白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(167)シネマ歌舞伎「三人吉三」

2016-11-30 08:24:05 | 映画
コクーン歌舞伎「三人吉三」



毎月一本のペースで上映されるシネマ歌舞伎にちょっと凝っている
今月は若手三人 勘九郎・七之助 松也の「三人吉三」だ

このコクーン歌舞伎は東京渋谷のBUNKAMURAにある劇場シアターコクーンで1994年から始まった歌舞伎公演 当時の勘九郎と橋之助が「東海道四谷怪談」を上演したのが最初で以降「夏祭浪花鑑」「盟三五大切」「三人吉三」「桜姫」などを上演
「三人吉三」は2001年、2007年版は勘三郎 福助 橋之助の三人が演じた吉三(夜鷹のおとせは勘九郎 姉弟の十三郎を七之助 伝吉を弥十郎)から一気に若返った2014年版のシネマ歌舞伎である 
串田演出は映画用に付け足した部分も多く現実の舞台では不可能と思われる転換 大雪など
この三人吉三は因縁話を視覚的に見せて(伝吉が盗んだ刀で野良犬を斬る場面・刀を川に落とす場面)ややこしい因縁話を分かりやすくしている
三人の吉三はそれぞれ良く 中でも松也のお坊と七之助のお嬢は予想を超えてなかなかいい この二人の吉祥院でのラブシーン?はエロっぽくいい 夜鷹のおとせの鶴松は可憐すぎて夜鷹には見えないがこれはこれでいい 十三郎の坂東新梧は弥十郎の息子らしいが思えば僕がウン十年前弥十郎と初めて仕事をした頃の同じような年恰好で感慨深い

この芝居は昔の橋幸夫の歌の如く大川端のみを演じられることが多く

「お嬢吉三」
  佐伯孝夫 作詞  橋幸夫 歌


月は朧に 白魚舟の
篝も霞む 春の空
絵から抜け出て 大川端や
とんだ仕掛けの お嬢さん
一皮剥けば 白浪の
お嬢吉三た 俺のこと

赤い蹴出しを 捌いた足で
娘をポンと 川中へ
思いがけなく 手にいる百両
虫も殺さぬ 顔してさ
今夜はほんに 節分か
堕ちた娘は 厄落とし

こいつぁ春から 縁起がいいや
行こうとすれば もし姐さん
ちょっと待ってㇳ武士が止める
乙に絡んで 貸せという
セリフを聞けば 同業の
お坊吉三と きやがった

鬼は外だぜ 濡れてで粟の
百両頼む 貸せなどと
しゃらくせえから つい立ち回り
派手なところへ 止め男
小意気な捌き 手を引けば
和尚吉三たぁ 俺の事

の歌でおなじみなのと
節分の夜 大川端庚申塚で夜鷹を川に突き落とし 小判百両を奪ったお嬢吉三が朗々と歌い上げるセリフが有名だ

月も朧に 白魚の
篝も霞む 春の空
冷てえ風も ほろ酔いに
心持よく うかうかと
浮かれ烏の ただ一羽
ねぐらに帰る 川端で
竿の雫か 寝れ手で粟
思いがけなく手にいる百両
「ご厄払いましょう 厄落とし」
ほんに今夜は 節分か
西の海より 川の中
豆だくさんに 一文の
銭と違って 金包み こいつァ春から 縁起がいいわえ




この百両と名刀「庚申丸」の所在が転々とする間に三人の吉三の隠されていた複雑な人間関係が解きほぐされていく
串田演出はナンタを思わせる生活音で演奏をしたり庶民の中のドラマだというメッセージが良く出ている

(11月29日なんばパークスシネマにて)






白鷺だより(166)落語「死神」のオチの色々

2016-11-28 08:50:59 | 思い出
「死神」のオチの色々

新歌舞伎座の10月公演(10月15日~11月3日)はコロッケ特別公演だった 芝居は「神隠し」と題して落語「文七元結」と「死神」を原作とした内容だった (僕のブログ(159)を参照) 主役は「文七元結」の左官長兵衛(コロッケ)なので死神のエピソードで死なせる訳にはいかないので作者は苦労したであろうが落語「死神」では主人公の男は死んでしまう 

枕元に死神が座っているとその男はダメ 足下に座っていると助かるから教えた呪文を唱えて追い出したらその男は治ると死神に教えられた男 医者になりすまし大儲けをするが悪銭身に付かず また元の貧乏に逆戻り しかも見る男はみんな枕元に死神が座っているので儲からない ある時病気の大店のご主人を見ると案の定枕元に座っている 幾らでも出すという言葉に目がくらみ一策を講じる 枕元に座って居眠りをしている死神のスキを突き布団を半回転させ 死神が足下に来た瞬間に呪文でたたき出す 大枚の礼金を貰って喜んでいると怒った死神にとっつかまれて大量のロウソクが揺らめく六道の辻に連れていかれる 聞くとロウソクは人間の寿命だという 「それじゃあ俺のロウソクは?」と聞くと死神は今にも消えそうなロウソクを指さした 死神曰く「お前は金に目がくらみ自分の寿命を売り渡したんだ」という ロウソクが消えればその人は死ね 男は死神から渡された長いロウソクに消えそうな火を震えながら継ぎ足そうとする そして・・・・

「今回の芝居の話」
今回は主人公を死なすわけにはいけないので 大きなクシャミをして周りの火を消してしまう そして偶然にも悪徳商人・政治家などを一掃してしまう

「失敗バージョン」
1 消える消える消えたら死ぬよ あっ消える とつぶやいてそのまま倒れることで男の死を暗示して終わる 拍手を受けておもむろに起き上がる  本来のオチ 円生
 
2 このバージョンのアレンジ版 ローソクを消えるのを舞台の照明をCOすることで表現

 伊集院光が落語の弟子時代三遊亭楽太郎の弟子だった 名前は楽大(らくだい) ある時その師匠である円楽師匠の座布団を引く係と「消えるぞ 消えるぞ 消えるぞ」と三回言って四回目を言おうとするとき暗転にする仕事を頼まれ 一時間近く電気のスイッチを持ったままスタンバイしてキッカケでうまく消せた そして緞帳を下して客電が入ると座布団位置が前だったため師匠の首が緞帳前に出ていた 師匠客にバイバイと言って首を引っ込めて終わった と本人が語っている

「成功バージョン」
3 何とか継ぎ足しに成功するが風邪を引いていたためクシャミをして吹き消す
  風邪ひきの仕込み必要   小三治
4 同じく成功するが 継ぎ足したあとフウと大きなため息をついて消してしまう
自分で消しちゃった
5 継ぎ足したロウソクを持って地上まで出てくるが死神に明るいから勿体ないので消したらと言われ素直に消す 志の輔
6 同じように地上まで逃げて来るが嫁に昼間で明るいのに勿体ないと消される
   千原ジュニア
6 火がついて死神に今日がお前の誕生日だとハッピーバースデートーユーを歌って祝ってもらい終わってついケーキの火をけすように火を吹き消す  志らく
7 火が付いたが 意地の悪い死神が意地悪で吹き消す
8 何とか苦労して付ける 「これで枕高くして寝れらあ」と安堵していると死神に「ああおめでとう 疲れたろう 布団に入ってゆっくりおやすみ 目を覚ましたら私が枕元に座っているからさ」と言われる
     円楽
めでたい終わり方
9  高座に倒れて やがてゆっくり起き上がりロウソクの火が継ぎ足されたことを暗示する 又は高座周りのロウソクを全部つけて引っ込む お正月などに演じられるパターン

もっともっと色々あるだろうが はて どれが面白いやら
 

白鷺だより(165)実録 「笑う門には福来る」

2016-11-26 08:18:29 | 思い出
 実録「笑う門には福来る」

評判の直美主演の松竹座「笑う門には福が来る」をみた なるほど良く入っている
松竹VS吉本時代を知っている我々の世代にはこの芝居が松竹座で公演されることが複雑な思いだ 前に中座で笠置シヅ子の「我が歌ヴギウギ」の時も心配したが今の興行界はそんなことはお構いなしだ
さて芝居はあちこちで「直美演出」(演出は浅香哲哉)の場面が目立ち直美版吉本せいを強引に作り上げた感だ 父親寛美が登場するラストは娘 直美ならではの演出だ
 
気になったところの実録を幾つか書く 

力さん
春団治(林与一・老けが目立ち感慨深い)のお抱え人力車引きの名前が「力さん」(戸田都康)となっているがこれは渋谷天外(先代)が「桂春団治」を書くときある男を思い出して付けた名前だ 
天外の父初代天外が大正5年御園座で公演中花道に入るなり倒れた時愛知県立病院で喀血を続けながら 付き添った車夫の力さんに 「カズオ(二代目天外)を頼む」 と喘ぎながら叫び続け呼吸困難で悶死した。 息子の天外は「桂春団治」を書くときその男の名前を五郎八演じる人力車夫の名前にした


市会議員
せいと同じように道修町の薬屋の娘で興行界の先輩(東千晃)の弟(松村雄基)は店を継がず市会議員となる せいは夫泰三(田村亮)の死後何かとこの男に助けて貰う この男にはモデルがいる 大阪府会議長の辻阪信次郎だ
真相はこうだ
昭和10年11月16日、大阪の寄席興行界に君臨し やれ今女太閤だの 女小林一三やともてはやされた吉本せいが贈賄罪で逮捕された 出る杭が打たれたのだ 現在の堀江と同じパターンだ
この事件を報じた新聞記事のせいのプロフィールは次のように紹介されている

【吉本せいさんは大阪の南北花月のほか、東京、神戸、京都、横浜など全国三十数箇所の劇場と寄席の各種雇傭芸人1300人を擁する合名会社吉本興行部の女社長で 我が国の寄席興行主として伝統の松竹と新進宝塚劇場系の中間にあって 最近とみに台頭していた漫才落語界の全権を掌握する興行界の大きな存在である。実弟正之助氏が実際上の采配を振り、その弟の弘高氏を東京支配人とし 三姉弟協力の結果亡夫が残した借財30数万円を皆済したほか300万円と称せられる現在の産を築き上げた女丈夫で、月給の先貸しは同興行部独特の芸人操縦法ともいわれ、またしばしば赤十字その他の社会事業、愛国事業などに多額の寄付をなして紺綬褒章を下賜され、満州事変の際にはいち早く横山エンタツ
以下の全漫才幹部を動員して在満皇軍慰問興行(わらわし隊)の先鞭をつけたりした。・・・・】

 大阪府会議長辻阪信次郎の脱税事件から芋づる式に吉本会計課の吉崎某(辻阪の命で南税務署からスカウトされた)、辻阪と「永年親密な交際を続けてゐた」(大阪朝日)社長の吉本せい、実弟の正之助があげられた 吉本のどの小屋にも警察出身者がいるいわれと日頃から警察(大阪府警)とは親密だったのでこの逮捕が尋常ではないとの見方であった
ところが(と言おうかやはりと言おうか)せいは健康上の理由で拘留停止となり大阪赤十字に入院、その間に大和屋主人で南地五花街を仕切っていた坂口裕三郎 松竹の白井松次郎 新興キネマ取締役福井福三郎らが次々と挙げられた
ところが翌11年1月事件の鍵を握る当の府会議長辻阪が獄中で縊死、いわゆる首吊り自殺(これもよくあるパターンだ、しかもそのころ吉本せいと親交のあった山口登の刺客説もまことしやかに囁かれた)した為、うやむやとなり事件の中心と見られていたせいは釈
放となる。一方 松竹の白井 大和屋の坂口らは罰金刑になってしまい 吉本に対する松竹サイドの恨みが残った これか後年の新興による吉本芸人引き抜き事件の遠縁となる

笠置シヅ子
せいの息子穎右(西川忠志)と笠置シヅ子の恋
年譜を追って二人の歩みを見る

大正3年    シヅ子生まれる
大正13年   穎右生まれる(翌年父泰三死去)
昭和3年(13歳)シヅ子 松竹座にて三笠静子の芸名で初舞台
昭和10年  三笠宮創設に伴い芸名を笠置シズ子と変えさせられる
昭和16年  松竹歌劇団解散 「笠置シズ子とその楽団」を結成
昭和19年  早稲田学生の吉本穎右と出会う
昭和20年  大空襲で自宅焼失 年末まで二人同棲
昭和21年  穎右 早稲田を中退 東京吉本での仕事に専念 
       10月 妊娠に気づく  穎右 病気発病(結核)
昭和22年  1月 病気治療のため帰郷する穎右を見送る
       2月 この公演を最後に芸能界を引退するつもりで日劇「ジャズカルメン」 に主演(お腹は目立っていた)
       5月 穎右西宮の実家で死去
       6月 娘 エイ子誕生
昭和25年  吉本せい死去 娘と参列

ざっとこうなる せいが二人の結婚を猛反対した理由は9歳も年上であること(自分たちから見れば商品である)芸人であったこと なにより松竹歌劇団出身であったことが挙げられるが妊娠が判ってからは せいも軟化していたようである
ともかく子供を産んで引退を決めていた笠置は「夫」の死で働かざるを得なくなる

そして翌年出した「東京ヴギウギ」が大ヒットして「ヴギの女王」となる
そしてそんな笠置シヅ子に憧れて歌手になったのが 美空ひばりである
もし笠置が引退していたらヴギウギもひばりもなかったことになる

吉本正之助(喜多村祿郎)

本来はもう一人の弟 林弘嵩と二人でせいを助けたのだがこの芝居では一人にしてある 白木みのるによると正之助はひどい水虫持ちで靴がはけなかったのでずっと裸足と下駄で生活していたらしい

本当は山口登(山口組二代目)とも大いに関係があったのだが それは描けないだろう 

いま寛大が売れない芸人の役で売れっ子落語家(石倉三郎)のDVを受ける妻(仁支川峰子)と駆け落ちするいい芝居をやっている 彼が松竹新喜劇の今川正として残っていればこの役は決してできなかったろう 売れない漫才時代があったからこそ出来た役だ

9月明治座と10月博多座で演出は石井ふく子だったので「おたふく物語」を辛抱してやっていた直美は今回は欲求不満解消するため 張り切って稽古をしたらしい
楽屋見舞いをした女優の御礼状に「今回は直美さんもご機嫌で助かりました」とあった
直美は次回新歌舞伎で「おもろい女」を演じる 
さてどんなミスワカナを作ってくれるのやら


白鷺だより(164)髑髏城の七人

2016-11-24 08:06:54 | 観劇
髑髏城の七人

豊洲市場が座礁に乗り上げているのに その前に出来るIHIステージアラウンド東京は来年3月オープンする予定だ 何でもこのステージアラウンドの劇場は2010年オランダのアムステルダムで初めて登場するや否やたちまち大評判となりのべ190万人を動員して6年目に突入した この劇場システムは客席の周りにセットを組み客席が360度回ることによって場面転換が出来るという オランダに次いで東京にもこのシステムの劇場が豊洲に登場して1300席の客席が回転する 作り手にとって夢が広がる舞台空間である

その第一回の公演はとりあえず劇団☆新幹線の人気作「髑髏城の七人」を取り上げ4シーズン「花・鳥・風・月」キャストとスタッフを変えての一年三か月ロングランすることが決まり まず「花」シリーズのキャスト・スタッフを発表した 小栗旬 山本耕史 青木嵩高ら、スタッフはまず作 中島かずき 演出はいのうえひでのりだ

さて2004年版のDVDを見た 染五郎主演のいわゆる日生「アオドクロ」という作品だ
あらすじはざっとこうだ

天正14年 「本能寺の変」で織田信長が明智光秀に打ち取られた それから8年
天下統一を目指した秀吉の支配がまだ届いていない関東の地は「天魔王」(染五郎)という仮面の男が率いる関東髑髏党に支配されていた その髑髏党に追われていた少女沙霧(鈴木杏)を助けた捨之助(染五郎二役)は偶然知り合った狸穴二郎衛門(ラサール石井)とともに旧知の無界屋蘭兵衛(池内博之)を頼って色町「無界の里」へと向かう しかしその里も髑髏党の襲撃を受けて滅んでしまう 天魔王と戦う決意をする捨之助と蘭兵衛・・・この三人には何やらいわく因縁がありそうで・・そして狸穴の正体とは?

なかなか面白かった 鈴木杏の沙霧がいい 極楽太夫の高田聖子もいい 女はみんないい
現在売れっ子になっている「朝が来た」の三宅弘城が刀鍛冶の弟子として登場 染五郎との斬っては砥ぎ 砥いでは斬るという息の合った立ち回りは見ものだ
他に「相棒」の川原和久と「ごちそうさん」の山中崇もでている
こぶしの忠馬役の佐藤アツヒロもいい

この作品の初演は1990年(平成2年
池袋西口広場のテント劇場 シアターアプル 大阪では近鉄劇場とでのべ14ステージで始まった(古田新太主演) 
7年後の平成9年大阪中座、愛知厚生会館 池袋サンシャイン劇場などで再演 これを市川染五郎が見て「これぞ現代の歌舞伎だ」と絶賛したことにより劇団☆新感線は一躍メジャー劇団となる
それからまた7年後の2004年(平成16年)「ドクロイヤー」として古田主演の芝居部分を強調した「アカドクロ」公演と歌や踊りを強調した染五郎主演の「アオドクロ」をそれぞれ公演 僕が見たDVDはこの時のものだ
そしてさらに7年後2011年(平成23年)小栗旬主演で梅田芸術劇用と青山劇場で二役ではないバージョンとして脚本を書き換えたカタチで上演(ワカドクロという)
さらに6年後来年はIHIステージアラウンド東京でロングラン公演が始まる
初演以来ほぼ7年間隔で進歩してきたこの作品は新しい舞台構造の中でどのように変わっていくのだろうか

白鷺だより(163)県洋二先生のこと

2016-11-21 08:07:34 | 人物
     県洋二先生のこと

北島三郎公演のショウの振付は最初はコマのダンサーであった児島日出夫(新コマ)小沢周三 谷雅子(梅コマ)らが担当していたが昭和57年、58年の両コマ公演共々と県先生が振付けた さすが専門の振付家の振りは洗練された出来で 特に両コマのダンサーによるダンス合戦は見もので単なるつなぎの踊りというのじゃなくキチンと見せ場のある1景に仕上がった 音楽担当の北島専属のバンマスの鈴木操も打ち合わせから音作りする作り方に気に入って大いに気を吐いた 鈴木操が単なる棒振りではなくやっぱり音楽家だと思った瞬間であった それとショウにとって振付家という存在の重要性を教えて貰った

この頃北島が八王子に新居を建て招かれた席でやはり振付はきちんとした振付家が必要という話になった その時丁度新コマのベテランダンサーの矢倉鶴雄が現役を辞めて振付に専念する話を北島にしたら「一度使ってみよう」ということになった 出来上がった「漁歌」の振りは迫力満点で いい踊りだった これが矢倉鶴雄が北島公演終了時まで30数年間振付を担当する最初である 

その後彼らの師匠である県先生が亡くなったという記事を新聞で読んだ 
以下は先生が戦後大いに活躍した日劇のスタッフたちが「しのぶ会」を催した時の先生のプロフィールである

県洋二
本名 中塚 敦
1919年(大正8年)4月8日
宮城県仙台市
振付家 演出家

平成20年1月25日 心不全のため仙台市の自宅で死去 享年88歳
同    1月27日 親族により密葬

日本を代表する舞台の振付家 演出家として活躍
師の振付・演出スタイルはその信望者も極めて多く 今日のステージショーやダンスシーンに多大な影響を与えた

活躍の場は
松竹歌劇団(SKD)国際劇場から始まり
戦後は日劇ダンシングチーム(NDT) 日本劇場
宝塚歌劇団 宝塚大劇場 東宝宝塚劇場
コマダンシングチーム(KMT)梅田コマ・スタジアム 新宿コマスタジアム など

日本を代表するレヴューチームの作品を手掛け 数多の名作と共にスターやスタッフを育て上げた 
他に映画やテレビ等にも活躍の場を広げている

また 日本ジャズダンス芸術協会の初代会長を務め 日本のステージショーの重鎮としてその名と不動のものにしていた

なお日劇ダンシングチーム公演の三大おどり(春のおどり 夏のおどり 秋のおどり)の中で先生が気に入っていた作品を列挙すると
 ビギン ザ ビギン ピーナッツ・ベンダー 椅子 ボレロ 沖縄エレジー 
セントルイス・ブルース
                 (文責 元日劇演出家 松尾准光)

なおプロフィールを吉村が追記する

映画では笠置シズ子、美空ひばりの映画を始め
黒澤明監督「野良犬」や「隠し砦な三悪人」などの振付
また「モスラ」のザビーナッツの妖精の踊りも彼である
「モスラ」の監督本多猪四郎は「野良犬」の時の助監督であった

個人的に作家三島由紀夫との交流は有名である