白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(183)「愛の道」

2017-01-05 18:16:12 | うた物語
      愛の道

 昭和48年6月 愛知県刈谷市民会館での「畠山みどりショー」でゲストの八代英太さんが予定より早く降りたセリの穴に転落 八代さんは脊髄を損傷以後車椅子生活を余儀なくされる 噂では畠山がこの会館にセリ施設があることを知り 前半の歌コーナーが終わった後 八代さんが着替えの15分を繋いでいる間に 次の出をセリで上がりたいといったので 会館職員が八代コーナーが終わる前にセリを下したため その穴に八代が転落して脊髄を損傷したという
民事での裁判は10年以上に及びましたが 総額一億円で和解ということになり 刈谷市が7000万 畠山が2500万 興行主が500万支払うこととなった
たしか刑事事件でも刈谷市の舞台係は有罪となったと思う
この事件は当時我々舞台監督をやっている者にとって重大な事件だった
舞台監督がスターに無理を言われたらそれを断るのは至難の業である 
それで怪我人でも出そうものなら業務上過失傷害罪に問われる
こういう時は「急な変更は危険です 次回夜の部はキチンと打ち合わせをした上でやらせて頂きます」・・・が正解である

その後八代は車椅子議員として活躍 小泉内閣では郵政大臣まで務めた
畠山と同じクラウンレコードの所属というわけでもなかろうが北島三郎に八代の奥さんが作詞した歌を歌うということになった 「愛の道」~押させてください車椅子~という歌であった 作曲は北島のペンネームの原譲二 八代が最初に立候補した時である

      愛の道 
             八代富子 作詞 原譲二 作曲
あなたの肩に 舞い落ちた
冷たい雪はいつ解ける いつ解ける
振り返ることなど 出来ぬと知りながら
今日も行く行く 無念坂
険しき道 されど我が道 愛の道
押させて下さい 車椅子

あなたの頬に 吹き付ける
冷たい風は いつ止むの いつ止むの
許されることなら 代わってあげたいと
辛さこらえる 乙女坂
険しき道 されど我が道 愛の道
押させて下さい 車椅子

見上げれば 涙が一つ また一つ
明日に希望の 夫婦坂
険しき道 されど我が道 愛の道
押させて下さい いつまでも
 

八代英太は「車椅子の司会者」として「お昼のワイドショウ」に出演後 この歌を引っ提げて1977年参議院選挙全国区から無所属で立候補84万票を獲得して当選(本名 前島英三郎)
田英夫、横路孝弘らと「平和と民主運動」の呼びかけ人となった
1983年全国区が比例区に代わり 自ら「福祉党」を結成 名簿第一位で当選
1984年自由民主党に移籍 1996年衆議院初当選 
以降参議院を3期18年 衆議院を3期10年 元郵政大臣

現在 
帝京平成大学、山の美容芸術短期大学などの教授を始め 障碍者各団体の顧問、代表、理事を務めて 福祉政策のエキスパートとして活躍中