僕が初めて北条秀司の「王将」をやった時 「天皇」の脚本は一字一句変えて演じてはいけないとの不文律があり 実際みんな「てにをは」も間違いなく喋っていた その北条天皇と一緒に昭和35年劇作家の地位向上を目指し「劇作家4人の会」を菊田一夫 川口松太郎らと結成したのがこの「明日の幸福」の作演出だった中野実だ
この頃の新派は新劇風に台本に忠実に 演出家に忠実にという姿勢であったので 役者が一番偉い歌舞伎系の劇団の作り方とは違い台本至上主義であった 実際この作品の初演の舞台中継を見たが「プロンプ」が入っているとはいえ皆悪戦苦闘台本通り喋っていた
資料によるとこの「明日の幸福」は昭和29年 明治座が初演で好評を博し 翌12月新橋演舞場で再演 翌年大阪歌舞伎座で公演(今回の美術を担当の竹内志朗先生はこの公演を見ている)さらにまた翌年名古屋御園座で公演 その後も昭和51年の明治座公演まで中野実は実に8本計12回も作演出を行った(昭和53年没)
ということはこの作品はこの22年間ほとんど手を入れることなく(この作品で親子三代全役出演した、いわばこの作品の生き字引 水谷八重子さんによると)変更は離婚慰謝料の額100万円と新幹線時代になって「特急つばめ」がカットされたくらいらしい 今回八重子さんの意見でその「つばめ」を復活したら一瞬にその時代が蘇った感じがした(といっても国鉄時代を知っている我々だけだが)
ということは歴代の新派の役者さんたちは色々疑問点があっても台本通り 演出家の言う通りに演じ続けて来たと言うことだ
そしてそこから余計な芝居をせず台本通り演じていれば「笑い」は沸き起きる、「受ける」という伝説も生まれた
それに敢然とたちむかったのがあとを引き継いで演出を担当した石井ふく子だ
極端な演出は裁判所が全くないバージョンもあったそうだ
彼女は初演の寿敏を演じた伊志井寛の娘だ
今回八重子さんは「監修」という意見を言える立場であったため演出家(成瀬芳一)によくここは「石井流」で行くの?「中野流」で行くの?と聞いていた 聞いていると石井演出は大げさな演技(余計な芝居)で笑いをとるというイメージが強い
さて昭和29年当時超現代劇であったこの作品も時が経つにつれて「時代劇」になってきた 造船疑獄なんて言葉も聞いたこともない人たちにも時代を感じさせることがどうやって伝えるか 依田(吉田) 的山(鳩山) 二木(三木) モデルになった政治家の顔が誰も浮かばない 当時は笑いがきていた政治的会話も通じない スライドでもナレーションでもいい 時代(昭和29年)を表せればいいとは思う
倉の明かりが点いていれば倉に人がいることになり出て行くときには蔵の明かりが消える
この理屈を客が判るのは蔵の窓の位置的に難しく やっと二場の終わりに曰くありげに覗くシーンでやっと意味が判る もちろん最後まで判らぬ客も多い
人の流れがジグソーパズルのように張り巡らされた構成は見事というしかないが色々疑問点もある
調停委員の二人がおのおの弁護士であり教育家であることは登場人物の紹介のところに書いてあるだけでそんなセリフもなく何者かよく判らない また書記の林は二幕になってやっと書記らしき仕事をするのは何故か?
第2幕2場で寿敏が蝙蝠傘を持って帰る動きをつけたから「名古屋に送る荷物に入っていて蝙蝠傘はないのではないか」と指摘したら認めて変更した どうやら一幕一場二場 一幕三場四場と同じように第二幕も同じ日だと勘違いしていたようだ(二幕一場で寿敏が初めて裁判所に蝙蝠傘を持ってくるシーンがある)
二幕二場で寿敏が長い間こたつの前に座っているとき 火が入っているかどうか気付かなかったのかとおもってしまう
競馬の3=2という表現はおそらく馬単(平成3年より)などない時代だから一着が寿一郎の馬タイセイで2着が本命馬という発想だろう
作者が競馬などやったことのない人物で その表現の間違いを誰も指摘する人がいなかっただけで 別段目くじらを立てる問題ではない
それより自分の馬が落馬骨折した場合馬主としては殺処分をも考えなければならない
障害レースだから早い目のレースだ 首から望遠鏡をぶら下げている競馬見物している場合ではないとおもうが
人が来るおそれのある座敷の真ん中で埴輪の箱を風呂敷に包むシーンがおかしいとの意見も出た
いくら蔵と言えどそんなに狭くもなかろう 蔵で包んでくればいいという
昔のビデオを見ると箱を持って出て 仏間にある小ダンスから風呂敷を出している
今回みたいに最初から風呂敷を持って出るからオカシク思うのだ
寿一郎の誕生日(年末)のフリがなく 第二幕が十一月だというフリもないので(因みにい一幕一場二場が九月 一幕三場四場が十月)
淑子の「あせり」がよく判らぬ
埴輪が象徴するものが古き日本の家庭に根付く因習といったものならばこのテーマが今日まで通じるとは思うが「かみなりおやじ」(今回若林豪さんが好演)が壊滅した現在ではどうか
この作品はそれまで新派の狂言が二枚看板花柳章太郎 水谷八重子でおのおの一本づつ主役狂言を並べて公演していたがどうにも客足が伸びず 苦肉の策で二人共演作品として出したらこれが大当たりしたという曰く付きの作品でそれ以後新派の時代時代の危機を支えてきた作品です
今年は新派が130年の記念の年にこの作品を上演出来たことをうれしく思います
(2018 5・7~5・29 日本香堂謝恩観劇会にて上演)