「お祭り提灯」考
(写真は映画 漫才提灯 より)
この「お祭り提灯」は新喜劇がブロードウェイにだしても恥ずかしくない狂言だとだれかが言っていた
ところが松竹座の新喜劇の錦秋公演が終わったら僕が観劇したことをFBで知った若い役者たちから「お祭り提灯」はいかがでしたか、との質問や「誰がやっても面白い訳ではない」ことが思い知らされましたとの悩みの相談を多く頂いた
確かに今回の「お祭り提灯」は全く面白くない 普通なら追っかけで最高に盛り上がるのに さほど満員とは言い難い客席は白けっ放し これはどうしたことだ
ましてやこの「お祭り提灯」は来春南座でも再演が決まった狂言だ
そうだ! 思い出した
面白くない理由の一つ、徳兵衛の金が必要な「枷」を付けた方が「出来心」よりずっといい 例えば母親が病気で直すのに大枚の金がいることにしたらどうだろうと提案したヒントはこの短編映画だ 病の床に伏した老母を診察していた医者竹庵が去る処からはじまる 2両の薬代さえあれば母親の病気は直ると言われ悩む提灯屋夫婦、この振りが効いてくる
この映画「漫才提灯」は1956年6月封切で
原作 館直志 脚本 松村正温 監督 天野信
配役
提灯屋弥吉 南都雄ニ
女房おすみ ミヤコ蝶々
妹 お光 小町瑠美子
丁稚三吉 西岡タツオ
幹太 秋田Aスケ
佐吉 秋田Bスケ
山路屋幸兵衛 中村是好
原作も短いがこの映画も42分の短編だ
この映画の良さは母親の病気のおかげでどうしても金が必要な夫婦に最後に山路屋がいやいやゴモク箱代として出すところだ
それに比べて今回の舞台の山路屋はこのママだと町中の人達に集団リンチされてもおかしくない極悪非道の金貸しにしてしまった
その上ご丁寧にも山路屋の嫁、息子、若嫁まで新たに出して家庭でも嫌われ者扱いされていることを強調している
思うに山路屋幸兵衛は所詮「鬼ゴッコ」の鬼で ひとのいい親父に過ぎない 今回はあまりにも極悪人にし過ぎた
この「お祭り提灯」はもともと家庭劇時代の昭和4年館直志が書いた「渦」という茶碗屋を舞台にした現代劇だという 家庭劇で何度か上演されていたが戦後新喜劇が誕生した後(これは想像だが文芸部の星四郎が命令されて)時代劇に翻案させられたとおもわれる 以降上演の度に星さんに脚色料が入る (こういう仕事が回してもらいたいものだ、松竹さん)
その頃のベストメンバーがこれだ
提灯屋徳兵衛 曽我迺家明蝶
山路屋幸兵衛 曽我迺家五郎八
幹太 高田亘
佐助 曽我迺家五九郎
おすみ 石河薫
お近 宇治川美智子
丁稚三太郎 曽我迺家十吾
昭和30年代後半十吾さん退団により 三太郎は藤山寛美の当り役となる
二代目天外は座長だからこんな「追い出し狂言」には出演しなかった そのかわりこのベストメンバーを大事に使って株式会社松竹新喜劇を作るぐらい劇団を育てた それが座長の仕事である
この「お祭り提灯」はお祭り当日の話であるがその雰囲気が全く出ていない お祭りのお囃子に乗って人々は走り回るのである 町中の若者が集まって本物の楽器(太鼓、三味線、笛など)で生演奏出来たらもっと盛り上がるのに
追っかけが終わって提灯屋夫婦には母親の薬代が転がりこんできたし、フトンを奪われそうになったおしげさん親子の借金も山路屋が払った提灯代でチャラとなるし 誠にいいお祭り日和でした(そういえばおしげ役の璃賀さん怪我して休演だって、お大事に)
閑話休題
松竹のWEBコラム「余白の楽しみ」(和田尚久)の第二回目追いつ追われつを読んでいるとまさしく「お祭り提灯」の話で何年か前に観た演舞場で婆さん(世話人の一人)の紅壱子の走りっぷりを絶賛していた 本人(紅)に聞いてみると千草英子さんが演っていたのをたまたま見て面白かったので真似しただけさ と言われた こうして芸は伝承されるんだと思った