(404) 特殊慰安施設協会(RAA) について
終戦たった三日後の8月18日のことである
総理大臣東久禰稔彦はじめ近衛文麿副総理、内務大臣山崎巌、外務大臣重光葵、大蔵大臣津島寿一らが「日本婦女子の純潔が性に飢えた進駐軍兵士らに損なわれる」と心配し、内務省による占領軍向け性的慰安施設の設置を指令した
今回の紅壱子ひとり芝居「焼け野原にいた女たち」の第一話に突然でてくるこの施設は主人公の女が云うように国が「女郎屋」を経営してやって来る進駐軍の性処理を一手に引き受けさせ「一般婦女」に害が及ぼさないようにいわば「性の防波堤」として機能するために作られた その背景にはヨーロッパ戦線においてアメリカ兵によるレイプの数が14000人にのぼったこと、沖縄戦においても米兵上陸後約10000人の強姦被害者が出た事、連合国軍が上陸一ヶ月で3500人が被害を受けたことがあげられる
全国紙である某大新聞に大きくその募集の広告が出た 9月4日
「新日本女性よ、来たれ! 国家的緊急施設、進駐軍慰安の大事業に率先協力を求む 宿舎、衣服、食事全て支給」これに応募した女性は多いときには700 00人 を超えた
その本部は焼け残った京橋区銀座7-1 歌舞伎座に置かれた 組織名のレクリエーション(R) 、アミューズメント(A)、アソシエーション(A)に相応しい場所だった
8月27日協会は設立した 資本金は1億円 国営売春が1200万個のコンドームと共に始まった 1号店は大森「小森園」 たちまちそれは全国にもひろがった
その他笹川良一らが自費で進駐軍のみ入れるキャバレーを作ったり、例えば松坂屋地下3階にオアシス オブ ギンザ というダンスホールなどは 地下2階の美術館までは行けるが その先には「連合国軍隊に限る」との張り紙が もちろん ダンスはいいわけで後は自由恋愛には目をつぶる形であった
さて順調に進んでいたこの計画も翌年3月26日収束を迎える 原因は性病の蔓延であったが一説にはルーズベルト大統領夫人の耳にこの話が入り 怒りをこうむったからだと云われる
この施設の設立理由は「日本婦女子の純潔を守る」であったが実際設置中は一日平均40件の婦女暴行と強姦事件だったが廃止後のそれは一日330件で効果ありと思えるが多くの研究者の結論は「効果なし、日本婦女子の純潔は守れなかった」と結論付けられている
さてRAA閉鎖後の職を失った55000人の女性たちはパンパンと云われる外娼となったり風俗街に移動したものもいた
どこに敗戦国自ら進んで国家的売春組織を作って占領者に差出す国があろうか 恥を知れ!!恥を