天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

12日逝去北原亞以子さん『慶次郎縁側日記第二巻再会』で御公儀非公認岡場所の町奉行取締定法を私に遺言す

2013-03-17 09:09:17 | 日記
今日の日記は、私が今読んでいる12日に亡くなった北原亞以子さん(1938年1月20日~2013年3月12日)の代表作『慶次郎縁側日記 第二巻 再会』(1999年・新潮社刊)の最終収録短編「再会三 恋する人達」のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、北原亞以子さんが亡くなる直前から、この著書を自宅で読んでおり、その訃報に接して、今とても驚いています。そして、私のまったく個人的な見解ですが、何か著者が私に伝えたい事があり、私も書店でその北原さんの思いに引かれて、この著書を購入したのではないか?今強く得心しています。
何故なら、最終収録短編「再会三 恋する人達」で言及している江戸時代の御公儀非公認の岡場所と町奉行の取り締まりに関する通例・規則(定法)を、私がこの著書で初めて知ったからです。以下にこの短編小説から、その通例・規則に関するくだりを引用・掲載します。
『岡場所は、吉原のように、一夜の恋を公認された場所でないので、時折、風紀を粛正する嵐が吹くのである。遊女商売をしていた者、妓楼の主人は過料の上、百日間の手鎖、遊女は吉原へ下げ渡される。三年の年季で働かされるのだが、吉原では、町毎に入札をして遊女を引き取るという。女衒に高い金を払うことなしに、客あしらいを教える手間のない女が手に入るのだ、吉原にしてみれば、きわめて都合のよい定めだろう。吉原の楼主にせっつかれると、奉行所が腰をあげるという噂は、ほんとうかもしれない。・・岡場所の楼主も、たちの悪い岡っ引への附届を忘れなければ、手入れのあることは前日に教えてもらえる。手入れの当日は、遊女達に前掛をさせ、たすきをかけさせて料理屋をよそおうとか、遊女を隠してしまうなどの方法をとり、奉行所に苦笑いをさせることもできるのだ。』
以上が、この小説の背景となっている江戸の風紀粛正の定めです。この小説では、岡場所の女楼主は、ヒモみたいな亭主を自分の代わりに楼主に成らせて、自分は飯炊き女に格下げになって、奉行所に通報して自らの妓楼の手入れを実現させようと画策しています。そして、この女楼主は、飽きた亭主を追い出して若いツバメと所帯を持とうと企んでいるのです。
私は、今まで数多くの江戸の市井を扱った時代小説を読んできましたが、この御公儀非公認の岡場所と町奉行の風紀取り締まりに関する定法を全く知らなかったです。そして、亡くなった北原亞以子さんが、自分勝手に知ったかぶりで”悦に陥っている私”に、江戸時代の風俗に関する無知を示して、強く叱咤激励しているような感じがしています。
だから、私はとても惜しい時代小説家を失った残念な思いをしています。そして、私は今、時代小説の名手・北原亞以子さんのご冥福を衷心より祈念しています。
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