白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(372) 黒澤明 素晴らしき日曜日

2020-10-23 05:42:36 | 映画

    黒澤明  素晴らしき日曜日



 黒澤明が東宝の前身であるPCL 映画製作所に新聞広告を見て入ったのは昭和11年のことだった
主に山本嘉次郎監督の助手を務め「藤十郎の恋」「綴り方教室」などを担当する
山本監督の「馬」を担当した時 主演の高峰秀子と恋愛関係となり結局山本監督に潰される
戦時中黒澤は自らがシナリオを書いた「敵中横断三千里」でデビューの予定が予算オーバーで中止となる 
結局昭和18年「姿三四郎」で監督デビュー 昭和20年第二作となる「一番美しく」で主演した矢口陽子と山本監督の媒酌で結婚 同年「虎の尾を踏む男たち」の撮影に入り終戦を跨いで完成したが検閲で公開出來なかった(公開は1952年)
戦後の公開第一作は民主主義啓蒙映画「わが青春に悔いなし」(1946) で翌昭和22年焼跡の市井の若者にスポットを当てたこの作品「素晴らしき日曜日」が作られる

この企画は昭和18年黒澤は小学生時代の同級生でシナリオライターの植草圭之助と銀座の本屋で出会ったことから始まった 一緒に映画を作ろうと言うことになりDWグリフィスの名作「素晴らしき哉、人生!」の話になった 
住宅難で結婚出来ない若いポーランドの恋人がお互いの励ましで結ばれると言う話である
戦後、この二人を焼跡の日本に放り込んでドキュメント風に撮ろうとなった
その為スターを使わず庶民的な新人沼崎勲、中北千枝子を抜擢した

あらすじ
会社員の雄造と昌子の二人は毎週日曜日にデートするのだがその日に限って二人合わせて35円しかない(現在のレートで3500円) 住宅展示場にいくがとても手が出ない、安いアパートを見にいくがこんな所に入ったら病気になると言われる 子供の草野球に飛び入りするがボールが団子屋に入って弁償金を取られる 雄造の知り合いのキャバレーにいくが物乞いと間違われ飛び出す
上野動物園に入るが雨が降ってくる 昌子の提案でなけなしの残金20円を持って日比谷公会堂に「未完成交響曲」を聴きに行くと安い席はダフ屋に買い占められの入れない 抗議した雄造はダフ屋に袋だだきに会う
雄造は昌子を自分の下宿に連れて帰り彼女の身体を求めるが昌子は逃げて帰ってしまう
さてこの二人は----



ラスト前 雄造が一生懸命タクトを振る野外音楽堂の場面で突然観客に向かって叫ぶ
「皆さん、お願いです どうか拍手を送ってやって下さい」と頼む
この言葉に励まされて雄造がタクトを振ると「未完成交響曲」が高らかに鳴り響く
この感動的な場面は日本では成功しなかったがパリ始め外国では万来の拍手だという
ミュージカル「ピーターパン」で弱ったティンカーベルを立ち上がらせようとピーターが拍手を求めるシーンがあるが当時はちょっと早かったか

沼崎勲はこの一作で人気役者の仲間入りをするが丁度勃発した東宝争議に巻き込まれて失脚
中北千枝子はプロデューサーの田中友幸と結婚
 
なおこの映画を撮影中に行なわれた第一回東宝ニューフェイス募集会場にいた高峰秀子から
「凄い人がいるので見に来い」と言われて行くとそれが三船敏郎だった
この時の印象が三船のデビュー作「銀嶺の果て」に繋がる

この年のキネ旬ベストテンの6位
第2回毎日映画コンクールでは黒澤が監督賞、植草が脚本賞を受賞

製作は本木荘二郎









白鷺だより(371) 座頭市は笠間の生まれ

2020-10-19 18:21:51 | 映画

    座頭市は笠間の生まれ

 第一作から脚本を担当している犬塚稔の書いたものに拠ると

子母沢の「座頭市物語」に拠ると市という盲人は博徒飯岡助五郎の乾分として
実在の人物のようでもあるが 私たちは彼を架空の存在に見立てている
そこで私のどの脚本であったか覚えはないが市が生国を問われる場面で
「常州は笠間の生まれでござんす」
と科白に書いたことがあった 

かさまは語呂が良いので あてずっぽうに使ったまでのことであったが その映画が笠間市(茨城県)の映画館で上映されたことで時ならぬ大騒ぎになり、市役所までが座頭市を顕彰したいということになり勝を始め私も招かねて笠間に赴き案内されて登った小さな丘に「座頭市は笠間に生まる」と刻まれた鉄板の碑が建てられているのに吃驚し呆然とした
その夜の市長らの歓迎宴で私が市の生誕したのが笠間であることを言明せねばならなかったのは寝覚めの悪い思い出に残っているが 果たしてその鉄碑がそのまま今に残っているかどうか知りたいものである‥‥

今も同市つつじ公園に残っています
  


座頭市第25作目「新座頭市物語 笠間の火祭り」で笠間ロケを敢行

なお座頭市物語の舞台となった飯岡は今は旭市となり地名としてもはやない


白鷺だより(370) 座頭市の物語

2020-10-16 07:53:04 | 映画
        座頭市の物語
 最近のYouTubeを見ているとやたらに座頭市シリーズの投稿が多い 
映画はもちろんテレビシリーズも出ていて これはその頃の大映ファンが勝派、雷蔵派二派に分かれていて どちらかと言えば雷蔵派であった僕はほとんど観てもいなくて(勝作品としては悪名の方が好きだった)こんなチャンスはめったにないとシリーズ第一作から見始めたのだ

 脚本家の犬塚稔は子母沢寛と昵懇の仲であったので出版されたものは必ず送って来ていたがその中に随筆集「ふところ手帖」に座頭市物語という見出しで博徒飯岡助五郎の乾分に座頭市という盲目(めくら)やくざがいた 歳四十、助五郎の阿漕な所業を嫌って盃を返し、田舎に引っ込んで百姓になったが、この男 盲目ながら居合斬りの名手であった という話が書かれていた
犬塚はこれはいけると思い子母沢に電話した
「座頭市の話はどこで仕入れたのか?」
「信州の宮越という田舎町の宿屋で亭主が話してくれた」
「映画にしようと考えているが助五郎に盃を返して百姓になっただけでは話にならん、何かあるだろう 聞かせてくれ」
「あいにくああした、こうしたの話は何も聞いておらんのだ でもあんなものが映画になるのかねえ へえー」と味気ない返事であった

その頃、子母沢の「父子鷹」を大映が長谷川一夫、林成年の親子で映画化を予定、企画部員が著作権の交渉に行くというので序でに「座頭市物語」も契約してくれと頼んだら「父子鷹」は百五十万を要求したが「座頭市物語」は無償で犬塚さんに差し上げると言ったそうで会社としてはそうもいかず結局十五万で契約した 

監督は三隅研次に決まったが平手深酒役が大映にはいない
その頃新東宝撮影所が閉鎖して所属する俳優を各撮影所に紹介していた中に天知茂がいた
労咳を病むうらぶれた浪人役にピッタリと決めた

果たして「座頭市物語」第一作は出來ばえも良く 営業成績も良かった
勝も漸く一人前に客受けする役者になれたという事で3作目から座頭市をシリーズにしたいと言うことで会社から犬塚を原作兼劇化脚色者として扱い大映との脚本執筆契約とは別に子母沢同様原作料十五万を加算して支払うことで優遇したいとの結構な提案があった しかし一作、二作と原作者として扱った子母沢寛を今更原案者として自分が原作を名乗るのは彼と長年の付き合いからも憚りたいとと言って十五万円の加給だけを受け取ることにした
後年この処置によって。映画の再放映、ビデオなどによる著作権収入で大体三千万円(シナリオ作協調べ)を見捨てことになったらしい

座頭市物語 1962
監督 三隅研次

勝新太郎、万里昌代、天知茂 柳永二郎 南道郎

南道郎の助五郎の乾分役が光る

続座頭市物語 1962
監督 森一生

勝新太郎、城健三郎、水谷良重、万里昌代

城が市の実の兄役で登場 水谷良重が二人の共通の思い人に似た宿場女郎役

新座頭市物語 1963
監督 田中徳三 脚本 梅林喜久生

勝新太郎 河津清三郎 坪内ミキ子

後年一緒に仕事をする梅林先生の初座頭市
河津清三郎が市の居合の師匠役