白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(341)ジュリーの輝いた3年間

2018-10-28 10:09:26 | 人物
ジュリーの輝いた3年間

今月の17日 
さいたまスーパーアリーナで公演予定の沢田研二70イヤーズライブ「オールド・ガイズ・ロック」が「契約上の問題」で突然中止になった
その契約上の問題というのはジュリーこと沢田曰く「客席を満員にする」という契約だった 定員9000人のアリーナは7000人しか集まらなかったのだ その空席を隠そうとしているのをジュリーに見つかり中止となった

 ミヤコ蝶々の公演で京都南座に行ったときに終演後先生(蝶々)と一緒に行くコースの中に とあるゲイバーがあった 
その店の着物姿のママ(?)がいつも言っていた 
「ジュリーは私が作ったの」
売れる前のジュリーこと沢田研二の面倒を見ていたというのだ
ことの真意はともかくそのころ京都にはこのような伝説が多々あった 

彼らのファニーズ時代に住んでいたという岸里の「明月荘」
僕の天下茶屋時代までまだ残っていた(千本南一丁目)
3帖の部屋3っつにジュリーとタロー(沢田、森本)ピーとサリー(瞳、岸部)トッポ(加橋)は一人(階段下の狭い部屋)
僕も三国のアパート階段下の三畳間で3000円
関学近くの銭湯がそうだったように近所の銭湯「泉」は男子も洗髪料を取ったのだろうか ここから彼ら5人は「ナンバ一番」に通っていた(白鷺だより135参照)

昭和41年 このファニーズのなんば一番のファンクラブの会長がビートルズのファンクラブの大阪支部長であったのでメンバーは来日公演の切符を手に入れてくれて武道館公演を観にいった 前座で出ていた寺内たけしとブルージーンズのボ―カル内田裕也から前に東京に呼んでやると言われていたがこの時会えなかった やがて内田はナベプロのマネージャーを連れてなんば一番にやってきて「オーデション」が行われ その場で契約となった
11月上京 すぐに「ザ・ヒットパレード」に初出演 同番組のディレクター兼作曲家のすぎやまこういちが大阪出身だからとの理由で「ザ・タイガース」だと名付けた 

昭和42年 2月デビュー曲「僕のマリー」5月「シー・サイド・バウンド」8月「モナリザの微笑み」続けてヒット曲を連発 グループサウンド(GS)ブームの頂点に立ったが長髪だという理由でNHK紅白には出場出来なかったし レコード大賞も無冠だった
そのうえ彼らが目標としているロックの世界からも「商業主義の歌謡曲」と切り捨てられた 
大晦日歌舞伎座で行われたTBSの「オールスター歌謡大行進」に出場 
多くの歌手がそのまま紅白に流れたがタイガ―スはそれでこの年の仕事収めだった

昭和43年 1月「君だけに愛を」ウエスタンカーニバル出演
(この月佐世保に原子力空母エンタープライズ号入港 同世代の学生入港阻止活動)
2月3月 初主演映画「ザ・タイガース 世界は僕らを待っている」撮影
撮影、テレビ出演 ジャズ喫茶でのライブ レコーディングと大忙し
4月 映画封切 主題歌として沢田がメインで歌う「銀河のロマンス」発売
B面は加橋がメインボーカルの「花の首飾り」のちにこちらの方がA面となる
ジュリーにとって最大の屈辱を覚え これがスーパースタージュリーを作る原動力となる
4月末 アメリカコロンビア大学全学スト(いちご白書)5月 カルチェラタン闘争 
6月東大全共闘全学ストに突入 同世代の学生たちは政治の世界に突入する
次のシングルは5月発売の「シーシーシー」だ これまでの橋本淳・すぎやまこういちコンビではなく 安井かずみ・加瀬邦彦コンビだった
8月日本初のスタジアムライブ後楽園で「ザ・タイガース・ショウ 真夏の夜の祭典」で15000人集めた
10月社会派の「廃墟の鳩」をアイドルでありながらメッセージソングを歌う
同月新宿騒乱 国際反戦デー 同じころ主演第二弾映画「ザ・タイガース 華やかなる招待」クランクイン
12月8枚目のシングル「青い鳥」発売 アメリカ旅行 ロス ニューヨーク ジュリー・瞳のみがブロードウェイで「ヘアー」を見る ジュリーのみベガスでシナトラショウを見てハワイで合流 その日日本では3億円事件起きる ずっと後にジュリーは「悪魔のようなあいつ」でその犯人役を演じる
12月19日 映画公開 数日後加橋は一月いっぱいでタイガースを辞めたいと発言
しかしスケジュールは半年先まで決まっていた
この年もタイガースはレコード大賞には無縁で 紅白にも選ばれなかった
GS代表としては昨年からブルーコメッツが出場した

その後 タイガースは昭和46年1月 解散した 沢田がファニーズに加入したのが
昭和41年1月だったので5年ちょっとの活動だった
その間昭和44年加橋かずみが脱退 代わりに岸部シローが入った
同じ年瞳みのるが解散を主張 結局翌年の万博まで続けることで合意
この時点で瞳以外は今後も芸能界で生きていこうと決めていて 瞳は完全に引退して大学受験を目指す予定だった 
別れしなに瞳は他のメンバーに言った
「十年後に合おう 君たちはきっと乞食になっているだろうが」
瞳は慶応大学文学部に進学し卒業後慶応高校の教師となったが 他のメンバーは乞食にはならなかった
沢田研二はソロ歌手となり70年代のスーパースターとなり今も現役である
岸部修三は昭和50年俳優となり芸名を岸部一徳として活躍
加橋かつみはソロミュージシャンとして活躍 音楽プロデューサー
森本太郎はギタリスト 作曲家 プロフィールとなった
岸部シローはタレントとして活躍していたが自己破産し その後脳内出血で倒れた
(このうち僕が会ったのは北島音楽事務所時代の加橋かつみだけだ)

平成元年 昭和が終わった年の紅白歌合戦に「ザ・タイガース」が出演(瞳は除く)
「花の首飾り」「君だけに愛を」をメドレーで歌った
彼らが一世を風靡した時代には出演させなかったNHKが彼らを昭和の代表と認めたのだ
(沢田はソロデビューした昭和47年以降17回紅白に出場している)

今回のドタキャン事件は興行会社がバイト代でも払ってでも残り2000人集めて満員にすべきだったと思う
スーパースタージュリーの客席に空席などないのだから

白鷺だより(340)天才少女漫才師が見た「おもろい女」

2018-10-14 18:42:03 | 思い出
天才少女漫才師が見た「おもろい女」

前史  
 父は興行師 母は出雲高子という看板女優の一座の子供として北海道の歌志内の劇場で生まれた歌江が7歳の時一座の漫才師英二・ヒットのヒットがドロンしたため急遽英二の相方に抜擢 24歳と7歳 ギターと三味線 この異色コンビは2年間続くが 英二そのうちが劇団の花形女優と出来てしまい東京行きを歌江の両親に申し出る 両親は許す条件として歌江と4歳になった妹の照江とコンビを組ませ仕込んで一人前の少女漫才にしてからという 二人は必死の英二に仕込まれ「ものになった」のを見届けて英二は東京に立つ
それから東京で都上英二・東喜美江のコンビで売り出すこととなる

新興芸能 
歌江・照江の姉妹少女漫才もどうにかこうにかお客に受けるようになり名古屋の劇場に出ているときに神戸の興行師「岡田のおっちゃん」に見いだされ大阪の新興芸能に所属することになる 新興芸能のその頃 吉本の芸人多数を引き抜き立ち上げた松竹系の興行会社で兎に角一組でも多く芸人を集める方針にうまく乗ったのだ
漫才の本場大阪道頓堀の浪花座での舞台は大成功 いきなりの大きな舞台でしかも12歳の歌江と7歳の照江が大人をさしおいて三つ目の出番だ 新興芸能の文芸部長で後に関西漫才界の大御所となる秋田実の抜擢だった 二人とも男装で髪の刈り方も洋服もボーイッシュでギターを抱えて唄といませなしゃべくりをやる 受けに受けた 二人は天才少女漫才とよばれ看板にも大きく似顔絵が描かれるようになった ギャラは一か月700円 これは当時の大阪府知事と同じ トップクラスはミス・ワカナが1300円 ラッパ・日佐丸が1200円とごくわずか 夫婦漫才で400円500円はいい方で100円クラスがゾロゾロいる中での700円 皆からのいじめは中途半端なものではなかった 
いじめる大人たちがいるかわりに可愛がってくれる師匠たちもいる ミス・ワカナ ラッパ日佐丸 花柳貞奴 日佐冶・日佐一 東声・小柳 らである 中でも特に目を掛けてくれたのがミス・ワカナである

ミス・ワカナ
ミス・ワカナ 玉松一郎コンビは当時最も人気があったコンビで特にミス・ワカナは漫才界の神様みたいな存在で怖いものなしのワンマンだった だけど単なるワンマンではなく面倒見の良さでは定評のある人だった 例えば旅に一緒に行くと行く先々の待遇が下のものまで違う 座長である師匠が興行師に「座員にもなじ事したってや そやないと舞台あがらへんで」と喜を使ってくれるからだ 泊まる宿も食事も何から何まで全部同じ扱い
芸があって人気があって おまけに周りに細かく気を遣う これでは慕われない方がおかしい 「うちも大人になったらワカナ師匠みたいな漫才師になりたい」若き歌江はそう思って偉大な漫才師をあこがれのまなざしで見つめるのだった 
後年かしまし公演では歌江師匠のおかげでスタッフの僕たちまで良い目をさせて貰った

ヒロポン
ヒロポンは大手製薬会社の大日本製薬で出していた製品名で 他にも別の名称で売り出していたがヒロポンが一番有名だったので そのまま当時の覚せい剤の代名詞となった
薬局でも普通に売っており2ccのアンプル10本入りが2円50銭ぐらいで買えた
最初は軍隊用に発売されたが受験生 作家 芸人と広がっていきやがて楽屋のあちこちで気楽にヒロポンを打つ光景がみられた 
食事をする 酒を飲む それと同じような感覚でヒロポンを打っていた

ある日ミス・ワカナが出番前に各部屋を廻り 少女漫才の二人ににも「よろしくお願いします」と丁寧に挨拶したことがあった 
楽屋の人間はびっくりして又胸騒ぎを覚え 舞台袖に集まり見つめていると 目を背けたくなるような光景が展開した
鮮やかな話術 うまかった歌はどこへいったのか舞台はメチャクチャだ 師匠は顔中脂汗を流して同じ話ばかりを延々と繰り返していた
相方の一郎は真っ青な顔でワカナの体をさすったりおろおろしてるばかり
はじめは静まり返って戸惑っていた客も師匠の異常さに気が付き尊前となって汚い野次まで飛んだ
「おい!ワカナ!何喋ってんのかさっぱり判らへんど!」
「その歌は今聞いたやないか!しっかりせんかい!!」
師匠の舞台でこんな野次が飛ぶなど前代未聞
観ていた歌江は呆然となりガタガタ身体が震え始めた 悲しみで胸がふさがる思いだった
目を覆いポロポロポロポロ涙を流し続けた
這う這うの体で舞台を下りると一郎目にイッパイ涙を浮かべワカナを叱りつけたのだがワカナはしょんぼり肩を落として
「何にも覚えとらへん」
とつぶやくだけだった

この地獄絵を見て「絶対ヒロポンには手を出さない」と誓った歌江もやがてその毒牙にかかってしまう

ワカナは昭和21年阪急西宮球場での演芸会の仕事が終わり付き人に預けてあった薬をうけとり 西宮北口のホームで打っていて心臓発作で死んだ 36歳の若さだった
この付き人は後の森光子だという 薬はナルコポンだった


白鷺だより(339)岡本喜八の「血と砂」・「肉弾」

2018-10-08 15:10:33 | 映画
 岡本喜八の「血と砂」・「肉弾」



1965年公開 三船プロダクション 脚本・監督 岡本喜八
「血と砂」
文春の映画コラムで春日太一氏が絶賛した「血と砂」を観てみた

 何故こんなタイトルを付けたのだろう スペインの闘牛士を扱った戦前の映画(ヴァレンチノ主演1941)でもあるまいし(原作はブラスコ・イパ二エスの同名小説)僕だったら「鬼軍曹と13人の音楽隊」とでも付ける そうこの映画の主人公はこの少年たちだ

戦争末期の中国大陸 台頭してきた八路軍との攻防に明け暮れていた
映画は いきなり彼らの演奏するデキシーランドジャズの「聖者の行進」で行進するシーンから始まる 
三船演じる曲がったことが嫌いで絶えず上層部とぶつかる軍曹との出会い 
そして何故かこの軍曹を追っかけてきた朝鮮従軍慰安婦のお春・団令子(この二人のなれそめは最後まで明かされない)

向かった部隊は仲代達矢隊長が率いるとある部隊 
八路軍にヤキバ砦を奪われたため その時敵前逃亡をした若い下士官を銃殺したところであった
その隊には要領良く出世した名古屋章軍曹や元板前の古参兵佐藤允、葬儀屋の万年二等兵伊藤雄之助、戦争拒否の通信兵天本英世がいた 
お春は他の慰安婦たちと商売、商売
彼らは皆少年たちの演奏する「ふるさと」や「青葉の笛」に涙する
(決して軍歌:や「海ゆかば」や「君が代」などの官製音楽は演奏しないところがいい)
この隊の鬼隊長の仲代がで毎晩慰安所で飲んではいるが「童貞」なのも面白い

色々あって三船は砦奪還を命令される 三船は同行を少年たちに指名する
あと「大人」として佐藤、伊藤、天野も指名する

コンダクターは元ピッチャーだ 彼の投げる手榴弾は抜群のコントロールで砦を奪還する
天野の無線で本隊に連絡すると食糧を送るという そのトラックに乗ってお春もやってくるが敵に襲撃され全滅 
辛うじて生き延びたお春は這う這うの体で砦に来る
三船はお春に頼んで少年たちの筆おろしをしてもらう
「よろしくお願いします」「ありがとうございました」一人一人が大人になって行く

爆撃の恐怖に怯えていた少年たちも「守るべきもの」が出来 また三船や佐藤に導かれ江徐々に逞しくなっていく姿が痛々しい 
捕虜にした少年ゲリラが寂しそうだったのでフルート(少年たちはみな楽器名で呼ばれている)が傍でフルートを吹いてやるが翌日戦死
「ビルマの竪琴」のように音楽は万国共通ではなく世界を救わないという思想で貫かれている

 銃殺されたその下士官が三船の弟だとお春から聞き 彼が部隊にやって来た理由が判る
やがて三船も佐藤も天野も孤軍奮闘の末戦死する 
銃弾を使い果たし激しい銃撃にさらされた少年たちは武器を捨て楽器をもって「聖者の行進」を演奏するが全滅
1人生き残った伊藤も逃がしてやった少年ゲリラが何やら叫びながらやってくるのに思わず撃ってしまう 
その腰に貰ったフルートがさしてある少年の手には終戦を知らせるビラがあった 
伊藤もやがて撃たれて お春一人が生き残ってしまった
その日は8月15日であった

現在問題になっている従軍慰安婦問題などふき飛ばすほど このお春は明るい
三船は死んでいく前にお春に自分がもらった勲章を渡す「ありがとう」



さてもう一本の「肉弾」だがATGの製作配給で岡本が借金して作った作品(1968) ナレーションが仲代達矢



主人公「あいつ」(寺田農)は岡本監督の分身だ 瓶底メガネのヤセッポチのインテリ青年
沖縄戦のあと上陸してくる戦車に特攻をかけるべく手榴弾をもって掘ったタコつぼに潜る訓練に明け暮れている 
彼を巡る人物として出征の日「お国の為に死ね」と日露戦争の時の拳銃を渡した父親(天野英世) 
いよいよ敵が上陸するという前日外出して おしっこするのを手伝ってあげた両腕がない古本屋(笠智衆)その観音様のような女房(北林谷栄)に出会って感激する 笠は「あいつ」に「死んじゃだめだよ 兵隊さん 死んじゃったら何もかもお仕舞だ」という

その後 筆おろしの為女郎屋に行く(相手の女郎は春川ますみ) 女郎屋を営む女学生「うさぎ」(大谷直子)と再び出会って結ばれる 
「あいつ」はこれで「何の為に死ぬのか」が判る
その女学生も空襲で溶けて死んでしまう タコつぼ作戦は変更され 魚雷に括りつけたドラム缶に乗って戦艦に特攻を掛ける作戦となる 
太陽が照り付ける中「あいつ」はいつくるか判らない「艦船」を迎えうつべく沖に出て行く 
メガネが壊れ敵の飛行機から巻かれた終戦のビラも読めない 
伊藤雄之助演じるおワイ屋の船を戦艦と間違え魚雷を発射するがブクブクと沈んでしまう 
「戦争が終わった」という伊藤のおわい船に曳かれて東京に向かうが切れて流される 

時代は一気に飛んで昭和43年湘南の海 若者が青春を謳歌する中 ドラム缶が発見される「あいつ」は骸骨になってまで漂っていた・・・・

この映画も8月15日を知らなくて死んでいく若者を描いている
だからこそ岡本監督は「日本の一番長い日」を映画化したかったのである

両作品に出ている天野英世は岡本作品の常連で「自分の作品としてハンコを押しているよばもの」とまで言っている
僕もこんな俳優を早く見つけたいものだ


(10月7日、8日YouTubeにて鑑賞)