてるが(そういえばこのシリーズの「有頂天旅館」にも持ち役と思われるいい役で出ていた)あれからかれこれ40年近く経つわけだから いくら若いころの話とはいえ現在の年齢が知れるというわけだ

新派の男優陣でいうと二枚目役者Tは三代目恵美子が取り入る劇作家役であるが 昔の色気もどこへ行ったやらこれまた残念ながら精細がない あとMやSも出ているがかっての精彩がない また昔からよく知っているこれまたTさんが出てるが 40年以上も前と同じような役をやっていてしかも当然年だけ取っていて見ていて涙が出て来た

さて助演陣は老齢の為精彩は欠くが主役格四人はよくやっていると思う

キムラ緑子は実年齢よりも半分以下の年齢の役をうまくやっていて違和感なんてない
可愛い二十歳そこそこの女優の卵に見える それがあるから二幕目の復讐編になってのぐんぐんのしていく変化がよく効く 
渡辺えりも 小夜子の計画を知らないとはいえ二代目座長を諦め三代目を小夜子に譲る懐の深さをチラッと見せ いわゆる座長らしさを見せた だから二幕目で小夜子の正体がバレた時の怒りが大きいのも判る
この二人の「女の闘い」は新派の常套手段とはいえ面白い

二枚目役者役の段田も色気プンプンでいい芝居だ 強いていえばもう少し二枚目でタッパがあれば・・
村田雄吉はタッパもあり押し出しもいいが 金持ちの興行師には見えないのが辛い

色々問題点も多いがこの四人が繰り広げる北条先生の芝居論讃歌、役者讃歌となっている
「日常生活に追われて喜怒哀楽を押し殺している人たちに笑ってもいいんだよ 泣いてもいいんだよと伝えるのが芝居なんだ その為に命がけで演劇をやってるんだ」・・・いいセリフだ

 辛口の復讐譚で姉の復讐を果たして劇団を潰した小夜子が去っていくところで終わればいいものを(元の脚本は劇団を崩壊した小夜子は役者の弟子とアメリカに旅立つらしい)無理やりハッピーエンドにしてしまって(ダブル座長のせいか)果たしてノー天気な演劇讃歌のカーテンコール(なんと二人は宝塚スタイルでタップを踊る)で終わってしまっていいのかしら つぶれるべき劇団はつぶれるのが正解だ



新派では初演のあと水谷八重子(二代目)波野久理子のコンビで再演したというが さてどんな出来だったのやら

(2月18日松竹座にて観劇)


白鷺だより(297)MRバイプレーヤー、大杉漣のこと

2018-02-23 08:20:27 | テレビ
MR ばいぷれいやー、大杉漣のこと

 46歳になった彼がその年の各最優秀助演男優賞を総なめ受賞した時 記者から
「これでやっと下積みから解放されますね?」
と聞かれ 言わずにいられなくなって
「僕自身今までやってきたことを下積みと思ったことは一度もありません 僕はその時にしたかったことをやってきただけです 
だから僕は一生下積みです!」

この気持ちは60になった今でも変わりません 何が上で 何が下という感覚が僕にはないんです 
脚本が面白いと思えば どんな現場にも駆け付けたい 
60歳を過ぎてもいい意味でのフットワークというか 彷徨える精神というものを常に心の中に持っていたい

この21日早朝亡くなった大杉漣が「女性自身」の記者に三年前 語った言葉だ

70年代 僕ら演劇青年と同じように蜷川、寺山、唐に夢中になり結局明治大学を中退して太田省吾率いる「転形劇場」に入った
劇団時代の彼の姿をNHKBS「ミッドナイトステージ館、80年代演劇大全集」の中継録画「水の駅」の中で見ることが出来る
(YouTubeあり)
1986年東京氷川台T2スタジオで公開された舞台の中継で太田省吾構成・演出の有名な無言劇である 
太田省吾の芝居は当時から評判で注目していたが僕は結局未見だった このたびじっくりと見た 
動きをゆっくりとさせ もちろんセリフは無し 
水にかかわる主演者の動きだけでストリーを想像させる
無駄なセリフを切って、斬っていった結果がこの無言劇だという なるほど海外で受けるわけだ
ガリガリで長髪の大杉(当時の演劇青年はみんなそうだった)はここで佐藤和代と一緒に水を被る男女の「男」を演じている
ちなみにこの劇団を旗揚げした先輩の品川徹は元気で今でもTVで活躍している
この転形劇場は1988年解散した

それまで1980年代は劇団活動だけでは食えず数多くのピンク映画 日活ロマンポルノ、Vシネなどに出演 
ブルーリボン賞とピンクリボン賞の両方を受賞したのは彼だけだ
 
ロマンポルノ時代の監督が一般映画に進出するタイミングと彼が所属する劇団が解散するタイミングが一致して 滝田洋二郎、高橋伴明、周防正行 井筒和幸、黒沢清 中村幻児などの監督作品に出演 
脇役として名前を売り出して来た 役の幅の広さが売り物になり「300の顔を持つ男」「カメレオン俳優」との異名を貰った 
満を持して北野たけじの「ソナチネ」のオーディションを受け見事合格 これが転機となり有名監督がこぞって大杉を指名するようになった 
1998年その脇役ぶりは北野との4作目「HANABI」で結実 
その年の日本アカデミー賞やブルーリボン賞などの最優秀助演男優賞を総なめにして一躍大杉漣の名前を上げる 
この時が冒頭の彼が46最の時だ みんなもまだまだ諦める歳ではない

今彼の出演作品の一覧表を見ているが「へえー この作品にも出ていたのか」と驚くばかりだ

その彼はじめ名うてのバイプレイヤー達(大杉、遠藤憲一、田口トモロア、松重豊、寺島進、光石研)が揃って自分役を演じて作り上げたテレ東の「バイプレーヤーズ~もしも6人の名脇役がシェァハウスで暮らしたら~」(まさか俺たちが主役のドラマができるなんて)は深夜の放送ながら人気を呼び 今年はなんと「相棒」が終わったらチャンネルをひねるとすぐ放送の9時54分開始となって放送 (寺島が抜けて5人)
「バイプレーヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~」
テレ東の思惑通り 僕と同じように「相棒」即「バイプレーヤーズ」の人が多くなって快調にスタートしたばかりであった 
昨日の放送が3話目

 その撮影後みんなで飲んでホテルに戻ったらライン仲間の松重に腹痛を訴え一緒に病院に行きすぐ手当が始まったが家族、スタッフ、共演者に見送られて息を引き取ったという
その夜放送された第三話の終了ごに追悼のテロップが流れた

撮影した分はかなりの編集が必要だと思うが遺族の要望もあり全五話にまとめるそうだ
今回は大杉は企画段階から参加しており役者たちのリーダー格の「大杉役」をコミカルに演じていた
「死ぬまで現役」の言葉とおり死ぬまで現役を通した 
その最後の作品は「まさかの主演」作 
そしてその死の瞬間までバイプレーヤーの共演者たち4人は見守ったのだ 

彼らのコメント

余りにも突然のことでメンバー一同 まだ現実を受け入れないでいます
「バイプレーヤーズ」という実名を曝した上でのドラマ、そのリーダーであり精神的にも支柱でもあった大杉さんが突然いなくなるという喪失感は計り知れません しかし最後の日まで役者として現場に立ち みんなを笑わせ続けていました 永遠に我々の目標であり憧れでもある漣さんを一同、心から誇りに思います お疲れさまでした どうか安らかにお休みください 漣さん ありがとうございました

22日「徹子の部屋」は予定を変更して過去の録画を流した
さらにおそらくバラエティー番組の最後の出演と思われる「ぐるナイ、ゴチになります」に登場
皆の願いも叶わず最下位となり皆の食事代16万ほど一人で支払った 嗚呼

 (2月23日 記)

白鷺だより(296)美空ひばりの「刑務所慰問」

2018-02-20 23:05:08 | 人物
美空ひばりの「刑務所慰問」
 
 昭和24年 美空ひばりは12歳で初主演した松竹映画「悲しき口笛」は大ヒットした
その主題歌もレコード売り上げ45万枚という大ヒット

加古川刑務所の囚人たちの間でたまたま歌の話題になり ひばりの名前が出た

「こんなムショの中ではひばりちゃんの歌も聞けんのう ワシあの歌聞いただけでたまらんようになってしまうんや」
「そりゃワシも同感や あの娘の歌には魂が入っとるで 聞いてて何かジーンときてな
一度でええからホンマモン聞いてみたいもんじゃのう 何とかここへ慰問にきてくれんかのう」
「お前 そんな夢みたいなこと・・」
そんな話を聞いていてつい山健は思わず声を挙げてしまった
「いや 夢とちゃうかも知れまへんで」
「ええ加減なこと言うな ここへひばりが来るなんて 夢のまた夢や,アホなこと言うな」
「よし、そないゆうならワシがここへ詠んで見せようやないか」
負けず嫌いの山健は思わず大口を叩いてしまった

山健こと山本健一は山口組の若い衆で鶴田浩二襲撃事件の一年後新開地を牛耳っていた谷崎組を壊滅させ武闘派として名を馳せていた 
当時はその事件で懲役三年の実刑を食らっていた

しばらくして 加古川刑務所に「天才少女美空ひばり」が慰問にやってきた
「まさか、ひばりちゃんが・・・・」
「ウソやろ・・・」
「あいつがいうた通りになった」
受刑者の誰もがが驚いた そして幕が舞台のひばりがおもむろにしゃべりだして皆はもっと驚く
「健ちゃん」
当の山健も応えるわけにもいかず黙っていると
「山本立て!」 担当の看守に促されて立つと ひばりが語り始めた
「健ちゃん お元気ですか?体に気を付けて 事故なくお勤めして元気に帰って来てください まっています」
と挨拶したものだから騒然となった
そして歌い始めた

「ひばりに会わせてくれておおきに」
この日以来山健「イケイケの健」や「ピス健」の異名とともに刑務所で一躍スターとなった 
この慰問は田岡が山健の為にひばりに頼んで実現したものだった
「親分、おおきに おかげで男になれました」
山健は田岡に胸の内で手を合わせた
二年後出所して田岡より盃を貰い直参となった山健の勢いはとどまることなく山健組を結成
大阪戦争では陣頭指揮を執り 四代目を継ぐものと目されていたが田岡の死後 後を追うように病死する 

このような刑務所慰問は他の歌手もやっている 
なにせ刑務所は全国に奈良県を除く全都道府県67か所もあるのだ 今日もどこかで歌手が歌っているのだ 
そのうち女子刑務所は日本全国で7か所 北から札幌刑務所、福島刑務所、栃木刑務所、笠松刑務所、和歌山刑務所、岩国刑務所 麓刑務所(佐賀県)
これらの女子刑務所の慰問を作曲家の船村徹は売れ出した昭和33年から続けている
その中から生まれたのがこの曲だ

のぞみ(希望)    船村徹 作詞作曲

ここから出たら 母に会いたい
同じ部屋で 眠ってみたい
そしてそして 泣くだけ泣いて
ごめんねと 思い切りすがってみたい

ここから出たら 旅に行きたい
坊やを連れて 汽車に乗りたい
そしてそして 静かな宿で
ごめんねと 思いっきり抱いてやりたい

ここから出たら 強くなりたい
希望(のぞみ)を持って 耐えて行きたい
そしてそして 命の限り
美しく もう一度生きて行きたい
そしてそして 命の限り
美しく もう一度生きて行きたい


この曲は瀬川瑛子のショウの中で彼女が歌ったのを聞いたのが最初だ 船村徹に誘われて刑務所慰問に行って歌った曲だった 
同じように五木ひろし、鳥羽一郎、岡田しのぶ しいの実らもレコーディングしている 
みんな船村の刑務所慰問運動に付いて行って貰ったのだ

しいの実は昭和56年船村と一緒に岐阜の笠松刑務所に慰問に行き船村のギター一本でこの曲を歌って400人の女刑者のこころを打ち会場内は嗚咽の渦と化したのを見て ぜひこの歌を下さいと頼んだがこの曲はこの刑務所の女性たちに送った曲だから挙げるわけにはいかないと断られたという その後彼の30周年記念に貰えてレコーディングした

そして船村はある日 旅行先の北海道のレストランで注文を取りに来た女性から声を掛けられる
「先生、少しお痩せになりましたね」
「お会いしたことありましたかね?」
「栃木でお世話になりました・・・」
「‼・・・栃木よりこちらは空気も景色もいいじゃないか 栃木では歌った後でみんな一緒に作ってくれたカレーを食べたなあ・おいしかった」
最後お土産にお酒の肴を袋一杯詰め込んで渡してくれて 峠の上から姿が見えなくなるまで手を振って送ってくれた 
いくらか人の為になったんだなと船村は思った

白鷺だより(295)山内惠介さんと「歌手芝居」

2018-02-16 14:27:04 | 観劇

山内惠介さんと「歌手芝居」
 
 昔 元国際劇場の演出家だったN先輩と梅コマの舞台事務所で貸し切り公演の打ち合わせをしていたらその前を通った北島(三郎)がコチラを怪訝そうな顔をして覗いて舞台に向かった  芝居が終わって部屋に呼ばれると「あの男国際のNじゃないのか」と聞く「そうですよ」と答えると「あの男だけは許さない」といった 
なんでもデビュー間もない北島が銀橋で歌いたいと言ったら「銀橋なんて十年早い・・・悔しかったらもっと売れて見ろ」と言われて悔しい思いをした しかし「くそ」とずーっと思って頑張ったから「今の俺を作ってくれたのはあいつかも知れんなあ」と言った 
この話を後にNさんに言ったら「だっていくら歌がうまいといってもチビでブサイクだろ とても売れるなんて思わないよ」と言った 
この話を聞いた僕は歌手は予想外に「化けるもの」ということを教わって誰彼もなくみんなに気を使って付き合うようになった

 子供の頃に見たコマのように芝居とショウのコンサートをしたいということで多くの通天閣の歌い手さんの芝居の演出を何本かやっていた時代がある
芝居がうまい歌手もいればどうしょうもない歌手もいる
どうしょうもない歌手のほとんどは「私お芝居苦手なんです」という言い訳をする
だったら金も時間も掛かる芝居なんかやめた方がいいと思うがファンが黙ってないという

 梅田コマでも芝居が嫌いな歌手がいた 今では信じられないが細川たかしさんがそうだった 
「北酒場」というヒット曲の劇化で相手役は歌手の高田みずえ 細川は真狩村出身のお坊ちゃまでずーっと付いている執事(鈴木淳)が
「坊ちゃまはこれこれこういうことを仰りたいのですね」と言ったら「うん」とうなづくだけ 
結局好きだったみずえちゃんを彼女が惚れた友人に譲って執事と北海道に帰って行く話で先輩の黒田さんと僕とでデッチあげた

執事「坊ちゃんは本当にみずえさんが好きだったのですね」
細川「・・(泣く)」が最後だった

 山内惠介の舞台を見に来ないかという後輩の舞台監督からお誘いがあり新歌舞伎座に出掛けたら大原ゆうや戸田都康や桂団朝などが出ていて新コマ以来の西川美也子さんや殺陣をやっている野内さんにも男十年ぶりに再会した 
山内君とは2002年古い新歌舞伎座で「梅沢公演」でご一緒した 
その頃の新歌舞伎座の楽屋は入ってすぐ楽屋番さんがいて その部屋の隣に地下に降りる小さな階段があり彼の楽屋はその小さな部屋だった まだデビューしたての頃でデビュー曲「霧情」を歌っていた ゲストといっても前川清さんと梅沢冨美男のオンステージの中ではなく(この時梅沢はオンステージの中で「YMCA]を歌っていたかも)第三部の「舞踊ショウ」の中で幕前で歌うという扱いだった 
休憩時間には地下の楽屋から発声練習であろうか独特の節回しで「あーえーいーおーうーおーい―えーあー」という声が聞こえてきた 
それはいつかはここから「這い上がる」という意志が感じられた

ところがそんな甘い世界ではなかった
同じ水森門下生の氷川くんは高卒たった二年目で「箱根八里の半次郎」の大ヒットでスターの座に就いた 
それに引き換え彼は中々芽が出ない 
NHKではイケメン3というキャッチフレーズで北川大介、竹島宏と共に歌番組のレギュラーを貰うがヒットに繋がらない
「風蓮湖」がヒットするまで8年も掛かった その後「スポットライト」で悲願の紅白歌合戦に初出場するまで又6年 しかし翌年「流転の波止場」で さらに昨年は「愛が信じられないなら」で三年連続出場 さらに新歌舞伎座にて初座長公演と快進撃

 今回の舞台は昨年の「泥棒と若殿」に続いて山本周五郎もののいわゆる「信兵衛」ものである 
市川正さんのオーソドックスな脚本・演出は最近ついぞ見ることがない正統派の作りで極めて新鮮に映る 
きちんと恋物語もあるし(これは解禁された?年齢的にも氷川くんとは違う恋もしなきゃあウソになる)「お家騒動」もある 
ちゃんとした立ち回りもあるし(裏芝居になっているが道場破りの場面もあれば) 貧乏長屋での庶民の生活もキチンと描かれている 
子役を使っての泣かせどころもある

山内さんは演技はもう一つだが芝居心は見て取れた
なに心配はいらない 今や「名優」の舟木や細川、五木もみんな最初はそうだった
このあたりの歌手のデビュー作を見ているのが辛い
気をてらわずキチンとした原作の作品をこなしていくのが生き残る道である  

 さて彼、山内恵介が所属する三井エージェンシーのHPを見てみるとトップページに「お知らせ」として同じ事務所の歌手池田輝郎さんの円満退社の記事が載っている 
彼は氷川くんや山内惠介さんと同じように水森英夫さんに「見いだされ」て民謡歌手からプロ演歌歌手となったが志半ばで事務所を辞め故郷の佐賀で頑張ることになったという「お知らせ」記事である 
彼の年齢を知ってビックリした 1953年生まれの64歳であった・・


白鷺だより(294)「まんじゅう」と「ラーメン」

2018-02-10 08:55:09 | 観劇
    「まんじゅう」と「ラーメン」

 本日千秋楽を迎えた2月の松竹座の「泣いたらアカンで通天閣」を見ていたら(2月3日観劇)1月の新歌舞伎座の「神野美伽特別公演」のお芝居「おおきにな~浪花のゆうれい女房~」(1月22日観劇)と共通点が余りにも多いことに驚いた

 山田スミ子が両作品とも同じような主人公たちの母親役で出ている(いくら生活の為とはいえ先月見たファンもあきれるだろう、まあ今回はいつものギャグは封印していたが・・・)のも大きいが共通のテーマが先代(父親)が伝説の職人で子供や孫といった主人公たちがその味に追いつこうともがく話なのだ 
それに幽霊(神野美伽、桜花昇ぼる)が出現して見守り助けるのも同じだ
もひとつ言えば同じような小劇場の演出家(きだつよし、わかぎえふ、両方ともオフィスPSC所属)のせいかもしれないがどちらにもその関係の役者が何人か出ていて「行儀の悪さ?」で芝居の邪魔をするのも共通だ 

 彼らの父親世代の一番若い我々は お殿様の記憶に残るおいしい「まんじゅう」も行列してでも食べたい「ラーメン」も作れなかったが実に楽しい芝居人生を過ごして来た

僕らは蜷川、唐、串田、路線は違うが井上ひさしらに少し遅れてこの道に入った
なにせ僕らは蜷川が東宝作品を演出するとき資本家に「魂」を売ったと批判した世代だ
しかし彼はその反対を押し切り既存の演出家より彼は演出家の名前で商売できる人となったのである 
そして今や彼らの後に続いた「劇団@新感線」を代表する劇団らが商業演劇より売り上げを上回る作品を作り上げてきている時代になった 
演歌歌手に「おんぶにだっこ」だった商業演劇についにツケが回って来たのだ

 そんな時代に上演された両作品の若きクリエーターたちにとって「父」が遺した復活すべき「まんじゅう」や「ラーメンの味とは何なのか・・・

 劇場プロデューサーが試行錯誤しているのは確かだ 藁をも掴む思いで小演劇の演出家に頼むのも当然だ 
しかし我々の世代にも優秀な演出家はいたし今でもいると思う
 下の役者やスタッフにはきつく当たり看板俳優のご機嫌取りがうまい人が生き残る世界で 頑として自説を曲げることなく突っ張る演出家を何人も見て来た 
今回噂では毎回稽古終わりで「おい 赤井、明日までにはセリフ覚えてこいや」と言い放ったWは演出家としては立派だが「女」としてはどうかな
もう一方の芝居で看板役者のYに「例のギャグお願いしますよ」とヨイショした噂は本当か? それによって芝居が崩れてしまってはどうしょうももない もう一方では一切封印させたのは演出家の力量か?

 主人公(神野美伽)が幕開きすぐに死んでしまう設定は面白い(新歌舞伎)が もう一本(松竹座)もいきなり幽霊(桜花昇ぼる)が歌い出し町と人物紹介するのも面白い

松竹座の芝居は作と演出が同じだから芝居の文体に変化はないが 新歌舞伎の方は脚本と演出が違う人物な上 噂では稽古中にとある役者が面白くないと言ったため(この元の本も読んでみたい)稽古を中断してすっかり本直しをしたという話だ 
まあこの世界ではよくある話だが こういう時は僕は頭からセリフやト書きに至るまで全部書き直すのだ 
今回は見ていたら途中で文体が変わるシーンが多くみられた 登場人物の性格が一定していない これは見ていて気持ち悪いのだ

神野美伽が「大阪弁」の芝居にこだわっているので新喜劇のメンバーが何人か出ている
寛太郎 江口直弥 夢ゆかり 植栗芳樹
勿論 松竹座にも 八十吉、川奈美弥生 里美羽衣子 森光冬 山本和孝が出演していて大阪らしい味を出している 
今や松竹新喜劇はすっかり「上方役者供給劇団」となった
昔僕がいた梅田コマには僕と同じ大宝芸能所属の鈴木淳 新橋伸介 小柴二郎ほかのレギュラー出演者の他に公演が無くなった宝塚新芸座の役者さん(竹中、円尾、吉井 中田ら)たちも同族会社のよしみで毎公演数多くコマの舞台に出ていた あれほど人気が高かった劇団、しかも大資本(阪急)がバックに付いた劇団であってもお荷物になると重く感じられる しばらく舞台に出ていたがそれもいつしか消えていった 
    
 新歌舞伎でやくざの手下がケッタイな動きをするので 聞いてみたらとある小劇団の座長さんだった 
おそらく悪気はないのだろうが商業演劇には商業演劇の常識というものがある
それを知らないとは思えない もっと勉強が必要だと言ったらそんな金と時間が惜しいという返事が返って来る そういえば商業演劇の心ある役者は暇と金があったらどんな小さな劇団の芝居ものぞいているが 小劇団の俳優は大劇場の入場料があまりにも高いので(今回は両劇場ともなんと12000円)ため おいそれとは覗けない
劇団関係者には3000円くらいに安くして「勉強しにおいで」と解放したらどうだろう

2本とも演出家が小劇場出身ということでそこの出身の俳優が多く出ていた
新歌舞伎には青山勝(PSC)、有薗芳記(PSC)
松竹座には鈴木健介(PSC) 浅野彰一(あさの@しょーいち堂)うえだひろし(リリパットアーミー)古谷ちさ(劇団空晴)(そういや 小川菜摘もPSC預かりだ)
皆一生懸命やっているが どうも芝居が馴染まない 所詮水と油ということか

入場料の話に戻せば新歌舞伎の方が神野美伽のショウがある分12000円でも損した気分にならないが(このショウは相変わらず素晴らしいのだ)芝居一本の松竹座は「高いなあ」とは正直思う もう少し下げた方がいいと思う 出来れば万札でおつりが出る程度まで

行列の出来る「まんじゅう屋」や「ラーメン屋」にするためにも・・・