白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(324)沖縄日記(2018年6月10日~14日)

2018-06-17 13:19:26 | 日記
沖縄日記 2018 6月

6月10日(晴れ)
 僕が出掛けると必ず雨に合ってしまう梅雨の真っただ中の大阪を飛び出し「空梅雨」と言われている沖縄へ 沖縄はこの空梅雨のおかげで水不足だと言われて久しい
台風5号もちょっとかすめて東の方へ行ってしまい 雨など降る気配もない 
雨が必要な人たちには申し訳ないが天気予報では僕らが行っている間は大丈夫という
空港から「うみそらトンネル」が開通していてホテル(ロワジール)まで58号線を通るより時間的には早く着く(但し走行距離はほぼ同じなので料金は変わらない)
降り口のクルーズターミナルには中国船らしき大型クルーズ船が横付けされている
その前に中国からの観光客を歓迎するように龍柱が二本そびえている
この間の道をまっすぐ行くといわゆる県庁に出る
いずれ習近平率いる中国軍がパレードするに相応しい道が出来上がっている 

部屋の窓から先ほど見た大型クルーズ船がゆっくり動いて行くのが見える
着いたその日は夕食はホテル近所のスーパー「かねひで」で総菜を買って部屋ディナー
かじきまぐろの刺身をたらふく食べその上 焼そばをスーパーのイートインでチンして 
他に水 炭酸水 お醤油 などなど買って合計1600円という豪勢さ

食事後 温泉の大浴場へ ここも中国人で満員だ

6月11日(晴れときどき雨)

甥っ子のHが一日休みを取ってくれたので車で遠出
前に行った西日本最大のイオンモール「ライカム」へ向かう

ライカムとは旧琉球米軍司令部(RyuKYU command 略称RYCOM)の跡地

昨日途中で降りたうみそら道路は北谷辺りまで伸びていて定宿のムーンオーッシャンの窓からいつも見ていた高速の工事は単線だけ通っていて随分と近くなった
クルーズターミナルには昨日とは違う大型クルーズ船が横付けされていた
途中新しいサンエーの建設中(何でもライカムより大きくなるという)を横に見て普天間基地の横を通り抜けて 平日なので比較的空いている「ライカム」へ
なるほどクルーズ船から遠すぎる サンエーの工事が急がされるはずだ
だだっ広い店内をウインドウショッピングしながら歩く ここは休憩所が多くあり助かる

前の約束でHが彼女を紹介することになっていて 夕方改めて会うことにする
彼女は北谷に住んでいるというので いつも家族で訪れる「サムズカフェ」に集合
いつもは米兵の家族連れで賑わっている店も今日は静かだ
Hの彼女は埼玉出身 結婚で沖縄に来て離婚 そのまま慰謝料で貰った北谷のマンションに住んでいる Hと同じ介護士仲間だ 
Hも子持ちのバツイチなのでちょうど釣り合いはいい
会話は弾み店に入って来た時降っていたにわか雨は帰りにはすっかり晴れていた

6月12日(晴れ)
朝からプールサイドで日光浴 その後室内プールで地元のおばちゃんたちと温泉プールを歩く
ここは討たせ湯もジャグジーもサウナもあって楽しい

 沖縄唯一の鉄道であるゆいレールのICカード「OKIKA」が多少残金があったので これを使って動くことにする ホテルから最寄り駅の「旭橋」までは歩いて僕の足で20分 
東京のそれより悪名高い大阪の地下鉄よりも高い(これでも安くなった)一区間230円 二区260 あと300 330と続く また「おとなり切符」なる制度が出来 隣の駅までなら150円で乗れるようになった
出来た頃(2003)は切符を買うことも鉄道に乗ることにも慣れていなかった人たちも今や戸惑うもなくスイスイと利用している 大きなスーツケースを抱えた中国人らも大いに利用している この日小禄までゆいレールで行き 小禄のイオンモールで買い物 目的の回転ずし屋が見つからずフードショップでおすしを買って帰り 帰りは始発の空港駅まで行ってUターン ところが小禄駅を過ぎた頃 一人の中国人らしき少年が騒ぎ出し「おっかあ、おっかあ」と叫ぶ 彼が窓から外を見てるすきに「小禄」で両親が下車した?のだ 次の壷川で迎えの駅員が来るまで臨時停車 まさか捨て子ではあるまい

この日の夕食 寿司セット1000円 コンビニに寄って 味噌汁を買って100円

6月13日(晴れ)
この日もゆいレールで今回は逆方向「国際通り」から「おもろまち」あたりを散策
まず「真栄橋」で降りて旧ダイナハのジュンク堂書店へ ここは沖縄で一番本が揃っている 復帰後ダイエー沖縄進出作戦の失敗例であるダイナハという名称はこの建物が最後の砦だ いまやダイエーの名前は沖縄ではすべて消えてしまって イオン、サンエーの天下である この沖映通りから歩いて国際通りへ 公設市場が変わってしまっているという話なので行ってみる なるほど大阪の黒門市場状態となっている 前に来たときは市場の二階は暗い食堂街であったが いまや一大フードコートに変貌 中国人達の集まる楽園だ
今回ツアーのおまけがステーキの無料招待だったので国際通りの「ステーキ88」で修学旅行生と一緒にランチ 何年か前娘が沖縄便で隣通しになった女性が開いた三越裏の日本そばの店に行ったことがある 今でもあるのかと見に行ったらその店の幟が翻っていて「寶」の文字が見えた 牧志からゆいレールで「おもろまち」まで 最初沖縄に来た頃はこの辺りはまだ返還直後で金網に囲まれていた ちなみにその時泊まった那覇レインボーホテルは今はもうない 「おもろまち」に来た目的はサンエーのシネコンで「のみとり侍」を見ることであった よく知っている若い役者が出ていて見たかったのだ 
しかし内容は鶴橋監督はいったい何が言いたいのかよく判らぬ
昼めしをたらふく食ったので夕食は抜くことにして温泉へ

6月14日

朝から雨
この日から沖縄はやっと梅雨らしき天気となり台風6号も重なり暫く雨が続きそう
空港へ向かうタクシーの前にチンタラ走る警察の装甲車が入った
出発前一人の囚人が4人の刑事に囲まれて乗り込んできた
我々の席はジャンボの一番後ろだったから囚人と横並びだ
雨雲を突き抜けて飛行機は一路伊丹空港へ

この五日間で歩いた歩数
10日6206歩 11日5587歩 12日8694歩 13日18429歩
14日4706歩 合計44072歩 一日平均8818歩

旅行代金 JTB 4泊5日 92000円
その他 買い物他     40000円弱

白鷺だより(198)イギリス日記 七日目・八日目

2017-02-01 09:53:36 | 日記
イギリス日記  七日目 八日目

浅田次郎の書いたものによると
「どういうわけか私がロンドンに到着する日はいつも雨である からりと晴れたロンドンは記憶にない いくら「霧のロンドン」と言っても陽の射さぬはずはないのだから おそらく私がイメージの中でロンドンの風景を定めてしまっているのであろう パリには青空が良く似合うが やはりロンドンには暗鬱な驟雨がふさわしい 主として白い石材を用いたパリの街は雨に濡れるといかにもしおれてしまう しかし建物も道路も黒い煤にまみれたロンドンは むしろ濡れ羽色に艶を増す この暗き重さを鬱陶しく思うか あるいは落ち着いた居心地の良さを感じるかは人それぞれだろうが 要するに漱石は前者の典型だったのだろう」ということだが我々は残念にも暗鬱な驟雨にも霧にも出会うことがなかった
毎朝の0度の寒さと朝霜は陽が昇るにつれ済んだ空気の青空ばかりとなり わずかに出会ったのは21日の朝コッツウォルズに向かうバスの中で霧を見たのと23日霧のロンドンをバスの中から垣間見たのと22日のリバプールでのにわか雨に出会ったことだ これだけでもイギリス旅行らしさ体験したことになるのである

1月24日

14;30の ホテル出発時間まで自由行動
頑張って地下鉄に乗ってストラトフォードシテイに行く
ここはヨーロッパ最大のショッピングモールでオリンピック開催中に建てられた
この前にはクイーンエリザベス・オリンピックパークがあり大阪の万博公園のようである
このショッピングモール とにかく並大抵の店舗数なんかじゃなく一日では回り切れない数である
大阪が夢州に作ろうとしているIRなるものは こんなものだろうか
 
我々は今回は上の階(三階)にあるVUEという日本でいうシネコンに向かう
その横にはアスパースASPERSというカジノがあったがここは撮影禁止であった
さて誰も人がいないシネコンなんて想像出来るだろうか 切符は全て機械が販売していて
嬉しいことに日本風に老人割引もあった これはどうして識別するのだろうか 入り口の黒人の女の子も何もいわないし・・・さて見た映画はアカデミー賞最有力の「LALAランド」である 何度もオーデションを落ちまくる女優の卵と世の中を斜にしか見られないミュージシャンの恋 ラストがうまいと思わせる

さて帰りも地下鉄で帰り集合時間ギリギリ
ヒュースロー空港まで行くにはロンドン市内を通過しなければならない
着いた時と同じように車椅子を用意してくれていた
今回は黒人の子供連れと一緒に行動 彼女が出国審査で手間取っているのを待っていたのでラウンジを使用する時間が少なかった
ラウンジはUNITEDと共同で使えて広くて綺麗だった
飛行機ではひたすら映画鑑賞
テム・バートンの新作「ミスヘレグレンと奇妙な子供たち」
「ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期」 (なんてヒドイ副題)
「追憶の森」 富士樹海に死を求めて日本に来た男と出会った男渡辺謙
「あん」 樹木希林の遺言というべき作品


19:00 ロンドン発 映画 夕食 機内食 朝食 機内食

羽田空港着 日本時間15・30分

1月25日
18:00 羽田発
19:10 伊丹着

無事到着
以上長らくのお付き合いありがとうございました

今回の旅の総括は別の機会に・・・・・

白鷺だより(197)イギリス日記 六日目(2)

2017-01-31 17:50:32 | 日記
イギリス日記 6日目(2)
この近くにはカジノも多い 発祥はこうだ
カジノ
19世紀初頭の話である ウイリアム・クロックフォードは貧しい漁師の倅だった テムズ川に水揚げされた雑魚を市場に並べ売れ残った魚は顔見知りのコックに頭を下げて買ってもらっていた 彼には野望などなかった 彼は父や祖父と同様生涯魚を売って過ごすはずであった ある冬の日のこと 彼は売り損ねた魚の袋を担いで冷たい雨の中で佇んでいた
これが売れなければ明日の仕入れが出来ない 家で待つ老いた親と妻子のことを思わないではいられなかった そのとききらびやかな貴族の馬車がやってきて貴婦人が窓から貧しい人々に施しのコインを撒いた ウイリアムには商人としての誇りはあったが敗れた長靴の爪先に金貨が転がってきたのでは拾わずにはいられなかった その金貨一枚は明日の仕入れには充分な額であったが 拾った金で商売をすることをよしとしなかった彼は近くの賭屋に飛び込み最も売れていない馬に全顎賭けた 彼がギャンブルに手を染めたのは後にも先にもその一回であった 数時間後市場は大騒ぎとなった 彼が手にした配当金はインド洋まで遠征出来る漁船を乗務員ごと買えるほどの大金だった だが彼は苦楽を共にしてきた仲間の頭ごしに自分一人ブルジョワにはなりたくなかった・・・・
そこで考えたのが賭屋であった ブルジョワたち相手にこれをやったらどうだ なくしても困らぬ金、窓から投げ捨てるような金ならばきっとギャンブルにも使うだろう・・・
彼は船も魚も買わずにバークレイ・スクウェアに面した館を買い そこでロンドン初のカジノを開店した 賭け事で生活を脅かすような人が出ないように会員資格を厳正に審査し
ゲーム中のトラブルを防ぐために長いサーベルを吊った剣士も雇った 豪華なインテリアと厳格で紳士的な規律によって会員たちは皆気持ちよくギャンブルを楽しんだ
やがてウイリアムは多額の納税と社会的貢献により紳士の称号を与えられサー・ウイリアム・クロックフォードと呼ばれるようになった
これが世界最古のカジノ、クロックフォードの起源である

このカジノはもちろん現在でも会員しか入れない
しかしウエストエンドには誰でも入れるカジノもある ヒポドロームカジノ 21歳以上であれば誰でも入れる エンターテイメントショウも行われていて ここは元ピポドロームシアターといって古い劇場跡だ いわば新歌舞伎座の跡に四海楼が入ったようなものだ
(もう一つ誰でも入れるカジノがストラッドフォードシテイに出来たがこれは明日見に行く予定である)

「ハリーポッターと囚われた子供」
上演しているパレス劇場は1985年以来ズーッと「レミゼラブル」をやっていた
「レミゼラブル」がクイーンズ劇場に移って2016年7月30日より「ハリーポッターと囚われた子供」が始まった 25万枚一年間分のチケットが一時間で完売 今年もすでに年内一杯の切符は売り切れだ
パート1 1・30~ パート2 6・30~と合わせて6時間の上演だ 
ストレートプレイの作品で 来年のブロードウェイ進出が決定した

「レミゼラブル」をやっているクイーンズ劇場の隣のアポロ劇場でやっている「PETER PAN GOES WRONNG」という作品は去年の10・21~今月の29日までの期間限定公演でその面白さで評判を呼んでいる もちろんピーターパンのパロデイであるがYouTubeで内容が判る 但し見るのはイギリス限定で日本ではダメだった

レミゼラブル クイーンズ劇場 19・30~開演
これもまた古い小さな劇場だった 買った切符の時間まで中華街やカフェをはしごした
ロビーで座ってビールを飲んでいた男性が杖をついた僕を見て生涯で一番悪いことをしたという顔をして変わってくれた
間口5間程の狭い舞台 両プロセミアムも人の出入りが出来る
主役のバルジャンのPETER LOCKYERの静の動きとテナルテイのDAvID LANGHAMの動の動きのバランスがいい
新演出でテンポが良く見やすくなっている

帰りは初タクシーでホテルまで
タクシー タクシーは最大五人乗れる 昔の馬車の名残で向かい合って座る

白鷺だより(196)イギリス日記 六日目(1)

2017-01-31 17:45:28 | 日記
 イギリス日記 六日目(1)
1月23日
8:30~ バスにてロンドン市内観光
久しぶりの霧の中 停滞を見込んで早い目にバス出発
霧の中に浮かぶロンドン塔の不気味さ 漱石が嫌いな理由が判る

車が停滞するのはラッシュのせいだけでもない
ブルー色の自転車道路これが停滞の大元凶だ まだ通勤時間以前だから使用者がいないと思っていたら普段から少ないらしい 大気汚染に有効だからと市長自ら自転車通勤までして作ったこの専用道路 ブームが去ったら使っている人がいない 時間帯によって車の侵入を許可すればましなんだが・・・またロンドン中心部に入ったら二階建てバス(ダブルデッカー)にはうんざりする どのバスもひとは殆ど乗っていない だけど何故か威張っている 二階建てだからかさ高い 老人だけの利用のため走らせているのかといえばそうではないらしい 一応ロンドンの名物となっているのでやめられないようである

ウエストミンスター寺院
ウエストミンスター・スクール

年額1000万以上の授業料で6年間の寄宿舎生活 
この魔法学校のようなシステムが次代のイギリスの中心人物たちになっていく
イギリスにはこういう学校が他にチャーターハウス、イートン ハロー ラクビー など6つもある

ビッグベン
ピーターパンで有名 丁度10時に鐘を聞く

バッキンガム宮殿 ロンドン五輪のマラソンスタート地点

そういえば前回渡英したときは郊外はもちろんロンドン市内も観光も出来なかった
わずかに「哀愁」のウオータールー橋を一人で歩き ハイドパークでピーターパンの銅像の写真を撮ったきりである
演出家との打ち合わせの場所に行ってみるとそこはテームズ川に浮かんだボートの上であった 僕の家が狭いのでというのが理由だった

バッキンガム宮殿から大英博物館までバス ウオータールー橋を渡る
 
大英博物館

よくもまあこれだけのものを集めたものだ 対馬仏像盗難事件では韓国の裁判所は窃盗団の言い分を認めたがイラク・エジプトあたりから返還要求がこないのであろうか
ナポレオンが盗んできたロゼッタストーン、そういえばパルテノン神殿の彫刻をギリシャが返還要求を出したにだけどどうなった?

大英博物館見物後 解散 自由行動

まず見るミュージカルの切符を劇場まで行ってゲットした
開演19:30までの時間つぶし街を歩く
エスカレーターは大阪風で右側に立つので快適だ
道は思ったよりきれいじゃなく ごみ箱が多いがゴミも多い
女性喫煙者が集まっているのが気になる 
タバコは6~9£するので男性サラリーマンには無理だ
日本は全ての飲食店での喫煙が全面禁止となるようだが・・・・

娘が学生時代通った店が中華街にあるらしいので行ってみるともうなかった
近くの飲茶の店に入り昼夜兼用
 
               (続く)



白鷺だより(195)イギリス日記 五日目

2017-01-30 12:18:51 | 日記
イギリス日記 五日目

1月22日
8:30~バスにてリバプール観光
イングランド4番目の人口の町 
17世紀末頃からアメリカや西インド諸島との貿易で町は繁栄を極め18世紀リバプールが大きく繁栄した背景には奴隷貿易がある なんと1760年にはイギリス国内最大級の奴隷貿易港に発展した 安い労働力が必要だったのでアイルランド人移民が多い

リヴァプール大聖堂 国教の教会
リバプールメトロポリタン大聖堂 カソリックの教会

アルバートドック
ALBERT DOCKは1846年にオープンした世界初の不可燃性の倉庫システムで鋳鉄 レンガ 花崗岩で建設されています ドッグは船の修復や係船 荷役作業のために築造された施設で1848年には世界初の水圧を利用した貨物用昇降機が取り付けられた
リバプールの繁栄とともに活躍したアルバート・ドッグも1920年代からは鉄道や道路のために商業船は激減し 主に倉庫として使われるのみとなり戦後も益々衰退していったドッグは1980年代からの資本投資によって素晴らしいエンターテインメントの中心地として蘇った そして美術館やビートルズ博物館に交じって国際奴隷博物館も作ってこの町が繁栄してきた負の歴史を語るのも忘れません

アルバートドッグ近くの埠頭にビートルズ四人のブロンズ像が出来た
朝早かったので人がいない状態で写真撮影が出来た
さすが港町 街にはカモメがあふれていた 雨でも降るのか低空飛行である

キャバーン クラブ
元々ワインセラーだった地下室をライブハウスにした場所
いつまで続くかと思わせるらせん階段を下りると「ア・ハード・デイズ・ナイト」がこれでもかという大きな音で鳴り響いている  ビートルズは1961年2月にここで初ライブ 
ここは現役のライブハウスでツアーの仲間の一人が昨晩車を飛ばして聞きに行った
見学を終え長いらせん階段を再び登るとマシューストリートにこのツアー初めての
雨が降ってきた この通りにはジョンレノンの銅像があり雨にうたれていた

バスにてチェスターへ(33k)

チェスター観光
イングランド北西の都市でディ川のほとり ウエールズとの境にある城壁都市
城壁都市としてはイギリス国内で最良の状態で残っているためイギリスの遺産都市として
国内外から観光客が訪れる都市として有名です また白壁に黒の木枠の建物(ザ・ロウズ)がチェスターのシンボルとなっている

チェスターの語源はラテン語のcastraカストラ 砦
城壁によって町全体が守られている城塞都市

ランチは街のイタリアンの店で久しぶりのピザ

ロンドンへ(314K)

イギリスの高速はその殆どが無料となっている
この閑は長いのでいくつか有料道路を使った
サービスエリアは日本のそれとは違い大手スーパーやコンビニ レストラン ファーストフード カフェ ATM ブックメーカー カジノなどがある
ファーストフードはマクド、バーガーキング KFCのいずれか
カフェはスタバかコスタ
スーパーはWAITROSE MARK&SPENCERとどちらか

ホテルにて夕食
ノボテルホテル ロンドン エクセル泊

明日はロンドン観光