白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(213)LA・LA・LAND

2017-02-28 17:25:26 | 映画
   LA・LA・LAND

アメリカンニューシネマの先鋒と言われる「俺たちに明日はない」が出来てから50年ということで主役の二人ポニー&クラウド、フェイ・ダナウエイ(76)と ウォーレン・ベイテイ(79)とが今回のアカデミー賞作品賞のプレゼンターを仰せつかった
「さて今年の作品賞(ベストピクチャー)は・・」
受け取った封筒を開けてベイテイは一瞬戸惑って黙ってしまった 
「この人やっぱり呆けたのかしら」とダナウエイはその文字を見て叫んだ
「ラ・ラ・ランド!」
大歓声の中ラ・ラ・ランド関係者が立ち上がった
オスカーを受け取った関係者が喜びを言葉にして挨拶を始めたが その後ろでアカデミー賞関係者がザワザワと騒ぎ始めた やがて説明を受けたラ・ラ・ランドのプロヂューサーがスピーチを遮り「間違いです、これはジョークではない」と正しい紙を客席に示した
そこには「ムーンライト」と書かれていた プロデュサーはオスカーを「ムーンライト」関係者に渡し健闘を称え祝福した

(ウォーレン・ベイテイはそこに「主演女優賞 エマ・ストーン ラ・・ラランド」と書いてあったので発表を戸惑ったのだった つまり封筒の渡し間違いということである)

去年一昨年とアカデミー賞受賞者が全員白人となり旧態依然の「白人至上主義」「白いオスカー」などと批判が続いたため今年のアカデミー賞はラ・ラ・ランドが最有力と言われているが もしかしたら黒人ものではないかという予想はあったので驚きもしなかった

それにしてもラ・ラ・ランドはよく健闘した 最優秀主演女優賞のエマ・ストーンをはじめ監督賞のデミアン・チヤゼル 作曲賞 撮影賞 美術賞 音響編集賞の6部門を受賞

この映画をイギリス旅行中に僕がつたない英語力で初めて海外の映画館で見た映画として記憶されるであろうこの「LA・LA・ランド」はいかにも映画らしい映画である

こんな映画だ
女ミアの夢は一流の女優になること そのため撮影所の近くの喫茶店でアルバイトをしながらオーデションを受けまくっては落ちまくっている
男セブの夢はジャズバーを自分で開くこと そこで自分の好きな曲を思う存分弾くこと そのためにひとまず小さなジャズバンドに入った
二人は助け合いながら夢に向かって進むが時にはたまには衝突することも・・・
ミアはあるオーデションに合格します そのためにパリへ行かなくてはならない 男はLAで仕事を続ける たとえ二人は離れていても・・・
五年の月日が流れます ミアは有名女優になって子供までいる しかし横にいるのはセブではない 彼女は子供を預けて旦那とデート どこからともなく流れて来るジャズ
二人が入った店の看板を見て彼女は驚く 昔セブと一緒に考えたデザインの看板のロゴ
セブは自分の夢であったジャズバーを経営していた ミアに気づいたセブは思い出の曲を弾きながら「もし二人が結ばれていたら・・・」と それはミアも同じでした 演奏が終わって席を立つミア 振り返るとセブと目が合います そして二人は微笑んで別れる・・

映画の頭からダンスシーンが思いっきり入って 気持ちのいいミュージカルとなっている
これぞ映画の醍醐味だ

もしかして政治的な配慮で暗い黒人の同性愛者の一生もの(ムーンライト)よりこちらの方が作品賞に値すると思った人たちが無理やり封筒の渡し間違いをしてLA・LA・ランドの仲間たちに一時の受賞の喜びを味わいさせたような気がする
 
( 1月24日 イギリス ストラトフォードシテイにあるVUEにて鑑賞)

白鷺だより(212) 人生まわり舞台

2017-02-26 19:41:53 | 観劇
「人生まわり舞台」

       人生は廻り舞台 
       人は皆 役者である  (シェークスピア)

関西俳優協議会が50周年を迎え その記念公演として「人生まわり舞台」を上演するということを聞いたのはその記念総会の席で現会長の西園寺章雄さんからだった
その半年後ご招待を受けて吹田メイシアターまで見に行った 作者の梅林さんはじめ懐かしい人々に随分会った

関西俳優協議会50周年記念公演
原案・脚本 梅林喜久生
構成・演出 西園寺章雄
   人生まわり舞台 二幕


「役者いうもんはな 所帯じみてしもたら一巻の終わりや
心のむくまま 足のむくまま 芸に命を懸ける
これが市川寿三郎の生きざまや」


昭和58年のことである ということは34年も前のこと
それまで名古屋名鉄ホールの正月公演は花登筐の劇団喜劇の公演が15年間続いていたがこの年から藤田まこと公演となったのである 
関西の喜劇は花登喜劇から藤田まことへ時代は確実に動いていた
この時の公演が旅役者駒十郎日記「人生まわり舞台」であった 
原作野田高悟 小津安二郎 脚本 梅林喜久生 演出 竹内伸光 主役は藤田まこと 他に西村晃 林美智子 辺見マリなど
原作者の名前がこの芝居が大映映画・小津安二郎監督「浮草」(1959)を下敷きに書かれたことを示していた
この公演がその年の10月梅田コマで再演され この時以来我々はじっくりとこの芝居を見ることになるのである 
長門裕之 林美智子 西川峰子 芦屋小雁 永井秀明 藤田美保子らの共演であった
今気づいたが名鉄ホールには荻原章生さんという専属の装置家がいらっしゃったので名鉄発のこの芝居も美術は彼なのだが我々はてっきり竹内志朗さんとばかり思っていた
そして評判が良く次の年でも名鉄ホール正月公演として続編「おけらの花道」が上演され
梅田コマでも再演された 共演は宮園純子 遠藤太津朗 西川峰子 小雁 花記京

小津の戦前版映画「浮草物語」戦後版{浮草」との大きな違いは駒十郎の子供が息子ではなく娘であるというところがミソだ(これは藤田のアイデアだと聞いた)ラストの腹芝居につながっていく 劇団内の女が若いスミ子だけというところも違う 映画版は副座長格の愛人京マチ子がいてその弟子の若尾文子は息子川口浩と出来てしまう 先代からの頭取 吉右衛門がいるのも違う 最後は京マチ子と汽車に乗って去っていく

僕が最後に藤田さんのこの芝居を見たのが明治座の平成17年(パンフレットに挟んであった切符の半券は9月19日のものであった)だから初演から23年たっていた この時の相手役は中村玉緒が急遽休演してかとうかずこが代役であった その間梅コマでの再演 新コマでの再演 明治座での再演と殆どの公演を見て来た この間 下働きのおしげ役はずーっと山口京子であった 春之丞の芦屋小雁も皆勤賞なのかな


 
さらにそれから11年後の「まわり舞台」である その間に演出の竹内伸光 音楽の加納光記 それに座長藤田まことを始め 西村晃 長門裕之 ハナ肇 永井秀明 花記京 大山克己 遠藤太津朗 松田明 鈴木淳ら共演した役者も亡くなった

さて今回の間俳協の公演は第一幕と二幕とでは役者を変えての公演だ 昭和33年が一幕
昭和43年と53年が第二幕 一幕では若手が(宇仁菅 真・増田久美子)二幕はベテラン(大竹修造・和泉敬子)というわけだ
大衆演劇が華やかし頃の一幕 テレビが出来て下火になる二幕

開演前西園寺に出来を聞いてみた
「及第点じゃないですかね」という答えだった
しかし
梅林さんが危惧した人情劇と新劇では水と油ではないか?という問いはその通りになった
一幕の若い主役二人は何とか勢いでいける(映画版では杉村春子がやっていたこの役をこんなイメージもあるのかと思わせてくれた)二幕の芳江役の和泉敬子は好演だが一幕の初めての立ち回りや踊りはご愛敬として 仕出しのちょっとした芝居も積み重なっての人情劇なのにという部分が目立ち 前評判の良かった大竹の演技は(背中の曲がり具合なども)いかにも藤田の真似でございという部分が前に出て感動には程遠い出来に思えた 
とはいえ隣に座った殺陣を担当した細川純一などは男心の壺に入ってしまってずーっと泣きっぱなしだったが・・・ 
そういえば大竹はデビュー作で「てなもんや三度笠」の二軍としてカメラテスト版藤田まことの「あんかけの時次郎」役をやっていたっけ
似ていて当然だといえよう それが彼にとって不幸だとしても・・・
岡大介などは人情劇には山ほど出てるのに何であんな芝居をするのだ 
この役の先輩の花紀京は何の芝居もせずいい味を出していたのを見ていただろう 
良い芝居をしていたのは吉右衛門通し役の要冷蔵 春之丞の千楽一誠 新太郎の高羽ひろき 特に高羽は歴代の有名スターがやっていたこの役を一番うまくやっていた

ここは皆が笑ったのに ここでは皆が泣いたのにと二幕中ずーっと思って見ていた
生前は役者としてあんまり評価出来なかったが改めて
「藤田まことは上手い役者だったんだ」
と思った
 
  (2月25日 18;30~吹田メイシアターにて観劇)

白鷺だより(211)鈴木清順 死す

2017-02-24 19:10:54 | 人物
鈴木清順 死す

2月13日 鈴木清順が亡くなった 享年93歳

松竹戦後一期生の落ちこぼれ助監督が新天地 日活に入ってさて活躍出来たのか
その風体のあまりも汚さでダンディな木下恵介に嫌われ もっぱら地味な岩間鶴雄監督の専属助監で過ごした 小津安二郎に「監督になろうと思ったらそんな安い酒を飲んでいちゃあいけません」と言われ続け いい酒を飲むために少しでも待遇のいい(松竹の三倍)日活に先輩西河克己の紹介で移籍した

日活では野口博志に師事しての相変わらずの助監督家業 僕たちは「銀座旋風児シリーズ」で助監督の鈴木清太郎という名前を何度も見た 改名した清順という名前を意識したのは野川由美子で撮った田村泰次郎原作「肉体の門」からでその前の「野獣の青春」(宍戸錠)や今東光原作「悪太郎」(山内賢)あたりからボチボチ注目されてきた
 
大学に入ったばかりの僕が最初に見た鈴木作品は同じく今東光原作の「河内カルメン」(野川由美子)であった(1966年)
 
続いて同年に撮った「東京流れ者」(渡哲也)はラストシーンを会社によって撮り直しさせられたという噂が流れた なるほどピストルと同時にホリゾントの明かりを変えるとか人工照明を多用して変な作品だった 現在のように色を混ぜるという技術がなかったため原色のままで色が変化する 「ラ・ラ・ランド」の監督のチャゼル監督はこのピストルミュージカルに影響を受けたと言っていた

同じ年の名作「けんかえれじい」(高橋英樹)は原作にない北一輝を出し我々ノンポリ学生に近い将来政治の時代が来るが参加するか?という問いを投げかけた
脚本の新藤兼人は余りにも脚本を触りすぎたためこれは自分の作品ではないと言っていた
この北一輝を演じた役者は緑川宏という大部屋役者であった この映画で注目されるが翌年鈴木清順が会社を辞めさせられるという事件の中自殺する
この映画のヒロインであった浅野順子は可愛かったが二年後当時超売れっ子司会者であった大橋巨泉と結婚してしまった

勢いに乗った彼が翌年に撮った具流八郎(脚本家グループのペンネーム鈴木清順 木村威夫 大和屋竺 田中陽三 曽根中生 岡田裕 山口清一郎 榎谷泰明の八人)脚本の「殺しの烙印」(宍戸錠)は若い映画ファンに熱狂的に支持されるが 日活社長堀久作は激怒「訳が判らない映画を作って貰っては困る」と名指しで非難し 電話で一方的に専属契約を打ち切る旨通告した これに抗議する支持者は「鈴木清順問題共闘会議」が結成しデモなども行い 社会問題に発展した
この映画は当然見ている 本当に訳が判らない映画だった(笑)
そして10年間の空白期間がある
この首になっている間に大和屋竺と一緒に手伝ったのがテレビドラマの「ルパン三世」であったという
そして独特のヤギ髭を生かして役者としても活躍した

さてすっかり悲劇のヒーローとなった鈴木清順だったが10年間映画製作は出来なかった1977年漫画原作者梶原一騎が金を出して「悲愁物語」を、1980年荒戸源次郎制作「ツゴイネルワイゼン」を完成させテント興行という形式で上映 以後「陽炎座」「カポネ大いに泣く」「夢二」「ピストルオペラ」「オペレッタ狸御殿」などの作品はあるが 金を使いすぎた作品に仕上がっており「あの頃」のような勢いはなく僕は買わない

何かのテレビ番組を見ていたら鈴木清順がゲストで出ていて 急に僕の弟はNHKの鈴木健二ですと言った 
二人は余りにも共通点がないので驚いた

結局 鈴木清順はあの1966年一年のみを駆け抜けた監督であった

それは僕たちも訳の判らない何かに向かって突き進んでいった一年でもあった


白鷺だより(210)松竹座二月花形歌舞伎

2017-02-22 17:21:54 | 観劇
 松竹座二月花形歌舞伎観劇

 松竹座二月の歌舞伎は花形歌舞伎と銘打っているが人気の松也や光輝時代から知っている又五郎以外は殆ど馴染みがない役者が揃った 
はて誰が誰の御曹司かさっぱり判らぬ ちょっと調べて見る

中村又五郎 二代目中村歌昇の次男 1981年三代目歌昇を襲名
     2011年 三代目又五郎を襲名 鬼平などのレギュラーで活躍
     兄は歌六 二人の子供は四代目歌昇 初代種之助 屋号は播磨屋

中村歌昇 又五郎の長男

中村種之助 同 次男

中村梅枝 四代目中村時蔵の長男 屋号は萬屋

中村壱太郎(かずたろう)四代目中村鴈治郎の長男 母親は吾妻徳弥(吾妻流家元)

尾上松也 父は6代目尾上松助 母は新派女優の河合盛恵 祖父は新派の春本泰男
     妹は新派に入った春本由香   屋号は音羽屋
尾上右近 尾上流 父は清元宗家七代目清元延寿太夫 母親は鶴田浩二の長女千尋
    屋号は音羽屋
    昔鶴田公演についていた時代々娘さんが岡持ちをもってお付きをしていた
    そのラストが今の鶴田さやかであった このお姉さんもそうだったのかしら

坂東新悟 坂東好太郎の孫 坂東弥十郎の長男 屋号 大和屋 

さてこの8人が繰り広げる 午後の部の出し物は

「ご挨拶」 尾上松也(日替わり)

「祇園祭礼信仰記 金閣寺」
 
雪姫 梅枝
此下東吉 真柴久吉 歌昇
慶寿院尼    新悟
十河軍平 佐藤正清 種之助
松永鬼慶太 右近
狩野之介直信 壱太郎
松永大善   又五郎

河竹黙阿弥 作 「連獅子」
狂言師右近 親獅子の精  松也
狂言師左近 子獅子の精  右近
 
   (2月17日 午後の部 観劇)

白鷺だより(209)中止になった「おもろい女」

2017-02-20 08:23:42 | 思い出
  上演中止の「おもろい女」

藤山直美主演の「おもろい女」が上演中止になった 
直美が乳がんが発見され治療にあたるためだという 
中日劇場も新歌舞伎座も前売りが好調なだけにショックだろう
稽古に入る直前の中止発表 
ガンが初期段階だったら二月くらい手術を延ばしても問題はないと思われるが なにせ病気のことである 
本人の意思を尊重した結果だろう
この公演は僕も期待していて中日、新歌舞伎座空いている方を見せてもらう予定であった

それにしても東京稽古は21日からの予定であった 
大阪の役者のTなどはすでに荷物を送った後だったのですぐ送り返してもらったらしい

さて両劇場ともポッカリと舞台が空いてしまうのだが どのように埋め合わせをするのだろうか

この「おもろい女」 僕は1965年NHKのドラマで見ている
データベースで見て見ると
1965年9月18日20:00~21;30
主な出演 森光子 藤山寛美 井上孝雄 林美智子ら
脚本 小野田勇
演出 境 正顕
制作 棚橋昭夫



秋田実役の井上孝雄だけが印象に残った 森光子と寛美のコンビはそれほど良いとは思わなかった まして子役で藤山直子(直美)が出ていることも覚えていない ファンだった関係で若き日の森光子を演った林美智子は覚えている 

井上孝雄の演技が強烈で秋田実のような漫才作家になろうと思った 
その後彼が名付けた「コマモダン寄席」に就職するとは考えもしなかった 
ましてや彼と読売の有川さんと共に組織した「笑の会」の手伝いをするとは思いもしなかった 
そのころ立て続けに出版されて仕事上必要とした「秋田実名作漫才選集」「私は漫才作者」「日本語と笑い」「ユーモア辞典」などの彼の著書の熱心な読者になろうとは・・・
こうして見ると僕がコマモダン寄席トップホットに入ったのも偶然とは言い難いのだが さて・・・

その次この芝居を見たのは
1977年4月 新宿コマでの堺正章喜劇特別公演 
マチャアキ・ナオコの「おもろい恋の物語」である
作 小野田勇 演出 松浦竹夫 
わらわし隊として赴いた中国戦線でのワカナ(研ナオコ)・一郎(堺正章)の活躍を面白おかしく描いたもので作品としてはいい出来ではなかった
共演は有島一郎 曾我廼家五郎八 小野やすし 緋田景子ら

その次は1978年の芸術座での「おもろい女」である 作者の小野田さんがめずらしく力を入れて書き直した脚本は森光子 芦屋雁之助の好演により最高の作品として出来上がった この初演を見た僕が梅田コマの制作のNさんに是非大阪で公演をと進言し、上演に動いて貰ったが森光子がどうしても大阪では上演出来ないと断り続けた話は前にも書いた
そのため相方の玉松一郎役を好演していた雁之助の名演技は大阪の人は見られなかった
翌年の再演で芸術祭大賞を受賞して以来コンビで再演を繰り返していたが2004年雁之助が死んだあとは段田安則が一郎役をやることになってから大阪の公演が決まる
この公演は梅田芸術劇場で見たが やはり段田じゃ荷が重かった

そのワカナを直美が演じる 相手役は渡辺いっけい 秋田実は田山涼哉だそうだ
去年東京での公演が好評だったための名古屋・大阪公演だろうが病気では仕方がない
直美さんは妹(扇治郎の母)をガンで失くしているので人一倍ガンには注意していたと聞く それゆえの早期発見だろうが取り合えず3月4月は休演が決まった 7月の演舞場も休演が決まった(いつものように中々決まらない松竹だが演目発表前で良かった)
10月のシアタークリエの公演は高畑淳子の復帰公演でもあるのでそのままである
無理せずキッチり直して再起してもらいたい