白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(235)「味の家」(けちのや)の人びと

2017-04-23 06:58:19 | 思い出
いよいよ日本香堂の巡業の稽古が近づいて来た
これは稽古初日に皆さんに配る予定の作品解題として ブログ(142)「お初天神」のこと の内容を加筆したものである


味の家(ケチのや)の人びと 作品解題 吉村正人

今回の日本香堂の公演「味の家」の人びとは花登筐さんの「お初天神」というお芝居を原作にして 吉村が東京の話に代えて高度成長バブル期に入る直前の時代の中で「古き良きもの」を守ろうとする老舗料亭の女将を中心とした人々の話を作り上げました
左とん平さんが初めての女将役に挑戦していただけるということで企画しました

 花登筺の「お初天神」は元々浪花千栄子のために書かれ昭和45年名鉄ホールにて初演 
浪花さんはこの芝居を気に入り昭和47年南座にて再演 それが浪花千栄子の遺作となった
この初演の公演は敬子役に有馬稲子 その他の配役は判らなかったが花登さんが書いたもの(昭和57年一月公演パンフレット)によると 大芝居を打つ八重という役をまだ舞台経験が浅いジャズ歌手でもあった園佳也子がやったという 着付け一つとってもあまりにもひどく見るに見かねた浪花さんに手取り足取り厳しくしごかれ、それによって女優の演技開眼した作品だそうだ (しかし47年の南座の配役を見ると園は別の役・アパートのおばちゃんに回っている)さらに花登さんによると彼女は誰よりも浪花さんの演技を吸収した女優で 時折見せる演技にまったく<浪花さんの面影を偲ばせる何か>をもっているという 

それで花登が彼のTV5000本記念番組の「お初天神」に園をお千代役に抜擢した 
そして昭和57年1月(それまで名鉄公演の正月公演は10年間劇団喜劇公演だった)名鉄ホールで劇団喜劇10周年記念作「お初天神」にも園さんをお千代に抜擢 

そののち平成6年南座で園さん主役で「お初天神」を上演(この時の演出は僕) 
これは僕が松竹新喜劇の面々と初めて仕事をした記念すべき作品で このあと松竹さんに気に入られて新喜劇の演出を担当するきっかけになった

そして平成11年日本香堂の観劇会も園さんのお千代役で(演出は僕)上演した

僕の知っている「お初天神」の上演は都合この5回であるが(その外「劇団喜劇」公演で地方巡業があったらしい、それに宮園純子さんが女社長役ででていたらしい) 花登さんの初映画監督作品の「おめてたいやつ」もこの作品のアレンジであるし 僕の知っている範囲では梅コマの西郷輝彦がやった「梅田界隈」という作品も同じような筋立てだったと思う 花登先生お気に入りの作品だったことが伺える

主な配役
昭和45年名鉄ホール 千代(浪花千栄子)敬子(有馬稲子)八重(園佳也子)
昭和47年南座 千代(浪花千栄子)敬子( 鳳八千代)八重(森明子)番頭留吉(谷幹一) 
板前吉岡(沢本忠雄)仲居頭とく(初音礼子)女社長(久慈あさみ)ドングリ(早崎文司)
(この時のメンバーがこの年誕生した「劇団喜劇」の中心的メンバーとなる)
昭和57年名鉄ホール 千代(園佳也子)敬子((星由利子)八重(正司花江)番頭留吉
(高田次郎)板前吉岡(小林勝彦)女社長(月丘千秋)ドングリ(左とん平)
平成6年南座 千代(園佳也子)番頭留吉(高田次郎)女社長(阿井美千子)板前吉岡
(入川保則)敬子(土田早苗)和子(小鹿ミキ)ドングリ(曾我廼家貫太郎)
平成11年日本香堂 千代(園佳也子)番頭留吉(高田次郎)敬子(鳩笛真希)
女社長(丸山みどり)板前吉岡(宗方勝巳)八重(御園恵美子)和子(三浦リカ)

 この女社長は実在の人物で北新地のママから財を成した人物で花登さんのちょっとHな小説「銭牝」のモデルでもある

息子賢太郎は原作ではすでに亡くなっていて登場しませんが 今回は狂言回し的に出てもらった

もはや戦後ではないと言われて久しくたっているが未だに戦争の影を引きずって生きている人々が多い時代だった 今回は東京大空襲被災者 戦争未亡人 特攻くずれ 戦災孤児などのエピソードを新しく書き加えた

今回は名前は何人か変えた 
千代~久代 留吉~平助 正太郎~賢太郎 栗田~栗橋  安宅社長~山之内シヅ子 
平沼~田崎 泉常務~細川常務 玉寿司のおやじ~柴藤のおやじ とく~はつ 敬子~ゆき
玉枝~あき すず子~あすか 特に理由はない 
和子 八重 春子 吉岡 管理人の澄恵 特に理由はない

さあいよいよ稽古がはじまる
舞台が落ち着くまでブログはしばらく お休みさせていただきます
今回はいつもより長く旅に付き合う予定です





白鷺だより(234)ローマで起ったおかしなな出来事 江戸版「コメディトゥナイト!」

2017-04-20 08:10:37 | 観劇
江戸版 「ローマで起ったおかしな出来事」コメディトゥナイト!

 一番の見どころは愛之助がミュージカル初挑戦!ということしかない 
何でも器用にやる彼にとってそんなに苦労の跡が見えないくらい良くやっている
唯一の欠点は初演の主演を演ったゼロ・アステロがびっくりするくらい良く動くし 若くて二枚目だし とても史上最低の中年の奴隷には見えないところだろうか
日本にはない奴隷制度をどのように扱うのかも焦点の一つだ
 
 ユダヤ人の格言「市場に行く途中でもおかしなことは起こる」(A funnything happennd on
the way to the market)をひっかけたタイトル「フォーラムに行く途中で起ったおかしな出来事」(A tunnything happennd on the way to the Forum)いう原題を持つこの作品は日本題名
「ローマで起ったおかしな出来事」でも判るように古代ローマを舞台にしたミュージカルだ それを日本のしかも江戸時代に設定を変えて描こうなんて土台無理な相談だ まず音楽が合わない 唯一ピッタリなのは中年男たちが女中について歌うちょっとスケベ心をくすぐる歌くらいであろうか このスケベ心は洋の東西を問わないということだろうか
 高橋ジョージ ダイヤモンド・ユカイ ルー大柴 愛之助の中年4人が歌うこのナンバーはけだし見ものである ただし愛之助だけが中年に見えないのが今回の欠点である

ソンドハイムは両親が離婚した10歳の頃同級生の友達の父親であるオスカー・ハマースタイン2世(ショウボート・オクラホマ・南太平洋・王様と私・回転木馬・サウンドオブミュージックなどの脚本家)を知ることになる ハマースタインは離婚した「父親」代わりに彼を「可愛がり」ミュージカルの帝王学を授けた 
(私見だがアメリカのブロードウェイミュージカルはこうして男から男へ継承されていったことが不幸の始まりであった 日本でも亜門・青井陽治などが未だにこの世界で幅をきかしている)「南太平洋」の時「父親」の紹介で演出家ハロルド・プリンス(キャバレー。ウエストサイドストーリー・屋根の上のヴァイオリン弾き・エビータ・オペラ座の怪人などの演出)を知り後にコンビで数々の作品を生む 作詞家として参加した「ウエストサイドストーリー」や「ジプシー」のヒットの後1960年「父」ハマースタインが死んだ
その後1962年作詞・作曲として手掛けたのがこの「ローマで起った奇妙な出来事」であった その年のトニー賞を総なめした(作品賞 プロデューサー賞 脚本賞 主演男優賞 助演男優賞 演出家賞)にも拘わらず作詞・作曲のソドムハイムは賞を逃した
初演は2年半のロングランとなり5年後主役のゼロ・モステルを起用して映画化 
徳井優が演った老人役に名優バスター・キートンを使い彼の遺作となった
ソルトハイムとロビンスとのコンビはこの後「カンパニー」「太平洋序曲」「インツーザウッド」「スイニー・トッド」「リトル・ナイト・ミュージック」と続いた


音楽的にも「江戸」から遥かに遠く 後はビジュアルから美術で何とか江戸らしさを期待したが(美術・石原敬)資生堂の「花椿」のCMで有名な彼(2011年伊藤熹朔賞新人賞受賞)も力及ばず「日本の江戸」を表現出来なかった 日本建築はやはり左右対称でなくっちゃ奇妙に映る この曲がりくねった三軒の家が移動するのを見て 昔「屋根の上のヴァイオリン弾き」の演出部の時「テヴィエハウス」を音楽に合わせて動かしたことを思い出した

奴隷が「丁稚」に 売春宿が「女郎屋」に 指輪が「お守り」に変わっても 
奴隷制度がない日本ではいくら「FREE]を歌っても現実味が全くない


色々不平不満がタップリあるが これを力ずくでねじ伏せ強引に良質なエンターテイメントに仕立て上げた愛之助の力業がこのミュージカルの唯一の見どころである
客も恥ずかしくない程度には入れている ただし盛り上がりには欠けるが・・・



愛之助はこの後休む間もなく来月 明治座で歌舞伎公演が待っている よくやるよ
  

 (4月17日 松竹座にて観劇)

白鷺だより(233)10アンツ五周年記念公演「もぐらのむすめ」

2017-04-18 18:23:44 | 観劇
10アンツ5周年記念公演「もぐらのむすめ」

このテンアンツという劇団は創立からのいわく因縁を知っているだけにあんまり好きではなく期待もしていなくて見る機会もなかった ところが前回公演「コオロギからの手紙」をずーっと僕の舞監をやってもらっている朋友のIが演出協力することになり見に行かせて貰った 今回は加えてゲストにいつも一緒に芝居をやっている歌手のMからの招待をされ おっとり刀を引っ提げて伊丹アイホールまで出かけた
 
良く出来た人情話だが(上西雄大作・演出)なぜこの古臭い題材を取り上げたかが見えてこない
若い作者だからこんな老成した脚本はいただけない 
主役の福田さん(善晴)さんの大健闘が光り 女炭鉱夫をイキイキと演じた徳竹未夏の成長ぶりが目だった
舞台美術は回り盆を使って面白かった(今回も竹内志朗?)だけに残念だ

ただ僕が子供の頃に聞いた古い歌だけが耳に残る芝居だった こんな歌だ

橋美智也「おいら炭鉱夫」

オイラはナー 生まれながらの炭鉱夫
身上はつるはし 一本さ
でかいこの世の炭鉱を
掘って 掘って また掘って
いつになったら しあわせを
エー掘り当てるね
エンヤコラショ エンヤコラショ

オイラにサー 惚れる阿呆が いるものか
泥んこモグラの この体
夢じゃないかよ おねえさん
酔って 酔って また掘って
酒がさめても 好きならば
エー共にやろうね
エンヤコラショ エンヤコラショ

オイラとナー 行くは地の底 真っ暗だ
それでも心はカンテラさ
いいな人生 トロッコを
押して 押して また押して
笑い話になる日まで
エー頑張ろうぜ
エンヤコラショ エンヤコラショ
エンヤコラショ

あとで調べるとこの芝居は平成25年に公演したことのある芝居の再演である
このときは芝居小屋の小西由貴さんの演出であった
ということは多賀さんの役は芝本正さんの代役なのか

終演後ロビーで紙風船団の芝居を観させてもらった楠年明さんとお会いした
「元気なお芝居をありがとう」と言ったら喜んでくれた とにかく元気だ

4月14日 伊丹アイホールにて観劇

白鷺だより(232)松本俊夫「薔薇の葬列」「修羅」

2017-04-15 12:54:57 | 映画
松本俊夫「薔薇の葬列」と「修羅」

4月12日松本俊夫が亡くなった 昭和7年生まれだから享年は85歳
我々の世代には大島渚と並んで先生みたいな存在だった そういえば日大劇術学部の教授を定年まで勤め上げたらしい

トップホットが入っていたビルの隣に「北野シネマ」というATG専門劇場があり 興行組合のパスを示せば無料で見ることが出来た そこで上映された前衛ドキュメント映像作家の松本俊夫の初長編劇場用映画が「薔薇の葬列」だ この映画でデヴューしたピーターは続いて出した「夜と朝の間に」の大ヒットで一躍スターとなる 噂によるとピーターは水上勉の推薦だったという そういえば「その道」の人たちの情報網はすごく 僕らの頃は「枚方の喫茶店の可愛い坊や」が有名で東京まで知られていた 先輩のMさんが惚れて良く一緒に喫茶店に通った あげくの果てには近くの枚方公園でのKMT(コマミュージカルチーム)のショウまで実現させてしまった その「坊や」は現在の川崎麻世である

薔薇の葬列(1969)
エディ(ピーター)はゲイバー「ジュネ」の№1だったが 経営者の権田(土屋嘉男)と情事を持った エディは子供の頃母親の情事の相手(小松方正)を殺した過去があった 
権田と同棲している「ジュネ」のママ・レダ(小笠原修・ゲイバー葵のママ)は それを知って心中穏やかでなかった 嫉妬に狂ったレダは人を雇ってエディを襲わせ失敗する レダは権田の心を繋ぎ止めようと脅したり甘えたりするが警察の手入れで商売を潰された権田はレダを馘にした挙句に捨てる 絶望したレダは自殺する 沢山の造花の薔薇に見送られてレダの葬儀は地盤沈下で水没寸前の墓地で行われた
レダの死後 ママとなったエディと同棲した権田はエディが大切にしている家族写真をみて驚く タバコで穴が空けられているがその父親は紛れもなく自分だった 罪の深さに耐え切れずナイフで頸動脈を切って死ぬ 権田が実の父親だと知ったエディは自らの両目をナイフで潰す そして両目から血を流しながら新宿の街をウロウロ歩く 
そこへ淀川長治が突然登場
「いやあ恐ろしかったですね 残酷な運命に翻弄されるけど滑稽な笑いもあるストーリー
実に良かったですね~それでは皆さん サヨナラサヨナラ サヨナラ!」

本物のゲイボーイや当時の文化人・秋山正太郎 栗津潔 小島武 篠田正浩 蜷川幸雄らが多数出演 2丁目あたりの街には警官に追われたゲバ学生がウロウロしている
ギリシャ神話のオイディプス物語の男女裏返しのストーリー
女装したエディが一般人と並んで公衆トイレで立ションベンしているシーンが有名

 
それから二年経った
70年安保闘争も空振りに終わり 東大全共闘と対談をした三島由紀夫が市谷の自衛隊会館で自決した そのほとぼりも覚めぬころ上映された松本俊夫の劇場用映画第二弾
鶴屋南北の「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)を原作に 当時青年座の石沢秀二が歌舞伎を改作して上演した台本を元にして松本俊夫が脚本も書いた時代劇
「きらびやかな元禄時代のあと世相は濃い退廃に覆われていた 一方現代も<昭和元禄>の時代が過去のものになった 文化文政をポスト元禄として把握するように現在も<ポスト昭和元禄>といえるのではないか」という制作意図
主人公源五兵衛に中村賀津雄 相手役の小万には民芸の新人三条泰子 二人の間を取り持つ三五郎には当時人気絶頂の状況劇場の唐十郎 美術に朝倉摂

修羅(1971)
赤穂浪人・源五兵衛(中村賀津雄)は主君の敵討ちに加わろうと敵の目を欺くため酒と女にうつつを抜かしていた だが美しい芸者小万〈三条泰子)への執心にはそれ以上のものがあり 小万も源五兵衛を慕い腕に愛の誓の彫り物が 気が気でない源五兵衛の忠僕八右衛門(今福将雄)はなけなしの仇討ち闘争資金百両を主人の前に差し出すも小万の使い三五郎(唐十郎)が現れ 小万が百両で他人に身請けされるという 敵討ちのために一旦は小万を諦めようとした源五兵衛だが愛を選ぶか忠を選ぶか心は千々に乱れる 結局百両を投げ出し小万を選んだが・・・さあここからが地獄絵図 愛を選び絶望に渕に落とされた源五兵衛の凄絶な復讐劇が始まる・・・

当時の成人映画は全編カラーだと金がかかるため「そのシーン」だけがカラーとなるパートカラーという手法を使った
この映画もパートカラーではあるが それは残忍なシーンがカラーとなるという手法だった
 

白鷺だより(231)ペギー葉山

2017-04-13 11:20:46 | 人物
ペギー葉山

1 南国土佐を跡にして

この歌は第二次大戦の時 中国北部戦線で戦っていた四国混成部隊の中の高知歩兵第236部隊、通称鯨部隊が戦地で歌っていたのが元歌だ こんな歌詞だ
 
南国土佐を後にして 戦地〈中支)へ来てから幾年ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節よ

月の陣営で焚火を囲み しばしの娯楽のひと時を
自分も自慢の声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節よ

故郷の父さん 室戸の沖で 鯨釣ったという便り
自分も負けずに戦の跡で 歌うよ土佐のよさこい節よ


この名もなき兵士たちの曲を戦後 武政英策が採譜 原曲にあった戦争を思わせる歌詞を集団就職の若者をイメージさせる言葉に変えてまず丘京子盤を1953年に発表 
この時は「民謡・南国土佐を後にして」武政英策 補作・編曲となっている

それが次に鈴木三重子盤(1955)となると武政英策作詞・作曲となって現在に至っている 

この鈴木三重子盤を聞いてレコーディングしたのが1959年ペギー葉山盤である
1958年冬NHK高知放送局開局記念番組でペギーが登場してご当地ソングとしてこの曲を歌って(参考にしたのが鈴木三重子盤)好評だった 翌年レコーディングされ意外にもテレビ時代の最初の大ヒット曲となり100万枚を突破して 日活で映画化して大ヒット その年の紅白でもこの曲を歌った なおこの時の映画「南国土佐を後にして」がヒットして小林旭の「渡り鳥シリーズ」が始まった

 個人的なことだが僕が関学の学生だった頃 学校のある兵庫一区の選挙の常連だった原健三郎(自民党)は政治家としてよりも我々には「渡り鳥シリーズ」の原案・脚本家として有名であった 調べると日活で児井英生プロデューサー作品ばかり15本もの映画の原作・原案・脚本家としてクレジットされている 体のいい政治献金かと思っている 

1959年公開された小津安二郎監督の映画「浮草」で旅芝居の一座の座員の加代(若尾文子)が踊っている曲が「南国土佐を後にして」である

2 学生時代(1964)

僕のブログ(150)に僕の学生時代の思い出と共に詳しく書いた

3 ドレミの歌
 もちろんミュージカル「サウンドオブミュージック」の中の曲だが1961年ペギー葉山が訳詞して自ら歌ってヒットした マリア先生がトラップ一家の子供たちに音楽の楽しさを教えるシーンでの曲で のちに音楽の教科書にも採用された
ペギーは1960年8月ロスアンゼルスで開かれた「日米修好100年祭」に日本人代表として招かれ出席した後ブロードウェイに立ち寄り 丁度上演していた「サウンドオブミュージック」を観劇 感銘を受け ロビーで譜面とオリジナルLPを買って そのままホテルへ直行して一番を訳詞して日本に持ち帰った 

当初音名に対応する言葉をすべて食べ物にしょうとしていたが(ドはドーナツだけが残った)「ファ」にあてはまるのが「ファンタ」しかなく商品名となるため諦めて「ファイト」にした ずっーと後 夫である根上淳を介護していた時夫を励ます度に「ファイト」で良かったと思ったとしみじみ語った

4 爪 (1964)平岡精二作詞・作曲

二人で暮らしたアパートを 一人ひとりで出て行くの
済んだことなの今はもう とてもきれいな夢なのよ
あなたでなくて出来はしない すてきな夢を持つことよ
もうよしなさい 悪い癖 爪を噛むのは良くないわ

若かったのねお互いに あの頃のことウソみたい
もうしばらくはこの道も 歩きたくない なんとなく
わたしのことは大丈夫よ そんな顔してどうしたの
直しなさいね 悪い癖 爪をかむのは良くないわ

一番の歌詞「あなたでなくて出来はしない すてきな夢をみることよ」に何度励まされてきたか

5 ラ・ノビア(1962)

白く輝く 花嫁衣裳に 心を隠した 美しいその姿
その目に溢れる ひとすじの涙を 
私は知っている アヴェ・マリア
祭壇の前に立ち 偽りの愛を誓い
十字架に口づけをして 神の許しを願う
その目に溢れる ひとすじの涙を
私は知っている アヴェ・マリア

NOVIAはスペイン語で花嫁 婚約者(女)
逆に花婿 婚約者(男)はNOVIO

ぺギーさんゆっくりお休み下さい 合掌