白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(182)蜷川幸雄追悼(2)

2017-01-03 06:08:40 | 人物
蜷川幸雄 追悼(2)

「泣かないのか? 蜷川幸雄のために」と題したこの蜷川追悼特集は蜷川優等生勝村政信のナレーションで蜷川の作品を偲ぶ面白い企画で紹介された作品は
「王女メディァ」
「NINAGAWAマクベス」
「近松心中物語~それは恋」
の三本である

実際は三夜に渡って放送された物で前述のように沖縄旅行中であったため見ることが出来なかったので31日の一挙放送を見た次第であった

このタイトルは勿論「桜社」最後の作品 新宿文化で上演された清水邦夫の「泣かないのか? 泣かないのか1973年もために?」からきている
この後 蜷川は日生劇場での公演(初の商業演劇「ロミオとジュリエット」)を成功させ
かっての仲間には裏切り者扱いされていた そんな時代から40年よく走ってきたものだ

王女メディア
 1978年 花園神社境内で演じられたもの
神社本殿前の階段と広場を使って 遠くに新宿のネオンが見えた
(ラストのカーテンコールはアテネ神殿前での公演)
辻村ジュサブローの衣裳 高橋睦郎の修辞 コロスたち 男で演じる女形 
オープニングの三上寛の歌声を聞きながら僕の処女作も三上寛だったなあと思う
そんな時代だった
メディアの子供を演じた中越司はこのあと蜷川作品の美術を担当して 堀越の同級生の比企理恵と結婚した 
87年イギリス国際芸術祭に招待された時 平幹は休演 代役に嵐徳三郎

NINAGAWAマクベス 1985年 いわゆる仏壇マクベス 仏壇の中で演じられるシェークスピア
時は安土桃山時代
舞台全体を巨大な仏壇あ覆っている
両脇から老婆が二人出てゆっくり仏壇の扉を開ける
紗幕越しに満開の桜が浮かび上がり老婆たちはそれを眺めながらお茶を飲んだりお菓子を食べながらと日常生活をしながら展開する物語を見る
三人の魔女は嵐徳三郎たち歌舞伎の女形 仏像の立ち並ぶ場面 桜など日本らしさの中で
日本様式を駆使してセリフを変えることなく日本の物語にした
初演は平幹 マクベス夫人は栗原小巻 
2015年 市村正親 田中裕子の時もこの演出 
2001年 彩の国で唐沢寿明 大竹しのぶのバージョンではベトナム戦争後の荒廃したアジアのイメージで演じられた

近松心中物語~それは恋~
1981 帝劇再演公演 1979年帝劇初演 
忠兵衛 平幹二朗 梅川 太地喜和子 与兵衛 菅野忠彦 お亀 市原悦子
この再演の舞台を見て御園座の制作村上さんは御園座に呼ぶことを決心した
入りが心配されたが結果は大当たり 千秋楽には村上さんは紙の雪を撒きながら御園座を一周したという

鐘の音が響く中 すすり泣きの声が聞こえる
一条の光で浮かび上がるジュサブローの操る女郎の人形 客席を花魁道中が進んで来る
突然まばゆい光の中に色町が現れる この頭の五分が勝負だ
それとラスト森々と降りしきる雪がこの芝居の核だ 
そこには森進一の「それは恋」が流れる

 「それは恋」 秋元松代 作詞 猪俣公章 作曲

朝霧の深い道から 
訪れて 私をとらえ
夕もやの 遠い果てから 
呼びかけて 私をちらえ
ひたすらの 愛の誓い
あふれさせたもの 
それは恋 私の恋 


この御園座の公演のあと名古屋のゲイバーのショウは「近松心中」一色となった
僕が見た「つけもの」のショウは「それは恋」の歌に乗って逃げていく梅川忠兵衛が
役人に見つかり 素っ裸となり最後の営みの後 死んでいくというものであった

2016念は日本演劇界において蜷川幸雄 平幹二朗という大きな柱を失った年として記憶されるであろう

泣かないのか2016年のために