白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(460)「あぶくの流儀」を観て

2024-03-25 17:08:33 | 梅沢劇団
 速水映人からこんなメールがきたのは3月22日のことてある

 3月23日か24日 どちらかお時間ありませんか? 「あぶくの流儀」の再演が大阪の一心寺シアターであります 両日とも2時公演です

両日とも甲子園が中止になるくらいの雨の予定だ 身体の不自由な僕にとってかなりの負担である それでも元「梅沢扇之助」のために出掛けたのは メールの続に次のような文章があったからである

梅沢武生の弟子だった人間としては弟子らしき事は何も出来なかったし、お礼を云うことも謝ることも出来ないままお別れしてしまいましたが梅沢でスタートした役者の道
弟子とも呼べぬような馬鹿な弟子が「お客様に楽しんでいただく」「トータルで100点、120点を取る」その意思だけを継いて演じる座長萬屋万太郎と云う役を武生座長の側にいた先生に是非観ていただきたいのです

そこまで云われたらこりゃ行かずにゃなるめえ 東京での再演(15〜17)を経てからの連絡なので手応えがあったのだろう

 竹田新 作 山野海 演出
  「あぶくの流儀」

 かっては人気劇団だった萬屋万太郎一座も
楽屋は華やかさは微塵もない つい最近も8人もの役者が逃げ出したばかり 座長万太郎(速水映人)はそんなことには一切気にせず自分勝手に振るまい続け 客を殴るは、東京では一流と云われる小屋主の嫁(80)には手を出すは 揚句の果てには東京所払になってしまいます 仕方なく流れていった地方の芝居小屋でもトラブルが続く これは誰がが何かをしているしかないとお互い探りあうが…

 元女方の黒子小紫(44北川)がいい 梅沢劇団の座長付の長島さんを思いだした
座長に憧れ入団した伊丹楠(TAISEI)も孤児の悲しみを背負った雰囲気があり皆に可愛がられるのもわかる  
マネージャーの塔子(阿知波悟美)は万太郎とのきっても切れない二人の関係をキチンと演じて流石の芝居
一方映人はこのようなベテランに臆するところもなく萬屋万太郎を演じるだけじゃなく 若き日の万太郎や先代座長廣太郎もキチンと演じわけ 腕は確実に上がっている所を観せた そのうえ最後のフィナーレショウでも
みごとな女形の踊りも見せ、そのうえ客席におりて「おひねり」集金芸までみせ大衆演劇の神髄を観せた

踊りは梅沢富美男の「夢芝居」から始まった
流石にいい曲だと改めて思った

速水映人、
こいつ、しばらくみないうちに腕をあげやがったなあ


















白鷺だより(459 )わしゃ、つんぼで聞こえまへん

2024-03-05 17:14:56 | 梅沢劇団
(459)わしゃ つんぼで聞こえまへん



 「買い物ブギ」を服部良一が作詞しの時のペンネームは村雨まさをという 本当は百人一首の寂蓮法師の「村雨の露のひぬまにまきの葉に霧立のぼる秋の夕暮れ」から 取ったので村雨まきをだったのに印刷やのミスでまさをとなった まあ服部にとって作詞のアイデアは笠置シズ子が出したのでペンネームはなんでも良かったのでそのままにした 

 さて1970年から1980年にかけてテレビ界において いわゆる放送禁止用語なるものを設定して自主規制が始まった レコード業界も右へ倣えとばかり古い楽曲の不適切と思われる言葉を探しだした その第一号が「買い物ブギ」だった 「わしゃツンボできこえまへん」がカットされた 丸山明宏(美和明宏)の名作 「ヨイトマケの唄」も「土方」が職業差別用語としてカットされたが最近カットなしで歌っているのを聞いた 美和が土方の母親が男に混じって働く姿を歌うことによって
土方=差別用語ではないことを歌い続けた結果 名作を歌い続ける条件ことでオッケーになったらしい 「買い物ブギ」もこのフレーズがなければ歌として、また落語のオチにも成立しないので是非復活をのぞむ

 魚屋から八百屋へ 膨大な歌詞の後半

おっさん おっさん、今日は
おっさん おっさん これなんぼ
おっさん おっさん これなんぼ
おっさんなんぼで なんぼがおっさん
おっさん おっさん おっさん おっさん
おっさん おっさん おっさん おっさん
おっさん おっさん おっさん おっさん
(盛り上げておいて次てストンと落とす)
わしゃツンボできこえまへん
わて ほんまによう云わんわ
わて ほんまによう云わんわ

(アメリカ巡業でこの歌を唄ったらオッサンガールと呼ばれたらしい)

さて元の歌詞はこう続く

そんなら向かいの おばあさん
わて忙ししゅうて かないまへんので
ちょっとこれだけ おくんなはれ
書付渡せば  おばあさん
これまためくらで読めまへん
手探り半分 何しまひょ

わてほんまに よう云わんわ
わてほんまに よう云わんわ

あー しんど

このめくらのおばあさんのエピソードは当時SP版は時間の制約があり 聞いた覚えがない

それよりこの歌がNHKで歌われないのは「仁丹」の商品名があるからだと言われていたが
今は歌われている

僕らか子供のころ 昭和20年から30年頃まで
街には傷痍軍人が溢れ、身体の不自由な方が多かった記憶がある この曲はその頃の歌である