白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(363)平成6年に起ったこと

2019-11-20 11:35:23 | 思い出
       平成6年に起ったこと

この年の正月僕は南座公演「お初天神」の演出をしていた
主役は園佳也子で入川保則他メインキャスト以外の役は松竹新喜劇の若手が大勢参加していた
稽古中 寛美時代からの頭取で坂東豊という人が何故か僕を気に入り 話しかけて来た
挙句は「頭取の独り言」という本を書きたいので協力してくれともいう
こういうことは嫌いじゃない僕は翌年結果的に5か月付き合うことになる新喜劇公演の間中ずーっと頭取部屋に入り浸り
寛美時代の面白い話を聞いた しばらくして知らないうちの入院されて大きな秘密は殆ど持って行った
これが新喜劇との初めてのお付き合いだ
この公演が終わった後 うちの芝居も演ってくれと言われ 果たして新喜劇担当制作より7月新橋演舞場の話が来た

3月と6月はサブローの名前にちなんで東西コマ変わり番に公演していた この年は三月が梅コマだ
この月松竹芸能から中座瀬川瑛子公演の話がありショウの演出を頼まれた 演出であり昔から一緒にショウをやってきた北島の弟の大野拓克に相談したら間に入るからおやじにきちんと挨拶して降りたらいい ということで瀬川を連れて梅コマの稽古中の北島を訪ねた
20年近くお世話になったことのお礼を言い 「北島公演を卒業させて下さい」と言った
チラシを見ながら 「どうだ構成演出 吉村正人と名前を見た気持ちは」「いいもんだろ 俺とこで助手やってても名前も出ない」
「今日から俺のライバルだ もう戻ってきても使わないぞ」「同じクラウンの瀬川を頼むぞ」
もう後戻りはできないと思った
3月中座 吉村正人構成・演出 瀬川瑛子オンステージ 浪花に花咲く女の夢 開幕

5月の日本香堂の芝居の稽古を観にいった 「一本刀土俵入り」 
製作のKさんは京唄子の制作でもある
実は僕は稽古終わりの麻雀のメンバーであった(メンバーは戌井先生 安井昌二 その奥さん Kさん、そして僕)
ところがその日は舞台監督のTさんがいなく戌井先生自身がパイプ椅子を並べてバビッって稽古していたのでKさんに
「大先生に何をさせてるんや」とKに怒ると「だったら手伝ってよ」と言われた
共演者に池畑慎之介ことピーターがいて仲良くなり居眠りばかりしている戌井先生を差し置いて 楽しく初日まで付き合った
これが翌年から25年も続くことになろうとは・・・・

7月新橋演舞場、今まで観にいったこともない劇場だった 
僕の担当する作品は館直志作「滝の茶屋にて」という チラシには館直志作とだけあって演出の名前はない
何でも藤山寛美がアホ役に開眼した作品だそうで最後の弟子というF君が寛美の役をやるという
相手役には吉沢京子 果たしてF君の売り出しに貢献できただろうか 答えはノウである
なるほどF君はアホは出来るが芝居が出来ない ひどい失敗作となった
こういうことは良くあるらしく照明の玄葉さんが慰めてくれた 彼とは初めてのお付き合いだがよくしてくれた

さてこの「滝の茶屋にて」が館直志の作ではないと坂東さんが言い出した
文芸部員の平井房人が書いたのを寛美が見ていて 前回はそうしたはずだと
調べてみると前公演のときは平井房人作となっておりギャラも出ていることが判った
次回新喜劇公演のとき頭取部屋にギャラをとりに女性が訪ねてきた 平井未亡人であった

チラシに演出家の名前がない こんな慣習は辞めるべきだ これでは演出家は育たない

中座公演 近藤正臣主演「けむり太平記」を手伝う 演出は必殺の山内久司


その後の中座新喜劇も手伝う
案の定 演出の名前はない
茂林寺文福作「朗らかな嘘」制作のOのお気に入りの女優の為の作品
天笑こと澁谷喜作の作 「おくてと案山子」相手役に僕の希望で小鹿ミキを呼んでくれた

年末は新宿コマ 松原のぶえ特別公演
由利徹さんとの芝居は北島こと原譲二
僕は当時ののぶえの亭主と共同演出

舞台稽古終わりにトータル時間が長いと問題になり 当然ショウを切るしか手がないとなった
その時北島夫人が「ショウを切ったらだめよ 私このショウ好きだから」と叫んだ
すると北島が「判った 芝居を切らせてもらいます」


白鷺だより(362)ロックミュージカル「禁断の惑星への帰還」

2019-11-05 10:20:07 | 思い出

Return to the forbbidden planet



1992年 梅田コマの新しいメイン劇場「劇場飛天」とともにその年オープンする地下劇場「シアタードラマシティ」の開場目玉企画である来日公演「禁断の惑星への帰還」の打ち合わせの為ウエストエンドにいた 僕は新しい地下劇場の文芸部のチーフが内定しており
その立場での打ち合わせの参加だ
僕にとって初めての外国だったのでヒュースロー空港に着いて出口で僕の名前を書いたパネルを持って迎えてくれた通訳さんにあった時緊張の糸が切れた

この作品はシェークスピアの「テンペスト」を基に1956年に作られたいわゆるB級SF映画「禁断の惑星」とミックスしたロックミュージカルであり 60年代70年代のロックミュージックをふんだんに使った作品で その当時始まったばかりの「ミスサイゴン」よりも客を集めていた 
テント野外劇場が始まりで1980中頃にはリバプールの劇場で そしてロンドンのキルンシアターを経てケンブリッジ劇場で上演 1989年と1900年両方でベストミュージカルとしてオリビエ賞を受賞した
僕が見たのもこの劇場だ 客席をみると60年、70年当時若者であっただろう老人たちが音楽に合わせ立ち上がって踊りまくる 
とても当時の日本では考えられない光景だった

前年の1991年 この作品はシドニーを皮切りにニューヨークのオフブロードウェイで公演、と海外進出しており 日本公演もその一貫と思われる

作・演出のボブ・カールトンはほとんど僕と年齢が変わらないと見えたが(あとで調べると1950生まれの僕より2つ下だった)3年前のこのケンブリッジ劇場でのヒット、一年前のブロードウェイ進出を経験して勢いに乗っていた 
打ち合わせは家に来てもらいたいが狭いのでと案内されたのはなんとテームズ川に浮かぶ大型ボートだった 
この打ち合わせでのボブは大演出家のオーラもなく急にシドニーやオフブロードウェイや挙句の果て東洋の小国からの打ち合わせに戸惑っているようにおどおどしていた それにしても立派なボートで 無名の舞台監督あがりの彼がたった一本のヒット作があれば このような生活をできるというショービジネスの世界を目の当たりにした

ボブ・カールトン(1950~2018)この作品のヒットの後 1997年から2014年までクイーンズ劇場の芸術監督を務めた

帰国した僕はその年の暮れ
「シアタードラマシティ」開場第一作 
野口五郎 剣幸 主演「ミスターアーサー」を開けた 

翌1993年3月12日~4月7日
シアタードラマシティ開場記念公演
来日公演「禁断の惑星への帰還」上演

使われた音楽
グロリア ワイプアウト ミスターベースマン テルスター シェイクラトル&ロール ジョニーBグッド などなど

スタッフ・キャスト全員オリジナルの外人で行われた(もちろん英語 日本語字幕入り)この公演は劇場の認知度の低さもあり 
まあまあの入りで左程評判にもならなかった 
いや入りはともかく なにより客席の盛り上がりに欠けた 
途中からオッちゃんオバちゃんの「サクラ」を入れ踊ってもらったがどうも日本人では様にならない 

この公演を見た評論家Tさんの言葉
「当時の日本、しかも大阪では早すぎたのかも知れませんね」