白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(281)ケビン・スペイシー 「少年愛」と「セブン」

2017-11-26 08:11:39 | 人物
  ケビン・スペイシー 「少年愛」と「セブン」

 日本の某Jというプロダクション 
昔から元タレント少年たちの社長による性被害の告発本があれほど出ているのに 大騒ぎにもならずそのプロダクションJはテレビ界のみならず、舞台でも現在も健在であいかわらず芸能界に君臨している

 ハリウッドの大物プロデューサー ハービー・ワインスティーブ氏の複数の女優に対する性的嫌がらせの被害が次々と公表される中 あちこちから「ME TOO」(私も)の声があがり ダステイ・ホフマンやケビン・スペイシーら有名俳優が性的嫌がらせで公表されることとなった 

この10月 ケビン・スペイシーを名指しで過去の問題行為を暴露したのは俳優のアンソニー・ラップが「14歳の時に彼(当時25歳)の自宅でのパーテイに招かれ 他の客が去った後彼に抱きかかえられベッドに連れ込まれ押し倒された」というものだった 何とか拒否してその場から逃げることが出来たが 母親に打ち明けることも出来ず悩んだというものだった これに対してケビン氏は「正直言って その出来事を覚えていない 30年も前だったはずだ だが彼が説明するような振る舞いをしたとしたら 心からお詫びしなければいけない 酒に酔った上での極めて不適切な振舞だったはずだ ラップ氏が長年抱かえてきた思いに対し心から謝りたい」
続いて「これまでは女性とも男性とも付き合ってきた 昔から色々な男性を愛してきたし逢瀬も重ねて来た 今はゲイとして生きることを選ぶ」と自身のセクシュアリティについてカミングアウトしており「問題のすり替え」などと非難が上がった

また芸術監督をしていたオールドヴィック劇場でのセクハラも発覚
日本でいえば蜷川が藤原竜也を使うみたいに彼が主役に使ったメキシコ出身の俳優ロベルト・カヴァゾスが「僕自身スぺィシーから望まない性的誘惑を受けました それは暴行とも言えるものでした」と告白したのを皮切りに次々と被害の声があがりロンドン警視庁が彼の数名の役者志望の男性への性的暴行の疑いで捜査に入ったという

その上 彼が現在 主演しているドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」の撮影現場でも男性スタッフの多くがセクハラを受けたと主張 シーズン6まで続いたこのシリーズも途中で降板となった

さらに俳優リチャード・ドレイファスと息子のハリー・ドレイファスとの芝居(2005)
の本読み中(彼が演出だった)セクハラ行為をされたと告白され 万事窮す
 
ケビン・スペイシーといえば「セブン」(1995)でブラピとモーガン・フリーマンに図書貸し出しカードであぶり出される犯人ジョン・ドゥ役が秀一だ 
7つの大罪のうちENVY(嫉妬)とWRATH(憤怒)が残される中 こういうサイコドラマにしては珍しい自首してくる本名、経歴、動機は一切判らない犯人ジョンだ
この頃彼はこういう役ばかりやってきておりこの映画では名前を出すと犯人だと判ってしまうという理由で最初のタイトルや広告には名前を伏せ 出演してることも一切公表しないという契約だったという 
その代わり 映画が終わったすぐにはその名前がでるという破格の扱いだった
それくらい 彼がいないとこの衝撃のラストシーンは成立しない 
この犯人はスペイシーでなくては 動機も正体も判らぬ人物として納得させられない

「セブン」作品以外でも
トニー賞 1991年「ロスト・イン・ヨーカーズ」(ニール・サイモン)で助演男優賞
アカデミー賞は1995年「ユージュアル・サスペクト」で助演男優賞
       1999年「アメリカン・ビューティー」で主演男優賞
 2015 「ハウス・オブ・カード 野望の階段」でゴールデングローブ賞主演男優賞
ほか
 1997 「LAコンフィデンシャル」での悪徳警官役での好演
 2004 「ビヨンド・ザ・シー 夢見るように歌えば」では脚本 監督 製作 出演(歌手役)と八面六臂の活躍
   「

このような名優を「こんなつまらぬ理由」で消してしまっていいものだろうか
はたして彼は罪を償うことが出来るのであろうか


白鷺だより(280)さよなら平成

2017-11-23 16:30:02 | 思い出
 さよなら 平成

 いよいよ来年陛下の御退位と改元の日取りが 再来年2019年4月30日御譲位5月1日改元と決まったらしい
何か月か前「4月1日」と大きくスクープ記事を出した朝日新聞は世紀の「早とちり」になってしまった 大正天皇のご崩御の際に新しい年号を東京日日(現毎日新聞)が「光文と決まった」と発表したのが気に入らないと急遽「昭和」としたときのように政府は今回も統一地方選挙を理由に変更したと思われる それから63年後毎日新聞は昭和から平成に替わる時1月7日の夕刊に全国紙で最初に「平成」の文字を掲載し、雪辱を果たした 
朝日も新しい元号のスクープを取ろうと躍起になっているに違いない

想えば「平成」は当時の官房長官だった小渕恵三が新しい年号を書いた色紙をサカサマに出した瞬間から始まった 
あわててひっくり返したものの「時すでに遅し」 その映像は2度と流れなかった 
おそらく別に撮影した映像をそのあと何度も流していたが僕は今でもその度 サカサマの映像が浮かびドキっとする 
そして誰もがこの「平成」時代の幕開けがこんなのだから「不幸」の時代になるだろうと思った 
三陸の津波や福島原発の地獄図を見ながら「おまえのせいだ 小渕」と誰もが思ったに違いない
幸い地震、津波以外は「昭和」のような大きな不幸もなく無事終わろうとしている
 
この分でいくと平成は31年4月一杯で終わり5月からは新しい元号になる
2年後だからうまくいけば僕は人生で二度改元を迎えることになる
大正の御代が短かったため「明治」「大正」「昭和」の三代に生きた人は多かった
しかし昭和が64年 平成は31年これだけで95年になる 
大正元年から生き続けた人は110歳となる 

「平成」はあと530日あまり
陛下は天皇誕生日はあと2回 新年の秘儀やご挨拶、歌会始があと2回 終戦記念日はあとⅠ回 御田植祭りや新嘗祭もあと一回
そして2019年1月には昭和天皇30式年という大仕事もある・・・ 一つ一つが最後になる
僕も「平成」最後の芝居 最後の旅行 最後の映画 果ては最後の食事・・・
あと一年と少し「平成」という年号をゆっくり噛み締めて味わい尽くしてみよう

いつもだったら突然に訪れるであろう改元も譲位という制度によりせっかく与えられた時間だもの・・

白鷺だより(279)「ジンジャーブレッド・レデイ」を観て

2017-11-19 11:23:19 | 観劇
「ジンジャーブレッド・レデイ」を観て

招待を受けて大阪放送劇団第61回公演「ジンジャーブレッド・レデイ」(作・ニール・サイモン 訳 酒井洋子 演出今西俊夫)を見た 
主役を演じる増田久美子の熱演を観たかったからである

僕はこの芝居の映画化された「泣かないで」(only when Ⅰ laugh)を封切時(1982)に見ている 
そんなに評判にもならずひっそりと終わってしまったが 主役はニール・サイモンの妻でマ―シャ・メイソンで地味だがいい映画だった 
映画の主役は歌手ではなく舞台女優ジョージアになっている

早稲田大学大学演劇博物館による現代演劇上演記録データベースによると この作品は1983年テアトルエコーによって初演 主演した看板女優平井道子の最後の舞台となったなんでも役作りのため無理なダイエットが祟ったとの噂 
その後東宝現代劇(1997)でも文学座(1998黒田絵美子訳)でも上演しているが記録に残っている中でヒットしたのは博品館劇場その他で上演された(2000、2002黒田絵美子訳 小林裕演出)池畑慎之介がエヴィを演じた舞台だろう 娘ポリーが祐木奈江 芳本美代子 売れない役者ジミーに2回とも加納竜 トビーに寿ひずる 高汐巴 という配役だった
 
またマキノノゾミの劇団M・O・Pでこの芝居の前日談「ジンジャーブレッド・レデイはなぜアル中になったのか」はキムラ緑子を主演に彼女の歌をふんだんに使いアル中になって病院に担ぎ込まれるまで壊れて行く過程を描いた 

ニール・サイモンの1970年の作品でざっとこんな話だ

アルコール依存症の治療のため入った療養所から2か月ぶりに帰ってきた歌手のエヴィ(増田久美子)ゲイで売れない役者のジミー(堂崎茂男)と親友でエステ美人のトビー(白樫由紀子)が出迎える 二人は20キロも痩せて別人のようになったエヴィを見て安心して帰って行く

そこへ離婚した夫と暮らしている17歳になる愛娘ポリー(wキャスト当日は杜山碧)がエヴィと一緒に暮らしたいとやって来た 一緒に暮らす自信がないエヴィは追い返そうとするエヴィにポリーは言う
「9歳の時にクリスマスにママから貰った「ジンジャーブレッド」クッキーで出来た人形の家をまだ持っているの 窓のところにおばさんが顔をだしているジンジャーブレッド・レデイ もうボロでくずになってしまったので今年のクリスマスにまた新しいのを買ってほしい」

エヴィはポリーと暮らし始めるが夜も家に帰らず娘に心配をかけたりそんなこんなで数週間が経ったころ トビーの誕生パーテイの夜 何度目かのオーデションでやっと獲得した役をチンピラみたいなプロデューサーに初日三日前に降ろされジミーは怒り 夫から突然離婚を言われたトビーは泣きわめき パーテイはメチャクチャになってしまう
やりきれなくなったエヴィはついに禁断のアルコールを口にしてしまう
酔っぱらってクダをまくエヴィにみんなは愛想を尽かして出て行ってしまう 一人残されたエヴィはかっての恋人ルーの元へ
翌朝ポリーは一睡もせずエヴィを待っていた 心配で様子を見に来たジミーやトビーのいるところにエヴィは青あざを作って帰って来る トビーは「娘を愛しているなら母親としてちゃんとした大人の女になるか ここから解放してあげるべきだ」と諭す
そしてポリーと別れることを決心するエヴィだったが・・・・

サイモンは自叙伝の中でこの芝居について「負け犬たちの芝居」を書きたかった」と言っている どうしょうもなく危うい弱く何かに寄りかからなければ生きてはいけない不器用な人間たち まるで崩れやすいジンジャーブレッドクッキーのように・・

翻訳劇は難しい リアルさがないからである
その中で増田は一人熱演が目立った 歌も良かった

去年の「とりあえずボレロ」の美術でスタッフ賞をとった渡辺舞の美術は客席に大きく張り出したセットで 今回も良かった

ニール・サイモンが死んだという話は聞かない 
1927年生まれだから現在90歳

(2017年11月18日14.00~ A&Hホールにて)

白鷺だより(278)シネマクラシック(8)「市民ケーン」

2017-11-14 20:40:31 | 映画
シネマクラッシック(8)「市民ケーン」



 この映画を最初見たのは関学の学園祭「新月祭」であった 
ちょっと過激な関学映研のチョイスでかなりの映画を見た その一本であった 
併映が若松孝二の「処女ゲバゲバ」足立正生の「鎖陰」だったのは「時代」だ 
また「同期の桜」を撮ったばかりの中島貞夫監督や「薔薇の葬列」を撮った松本俊夫の講演会も映研の主催だった
松本清張の「霧の旗」や黒沢の「わが青春に悔いなし」など くそまじめな映画は法学部自治会の映画会で見た
この楽しい学園祭も2年間しか経験出来ないまま関学は学園封鎖に突入してしまった・・・ 
と他人事のように書くがその犯人は我々だった

 トランプ大統領はこの映画が大好きで特に夫婦の食事シーンのモンタージュが気に入っていて自分も同じ経験があるらしく(金持ちになっていくにつれて夫婦の間が離れて行く)共感して「俺だったら若い女を貰うが」と減らず口を叩いた しかし彼は「ケーンがスキャンダルが発覚して どうしても手に入れることが出来ない大統領の椅子」を手に入れた 
しかしそのためCNNやFOXなど大手マスコミ界は彼を叩くべくネガティブキャンペーンやフェイクニュースを繰り返し放送しトランプを追い落としにかかる
逆にケーンは当時の新聞、ラジオなどマスコミ全部駆使して世論を操ることが出来た この結果でっち上げで米西戦争まで勃発させる

マイケルジャクソンが39億円使ってピーターパンを倣って「ネバーランド」を作ったようにこのケーンはモンゴル帝国のジンギスカーンの都を真似て「ザナドゥ」を作った

1941年フロリダの「ザナドゥ」と言われる大邸宅でケーンは孤独の中息絶えた
 「薔薇の蕾」この言葉を残して 
マスコミはありきたりの死亡報道(15分のニュース映画)よりもっと彼の人間性を探るべくそのダイイング・メッセージである「薔薇の蕾」の謎を探っていく 編集者のトムスンはこの謎を追って彼の二番目の妻スーザン(彼女の為にオペラ劇場を造りザナドゥも作った) 後見人の銀行家(回顧録) 新聞のブレーンでバーステインとリーランド(ともに新聞社を興す仲間) 大邸宅の執事の五人を訪ねて歩くが謎は「薔薇の蕾」の意味が判らない どのアメリカ人よりアメリカンドリームを体現したにも関わらず彼は孤独の中で死ぬ 
だが整理されて燃やされる遺品の中に「薔薇の蕾」と書かれた彼が子供の頃に乗って遊んだ汚い橇があった

弱冠25歳のオーソン・ウエルズが当時の特殊メークで青年から晩年まであらゆる年代を演じる 色々技術的な斬新さが言われるがそれはオーソン・ウエルズがあまりにも映画の技法に余りにも素人であったから出来たのであって その要望に応えた優秀な職人がいたから出来たのである
 
このケーンのモデルが当時のマスコミ王であったW・ハーストであったことから一切新聞に広告を出せない状況を強いられ評論家は買収され上映館にも圧力をかけた  またその年のアカデミー賞にも圧力をかけられ脚本賞のみの受賞となった 
実際のハーストは1951年88歳まで生きた 

当時マーキュリー劇団を主宰していたオーソン・ウエルズは1933年放送したラジオドラマ「宇宙戦争」を放送中「ほんとに火星人が襲来してきた」と錯覚して大パニックを起こした その才能に注目したRKO(当時経営難に陥っていた)がウエルズに10万ドルと制作に関する一切の権限を委ねるという破格の契約で映画を作らせた 最初「闇の奥」を映画化に撮りかかったが中止となる(このあとコッポラが1979年「地獄の黙示録」として映画化)そのあとスパイ小説の映画化も企画するが頓挫 脚本家ハーマン・J・マンキーウイッツが長年温めていたハーストをモデルにしたアイデアを基に 二人で改訂を繰り返し脚本を完成させた 最初のタイトルは「アメリカン」だった

この頃のオーソン・ウエルズをモデルにしたイギリス映画「僕と彼女とオーソン・ウエルズ」(2009年日本未公開)をなぜか僕は見ている おそらく海外旅行の飛行機の中で見たのであろう このころのオーソン・ウエルズに出会った高校生の話だ 当時の彼のマーキュリー劇団の様子がよく判る

劇団で一緒だったジョセフ・コットンと共演した「第三の男」はもしかして同じく関学で見たかも・・・・

映画は「歴史上最高の映画」「これこそ映画の教科書」と絶賛されるがこの映画を25歳で作ってしまったウエルズは後年は不遇だった
そんなウエルズが1979年ニッカウヰスキーのコマーシャルに出て来た時はビックリした

白鷺だより(277)シネマクラシック(7)「赤い天使」

2017-11-11 10:45:37 | 映画
シネマクラシック(7)「赤い天使」



 大映映画「赤い天使」を久しぶりに見た
若尾文子主演 増村保造監督 1966年 この年の芸術祭参加作品だ
しかし この映画は日本よりフランスでの評価が高いのです

 若尾文子が大映に入ってすぐの1952年 急病の久我美子の代役で「死の街を逃れて」でデビューして翌年の「十代の性典」がヒットして「性典女優」などといわれたがそこから溝口健二 川島雄三などに鍛えられ山本富士子と並んで大映の看板女優となった若尾と増村保造とコンビを組み「青空娘」「妻は告白する」「清作の妻」「夫は見た」「卍」に続いてのコンビ作がこの「赤い天使」だ 
このあともこのコンビは続き合計20本の作品を生むことになる

「増村さんは長い私の映画生活の中で影響を受けた監督の一人 私には細かい演技指導は一切なさいませんでした 以心伝心というか不思議な関係でした これだけ縁が深くてもお食事に一度も行ったことないんです 父の郷里が山梨で一緒で他人のような気がしなくて 増村さんも私のこと「妹のよう」と言っていたみたい 余計な事、個人的なことは離さないげど好きでした」(若尾文子談)

増村は東大法科を出て哲学科に再入学 学費稼ぎに大映の助監督になり溝口健二らにつく
その後イタリアに映画留学 戻ってきて正式に助監督に復帰という映画エリート

増村保造はその名前は知らなくても大映映画ファンだった僕はかなりの本数を見ている
大映のドル箱シリーズ雷蔵「陸軍中野学校」勝新「兵隊やくざ」の第一作目は増村が撮った 
大好きだった田宮二郎の「黒シリーズ」も第一作「黒の試走車」も監督した
ちょっとHな渥美マリの「でんきくらげ」「しびれくらげ」もそう 
ちょっとおしゃれなコメディ「足にさわった女」や文芸物では谷崎の「卍」「痴人の愛」有吉の「華岡青洲の妻」もそうだった

井上ひさしの自伝的小説「青葉繁れる」によると東北一の進学校仙台一高の落ちこぼれたちが憧れのマドンナ仙台二女高の若山ひろ子のモデルが後の若尾文子だった話は有名である その若尾文子が従軍看護婦となって中国大陸を彷徨い歩く

予告編の惹句には「明日をも知れぬ身体ゆえ 白衣の下の女が燃える 血と泥の戦場で 男の欲望と戦い 女のいのちを生きる従軍看護婦  天使か? 娼婦か?」とある

昭和14年、西さくら(若尾文子)は従軍看護婦として天津の陸軍病院に赴任した
数日後消灯後の巡回中 数人の患者に輪姦されてしまう 原作(兵隊やくざと同じく有馬頼親)を読んだ人によると何度か拒むが結局彼女の方から身を投げ出すらしい その後深県分院に転属になった彼女は負傷した手足を切りまくる(骨を切るノコギリの音が耳に残る)岡部軍医(芦田伸介)の下で多忙な日々を送っていた 傷ついた兵士を三択 摘出(銃弾)、切断、死亡(助からない)に分ける その死亡の中にいた かって自分を強姦した兵士を助けようと岡部に輸血を頼む「今夜俺の部屋に来るのだったら輸血してやる」彼女は条件を承諾するがが その兵士は死亡する 天使のつもりだが実は「死神」彼女は悩む 部屋に行った彼女はそこで岡部がモルヒネ中毒であるのを知ってしまう
 
天津に戻った彼女はそこで両手を岡部に切断された折原一等兵(川津祐介)に出会う 
用をたすのも性欲の処理も全て引き受けざるを得ない ある日外出許可を取って二人でホテルに行き 綺麗に洗ってあげて 騎乗位で結ばれるが彼はビルの上から投身自殺してしまう 口で鉛筆をかんで書いたと思われる彼女あての遺書を残して・・・
ここでまた原作を読んだ人によると折原は首を吊って自殺していて その自殺方法が判らないと後の「四万人の目撃者」の作者らしく推理ものが入るが真相は実は性処理を新人看護婦津瑠崎(映画の後半西が前線に連れていく看護婦)に頼んだが彼女が男性経験がなく うまく出来なかったことを男が怒る 彼女はずっと申し訳なく思っていて彼の自殺を助け西宛の遺書も書いてやるという話だったらしい 
さてその新人看護婦を連れて行った先は営林鎮 日本軍の最前線 周りは敵だらけ さらに従軍慰安婦が中国軍によってコレラ菌を移され壊滅的場所だった そこで彼女は明日の命も判らぬ岡部のモルヒネ中毒を直すべく禁断症状を克服させ 不能だった岡部を直し二人は結ばれる
 ニッコリ笑って「西が勝ちました」と叫ぶ顔が天使だ
しかしそのあとには中国軍に襲われ部隊は全滅してしまう 
かろうじて生き延びた彼女はやっとやって来た援軍に自らの身分を名乗り 見つけた岡部の遺体に縋り付きます

中国軍が一人も顔を見せない戦争映画
増村が「兵隊やくざ」(1965)を撮り「清作の妻」(1965)、「陸軍中野学校」(1966)を撮ったあとの戦争ものの作品である

増村は大映倒産後も活躍したが1986年62歳で死去
誰だ 69まで生きてる奴は!