天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

新藤兼人著『シナリオ人生』南部坂雪の別れで大石の手紙読む瑤泉院に監督の一貫した溝口的リアリズムを見た

2012-07-30 21:41:02 | 日記
今日の日記は、今読んでいる新藤兼人著『シナリオ人生』(2004年・岩波新書刊)に書かれた「元禄忠臣蔵」での”溝口的リアリズム”のことです。添付した写真はその著書の表紙です。
私は7月16日・17日付の日記で、新藤兼人が建築監督を務めた溝口健二監督作品の映画「元禄忠臣蔵」を紹介しました。今読んでいる新藤兼人著『シナリオ人生』に、この映画でのとても興味深く私も強く共感した新藤兼人氏の溝口流演出の指摘がありました。
以下に、その記述の一部を引用・掲載します。
『真山青果の戯曲どおり、内蔵助の別れは瑤泉院(内匠頭の未亡人)の南部坂の屋敷で行われる。・・浪花節や講談でもよく知られた、南部坂雪の別れ、である。溝口健二もそのとおりにいく。・・内蔵助が帰ったあと、瑤泉院は床にはいって眠りにつく。夜の松の枝に積った雪がばっさりと落ちる。・・瑤泉院は、はっと目覚める。そこへ侍女がきて、こんなものが届けられたと書状を見せる。それは内蔵助が届けさせたもので、討入りの状況がこまかくしるされている。・・このシーンは、ながながと手紙を読む瑤泉院では退屈すぎた。普通の映画なら、手紙を読む瑤泉院にモンタージュして、討入りの場面が挿入されるのだが、それでは、映画的な映画になってしまうという溝口健二の一貫した溝口的リアリズムであった。』
この新藤兼人氏が指摘した”映画的な映画”を排除した溝口健二の一貫した”溝口的リアリズム”に、私も強く共感しました。映画のこのシーンを鑑賞していて、少しまだるこい感じを私も受けていましたが、新藤兼人氏の適切な指摘を知り、あえて溝口健二は”映画的な映画”を排除したのだと、私は今得心しました。
新藤兼人氏は、大監督だったからこそ、巨匠・溝口健二が意図した真の映画演出を良く知っていたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする