白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(185)通州事件「夢の子守歌」

2017-01-09 07:53:14 | うた物語
通州事件 「夢の子守歌」

戦前の中国での事件に「通州事件」が ある
昭和12年 北京東方の通州には親日政権が作られていたが7月29日日本の駐屯軍不在の間に その政権の中国軍部隊(保安隊)が日本人居住区を襲い日本人居住民385人中 子供や女性を含む223人が惨殺された事件である
この事件の経緯を見るといかに中国民族というものが野蛮で残酷だということが判る
とても日本人では出来えない行為で これが後にありもしない南京大虐殺のヒントになっていると思われる

その事件は極東裁判でも裁判長に却下され 議題にも上がらず戦後完全に抹殺(無かったこと)された
現在も教科書にも載ることはない(長崎で使われている「新しい歴史教科書を作る会」の教科書には南京事件は消えて通州事件を載せている)
詳しくはウイキペディア 「通州事件の惨劇(Sさんの体験談)」「消された通州事件」などで検索して調べて貰うこととして最近刊行された参考書だけを挙げておく

    自由社の「通州事件 目撃者の証言」
    加藤康男著「慟哭の通州~昭和12年夏の虐殺事件」

などをお読みしてもらうことととして
ここでは事件を発端に作られた歌謡曲 芝居のことを書きとめようと思う

夢の子守歌

 原田國男 作詞 山下吾郎 作曲 松島詩子 唄
(昭和12年)

坊やの母ちゃん 何処(どこ)行った
戦の後の 夕間暮れ
野露に濡れて 蟋蟀(こおろぎ)が
哀しい聲で 鳴いていた

烏は塒(ねぐら)に 帰るのに
坊やの 母ちゃんなぜ来ない
怨みは深し 通州の
お空にゃお月さん 泣いていた

母ちゃん独りでどこ行った
野超へ 山超へ 川超へて
外は日暮れて やるせなきゃ
知らぬ お宿に眠るでしょう

坊やは玩具(おもちゃ)はもう要らぬ
綺麗なおべべももう要らぬ
夜毎お夢で 聞く歌は
母ちゃん 懐かし 子守歌


恨みは深き 通州城  
(昭和12年)
  佐藤惣之助 作詞 古賀政男 作曲 奥田英子 唄
  これはまた当時のゴールデンコンビの作品である

思い出すたび 西空に
篤(あつ)い涙を 手向けましょう
二百余人の同胞(はらから)が 露と消えたる惨劇の
恨みは深し 通州城

夢も儚き 七月の
廿九日の 明けの空
響く銃音(つつおと)物音は
賊か 鬼畜か 反逆の
一語に狂う 保安隊

暗い民家に 武器はなく
頼む夫は 斃されて
愛し我が子を 懐に
大和撫子 散るもあり

忘れようとて 忘られぬ
悲し恨みは 何時までも
西に流れて草を染め 
赤い廃墟の夕焼けは
秋風寒し 通州城

果たしてこの二曲はヒットしたのであろうか



演劇の方もこの事件を取り上げている

真山青果 嗚呼通州城

その年の9月に明治座で 真山青果作「嗚呼通州城」を河合武雄 井上正夫らの出演で上演された 
この戯曲は同10月「講談倶楽部」に掲載されたが後に「真山青果全集」に収録された

とき 昭和12年7月29火午後から夜にかけて
場所 通州城内にある日本旅館「銀明楼」(錦水楼がモデルと思われる)
主役は銀明楼の女将 磯尾たみ(35)

目撃談によるとこの「錦水楼」はもっとも残虐に襲われたようで 女将の最後は次のようである

「錦水楼入口で女将らしき人の死体を見た 足を入口に向け顔だけに新聞紙がかけてあった 本人は相当に抵抗したらしく着物は寝た上で剥がされたらしく上半身も下半身も暴露し四つ五つ銃剣で突き刺した跡があった 陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた 帳場や配膳室は足の踏み場もないほど散乱し略奪の跡をまざまざと示していた」

戦後再刊された「真山青果全集」には自主規制か どこからかの圧力があったか 作品が消えている

このように当時は歌でも芝居にでも取り上げられ日本国民が全員悲しみ憤った事件だが
今や誰も知らない事件となっている