天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

一般の鉄製十字架を下げた質素な装いで謁見した清貧なフランシスコ1世新法王の手腕で世界平和の実現を期待

2013-03-16 15:49:24 | 日記
今日の日記は、13日新ローマ法王に選出されたホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(法王名:フランシスコ1世)のことです。添付した写真は、サンピエトロ広場で信者の祝福に応える新法王です。
この新法王・フランシスコ1世は、初めて中南米出身(アルゼンチン・ブエノスアイレス大司教で、父親は移民のイタリア人)の枢機卿から選出されたイエズス会(法王選出も初)の神父です。私はカトリック信者でもないですが、この選出された新法王に、とても親しみや期待感を今抱いています。
イエズス会は、日本にとても馴染み深い宗教団体で、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもイエズス会の神父でした。そして、私自身も2009年10月20付日記『連載が始まった読売新聞『時代の証言者:教育と信仰 ヨゼフ・ピタウ81』は天命を果たせる幸せな方』で、上智大学元教授・学長でもあったイタリア人イエズス会修道士のヨゼフ・ピタウさん(1928年10月20日、イタリア・サルデーニャ州ヴィッラチードロで生まれ、1952年に来日された)を皆さんに紹介しています。
また、新法王は、この所属イエズス会の前身修道会「フランシスコ会」を創設したアッシジのフランチェスコ(フランシスコのイタリア語読み、1182年頃~1226年)にあやかって、自身の法王名にしています。
私も、この聖フランチェスコを題材したイタリア映画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』(1972年製作 フランコ・ゼフィレッリ監督 グラハム・フォークナー主演)をリアルタイムに劇場鑑賞しており、とても親近感を持っているカトリク宗教家です。
その宗教姿勢は、とても清貧で全て物欲を否定するものでした。この映画では、宗教の教えに目覚めたフランチェスコが、突然着ている服を脱ぎ、両親に返しています。「もう、あなたの息子ではない。人間にとって大切なのは、富ではなく心です。これからはキリストのように乞食になります」と言って、新しい教会を独力で作り出す決意をします。
だから、謁見した新法王は、以前の法王の法衣とは違い、全く質素な装いです。十字架も高価な金製ではなく、一般的な鉄製のものです。(注:添付した写真を参照)さらに、就任した後も自身の専属の公用者を使わず、他の枢機卿と同じ乗合バスで宿舎に戻ったとの報道がありました。そして、極めつけは、母国アルゼンチンのカトリック信者に、イタリア・ローマ・バチカン宮殿で行われる就任式に来ないように伝えたことです。もし、信者が来るつもりなら、そのような気持ちだけで充分で、新法王はその掛かる旅費分を母国の貧しい人々に施してほしいと要望していました。
信者でもない私でも、このフランシスコ1世の宗教姿勢に強く共感しています。そして、この清貧な新法王の手腕で、これからの平和で貧困者がいない世界の実現を、私は大いに期待しています。
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