白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(433) 「浮草」

2023-03-27 14:11:31 | 映画

浮草

3月一杯で終了する映画配信アプリGYAOで久しぶりに小津の「浮草」大映(1959)を観た

この映画の前年小津は松竹で「彼岸花」を撮った時大映スター山本富士子を借りたためそのバーターとして小津が大映で監督することになり、かねてから松竹で予定していた「大根役者」をまわすことになった(*)  この作品は戦前(1934) 小津が「浮草物語」として映画化したお気に入りの作品で1928年のアメリカ映画「煩悩」(ジョージ・スッツモーリス監督)を小津ことジェームズ・槙(ジェームズ三木がリスペクトしてペンネームにした) が換骨奪胎した坂本武主演の喜八ものの一本である 喜八もののもう一本は「出来ごころ」も名作である ついでに書くと「キネマの天地」の渥美清の役名も喜八である

役者市川左半次こと喜八に坂本武 他に八雲理恵子、飯田蝶子、三井秀夫

(*)予定配役は進藤英太郎、淡島千景、有馬稲子、山田五十鈴

成駒屋の鴈治郎は息子扇雀が宝塚映画に入って梅田コマなど東宝系の劇場に出たため、松竹に遠慮して歌舞伎を辞め大映に入り映画に専念していた

あらすじ

志摩半島にある小さな港町に知多半島を廻って来た船が着く嵐駒十郎(鴈治郎)一座がやって来た 駒十郎には副座長のすみ子(京マチ子)と懇ろになっていたのだがその町には彼の子供を生んだお芳(杉村春子)がいた 駒十郎はすっかり成長した息子清(川口浩)の相手をするうちに親心が芽生える すみ子はそんな彼の変化に苛立ち、真実を知ると一計を案じ若い座員の加代にある頼み事をするのだが……。

この息子役は戦前の「浮草物語」は三井秀夫=戦後版「浮草」の座員役の三井弘次である この2本とも出演したのは彼のみである

さてこの映画が藤田まことによって舞台化されたのは昭和58年のことである 「人生まわり舞台 旅役者駒十郎日記」がそれである

それまで名鉄ホールのお正月公演は花登筺作品であったがこの時に藤田まことに変わったのである この初演の舞台はこの年梅田コマでの再演が決まっていたので何度も観た 以降藤田の代表作となり 新コマ、明治座などの再演を繰り返して来た その殆どを僕は観ている この舞台版のミソは駒十郎の子供ではなく娘であることだ 

小さな町の小さな映画館で大映ファンだった僕は公開時にこの映画を観ている舞台が同じ三重県と云うこともあるが若尾文子が好きだったこともある

ともあれこの旅役者駒十郎一座の何十年に渡った良き贔屓客だったことは間違いない

 

 

 

 

 


白鷺だより(432) トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」

2023-03-17 19:56:36 | トップホットシアター

トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」

 

 事の起こりは僕が沖縄から帰って来た翌日の芦屋凡々こと中村朋唯さんのフェイスブックの投稿記事だ こんな投稿だ

昨日は親しくさせて頂いているMさんより桂米朝一門会にお誘いを受け飛んて行きました 大和郡山城ホールです(中略) 米團治師匠や南光師匠にご挨拶してざこは師匠とも久しぶりにゆっくり話せて嬉しかった 話題はお互い若い時蝶々先生に教えを受けた話は二人とも朝丸、凡々に戻し、現実に戻れば一昨日お会いした4代目桂春団治師匠と同じく落語界の今後の話でした 現役を引退して裏方に廻ってた私はお二人の責任の重さを考えると励ますしかありませんでした 春団治師匠は昭和23年生まれ、ざこば師匠と私は22年生まれ、みんな団塊世代です(以下略)

ざこば師匠の病気のことが気になっていたので凡々と沖縄から帰ったら会おうと約束していたこともあり「ざこばさんに会ったのですね、詳しくはお会いした時ゆっくり聞きたいものです」とラインしたら

「吉村さんの名前もでましたよ 師匠は脳梗塞で倒れ、昨年秋にまた倒れ 誤魔化しながら高座に出てるが噺家として悔しいと、私には励ますしか出来ないのが悔しいです タイミングが合えば会いに行ってやりましょうよ 米朝事務所社長になった元マネージャーTさんも新世界の寄席に来てやって下さいよと言ってましたし」との返事 そうだ、彼も又病気の後遺症で苦しんでいるんだ 何も出来ないが病気の先輩として慰めてあげたいと思ってその旨を伝えるとTさんと相談してくれて3月1日動楽亭で会えることになった その日は家人が病院に行く日だったが変更して貰ってオッケーした

動楽亭はざこばが生まれ育った西成山王の地に若手育成のため建てた私設寄席で定員100名、月20日公演となっている マイクなし、下座は生演奏

3月1日 天吾、小鯛、ひろば、米紫、中入り、ざこば、南天 

天吾、南天は南光の弟子、あとはざこばの弟子や孫弟子のラインナップ

少し早い目に着いたので小屋の前の喫茶店でお茶を飲んていると社長のTさん(このあたりの事情に疎く社長が変わったことも知らなかった) から師匠はオッケーですので上がって来て下さいとの電話あり コンビニの横のエレベーターで二階へ 楽屋にはざこばと出番の若手たち、帽子をとってもまだ判らないので慌ててマスクをはずすと空気は一遍に70年代に戻った ざこば師匠とは22 年前の松竹座以来だったが米紫(当時はとんぼ)らはよく覚えてくれていた 当時のバンスだらけの貧乏生活 テケツの女の子に借金して酒を呑んだこと 上司や同僚スタッフのこと 僕が梅田コマに行ったら同じくコマの制作に移った元支配人のKさんを訪ねては制作室にあった酒を飲んでKさんの仕事が終わるのを待っていたこと(まだ朝丸時代)、ざこばになったあとはピタッと止まったこと 米朝一門の芝居のこと(平成9年南座) などにざこば、凡々22年生まれ、僕23年生まれの75歳トリオの話の花が咲き いつしか話はお互いの病気のことへ 病気はざこば師匠は6年前、僕は14年前 やはりものを覚えるのは辛いらしく(このあたりは僕と同じ)   この前の一門会は何を演ったのの質問に「鉄砲勇助」や、それと「上澗屋」と「笠碁」しかでけへんと寂しく笑った その日も早く楽屋入りして「上澗屋」のネタをくっていたという それでも自信が持てずその日のネタを最後の最後まで迷っていた

やがて中入りが終わり出番となり出囃子の御船に乗ってでていった

マクラでいきなり「今昔の友達が来てくれましてその人も私と同じ脳梗塞で倒れはって左半身が不自由なんです 心配おかけしてますが私もリハビリのかいあって何とか良くなってきてます(ここで酒の話になれば良かったのだがたまたま楽屋で喋っていたタバコの話になり「先生! タバコは吸ってもいいですかね」「ああ良いですよボチボチなら」「そうでっか ほな」と持っていたタバコ全部口に咥えて吸ったのオチ そこから無理やり酒の話にして「上澗屋」に入った ソツなく「「上澗屋」半ばでございます」まで行って笑いをとったが本人としてはいい出来ではなく唇を噛んて降りてきた 無理してネタをやることはない 「マクラだけでえら落語でっしゃないか」枝雀師の御墨付のついた「マクラ」だけでも良し、動物愛護団体を無視して「動物イジメ」を再演するのも良し、弟子10人孫弟子3人の大世帯を支えていくのも楽じゃない 頑張ってもらいたい

ざこばがまだ健康な時に彼主演、僕演出の作品を一本でも演っときかったとシミジミ思う 但し同じポスターに名前が載ったことはある 娘さんのまいちゃん主演の前狂言の演出だ(平成13年松竹座)

必ずまた会おうと約束して元トップホット75歳トリオの再会はこうして無事終わった

頑張れ、ざこば師匠! 

頑張れ凡々! 

頑張れ 俺!

 

 


白鷺だより(431) ミヤコ蝶々「おんなと三味線」

2023-03-06 02:43:23 | 演劇資料

ミヤコ蝶々「おんなと三味線」

 

   昭和51年梅田コマの近く(北区茶屋町1-1 共信ビル) に「蝶々新芸スクール」が誕生した  同時に出来たのが㈱日向企画で松竹芸能から来た野田嘉一郎と云う方が仕切っていた 何故かこの日向企画は東京(乃木坂秀和デジデンシャルビル) にも事務所を構えていて主にTBS系の舞台制作を手掛けていた

この野田さんとは仲良くさせて貰っていた関係でその仕事のお手伝いをさせて貰っていた(参照白鷺だより141 日向企画の頃)  昭和51年に南田洋子と長門裕之夫婦のダブル主演で「極楽夫婦」という作品を九州巡業でやった時蝶々さんが社長の立場で観に来て興味なさげに「ふーん」と言って帰った  蝶々さんにあった芝居なのになあと思っていたので意外だった

長門裕之さんの染丸と石浜裕次郎さんの春団治がマッチ棒を並べて女の数を子供のように比べ合うシーンは何度みても面白かった

この「極楽夫婦」と云うのは1969 年NHK銀河ドラマで亡くなった林家トミさん夫婦をモデルに南田洋子、金田龍之介主演で放送され評判を取ったドラマで原作田辺聖子「でばやし一代」富士正晴「紅梅亭界隈」で茂木草介さんの脚本だった 南田はこのドラマが気に入り茂木草介さんに舞台化して貰っての公演であった 

翌52 年中座の前を通って驚いた  6月公演のポスターを見るとミヤコ蝶々特別公演「おんなと三味線」とあった なんだ蝶々さんはこの芝居を気に入っていたんだ、しかし著作権は大丈夫なのか と心配になって見ると田辺聖子「でばやし一代」より 茂木草介原作 日向鈴子脚色・演出となっていて彼女にとって初めての脚色作でありモデルが存在する作品だった

さてここに「おんなと三味線」のパンフレットが3冊ある トップホット時代からの盟友芦屋凡凡こと中村朋唯さんからお借りしたものだ 昭和53年7月名鉄ホール公演、昭和54年南座だ それに僕がポスターを見て驚いた昭和52年の中座のものもあった

中座の配役は西村晃さんの林家染丸、品川隆二の桂春団治 初恋の相手は本郷功次郎、林家とみさん役は58歳のミヤコ蝶々だ 

名鉄ホールは初演と同じで西村晃さんの染丸、春団治は沢本忠雄 初恋の相手は荒谷公之 

南座公演はいかにも決定版として芦屋雁之助の染丸、小島秀哉の春団治と関西の役者で固めた 二枚目は川地民夫 しかも蝶々さんは紅梅亭の御簾内で出囃子を実際弾くし 雁之助は落語「野崎詣り」のサワリを聞かせたりサービスタップリだった

林家とみ

明治16年生まれ  当時の風習通り6つの年の6月6日から三味線からの稽古を始め、好きこそものの上手で16.7歳の頃から寄席のお囃子部屋に出勤するようになった そこで二代目林家染丸に見初められ夫婦となったのが大正9年.とみさん32歳の時だったというから晩婚であった その時染丸は48歳、もちろん初婚ではなくすでに3人の子持ちであった そして結婚してからも染丸の放蕩は続く しかしとみさんはそんな染丸にまめまめしく仕え貧乏世帯をやり繰りし、そして自らは寄席のお囃子部屋に座り 例えば亭主の十八番の「電話の散財」を演る時は三味線を弾いて夫を助けた

「昔の落語家はんの嫁はんちゅうものは亭主の浮気と金の苦労は付きモンやった 頼りない男やけど自分がついていてやらなければほんまにどうしょうもないような男、そんなグウタラ亭主にトコトンまで付いて行くアホな女のいじらしさ 女として夫を愛して芸人として三味線に打ち込んだそんな女の芝居です」 そう云う蝶々さんだんだん主人公とダブってくる

進行(舞台監督)に堀本太朗さんの弟子で身体が小さかったので「コタロウ」との愛称で呼ばれていた井原共和さんの名前がある この後中座の芝居ではよく助けて頂いた

 

 


白鷺だより(430) 「バビロン」と「キネマの天地」

2023-03-04 11:01:09 | 映画

「バビロン」と「キネマの天地」

「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督作品として鳴りもの入りで封切られた「バビロン」がどうも不調らしい 先月(2023年2月)たまたま沖縄のシネコンで観たのだが観客はわずか8名だった いつ終わってもおかしくない入りだ 長時間の映画との予備知識をもって臨んだが最後はシッチャカメッチャカになってしまい訳が解らなくなっていた どうも映画に臨む姿勢が間違ったらしい 

リウッドのSEXシンボル クララ・ボゥがモデルといわれるマーゴット・ロビー扮する新人女優の出世の物語、そう松竹映画の「キネマの天地」の有森也実扮する田中小春( 田中絹代がモデルか)を観る姿勢で見始めたのだ それ程この二つの映画には共通点が多い 時代も近くトーキーに切り替わる1920年代から1930年の頭まで映画産業が異常に大きく伸びた良き時代を描いていることもあるが( そうキネマの天地の副題はThe Goldenage  of  Movie)   アメリカと日本ではこんなにも違うのか 「バビロン」のブラピの役どころのサイレント映画の二枚目スター役の田中健が遊びに行くのは木の実ナナが歌って踊るクラブだが、ハリウッドの酒池肉林のパーティに比べその貧弱なこと アメリカでは役者のウサバラシに使うのは酒池肉林のパーティと大量のヤクとSEXを使うのに日本ではたかが酒とSEXだ

「キネマの天地」の脚本部の島田(中井貴一)は「バビロン」では映画製作志望のマニー(ディエゴ・ガルパ)だが極めて日本的にブルジョワの息子で左翼闘士の友人がいる(面白いのは本棚にマルクス兄弟(喜劇グループ)の洋書がありマルクス主義者に間違えられる) 岡田嘉子のソ連逃亡など日本の「キネマの天地」では近づく戦争の影が描かれているが「バビロン」ではそんなそぶりも全くない

ちなみに「バビロン」にはアメリカ映画の名作「雨に歌えば」が頻繁に登場するが この映画も又同じ時代を描いた映画である トーキーに変わっていく過程を面白おかしく描いた作品であるが封切当時は不入で不評であったが売れない映画をテレビの穴埋めに使われ、何度も放送されているうちにその主題歌も相まってだんだん良さが判ってきて今やアメリカ映画のベスト映画に必ず入っている

「キネマの天地」

東映の深作欣二に「蒲田行進曲」を作られ松竹人として悔しく思っていた野村芳太郎は 盆暮れに必ずニ本撮っていた「寅さん」を一本中止して貰って(寅さんレギュラー陣はこの映画に全員参加)製作した 脚本には井上ひさし、山田太一、朝間義隆、山田洋次が参加、監督には山田洋次 

松竹大船撮影所50周年記念 (たかが50年前の話だ)

蒲田末期から大船に移る直前までの話である(1986年封切)

「バビロン」2022

バビロンの名に相応しい狂乱の1920年代からトーキー革命を経て30 年代の新しい映画に順応できずある者は自殺してある者は人知れず消えていく 戦後昔映画製作志望だった青年が懐かしいハリウッドを訪れる 小さな映画館にフト入るとあの頃の話の映画をやっていた

脚本・監督  デイミアン・チャゼル

ブラッド・ピット マーゴット・ロビー

遥かかなたの話のようだがたかが100年以内の話しだ 映画はそれ程歴史を持っている訳でもない

たかが映画!!、されど映画!!