天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『切腹』仲代達矢が語る”今日は他人の身でも、明日は我が身”に私自身が昔鳴らしたその警鐘を思い出す

2012-07-01 18:22:39 | 日記
今日の続々編日記は、松竹映画『切腹』(1962年製作 小林正樹監督 橋本忍脚本 仲代達矢 岩下志麻 石浜朗 三國連太郎 丹波哲郎主演)その3のことです。
津雲半四郎(仲代達矢)は、斎藤勘解由(三國連太郎)から、千々岩求女(石浜朗)の竹光での切腹顛末を聞かされも、少しも怯まずこの着たままの衣服で、庭先での切腹を再度所望します。
添付した写真は、その庭先で切腹しようとする津雲半四郎(仲代達矢)です。そして、彼はその介錯人に、井伊家御家中にその人ありと言われた神道無念一流の使い手、沢潟彦九郎(丹波哲郎)を指名します。そのたっての所望に、斎藤勘解由(三國連太郎)は、病気に付き出仕していない沢潟彦九郎の役宅に直ぐに使い番を派遣して、火急に出仕するよう取り計らいます。
その介錯人の到着を待つ間に、津雲半四郎(仲代達矢)は『退屈しのぎに拙者の身の上話でも一つ』と、斎藤勘解由(三國連太郎)ら井伊家家中に、自身の話を語り始めます。
その語り始めた津雲半四郎の言葉と受けた斎藤勘解由の返答に、私は強い衝撃を受けました。以下に、その二人の会話を引用・掲載します。
・仲代達矢『食い詰め浪人の貧乏話で埒もござらぬが、今日は他人の身でも、明日は我が身ということもある。方々も、何か一つくらいは、その世迷言の中から会得されることもござろう!』
・三國連太郎『今日は他人の身でも、明日は我が身、ハッハハハハ・・・いやあ それも一興!後学のために心して聞け!死に臨み、死に向かい合いたる者の言葉、ああ、単なる一片の世迷言でもあるまい!必ずや、何か得るところもあろう!』
そして、この譜代大名家の家老(三國連太郎)のあまり真剣にはなっていない嘲りの気持ち(注:実際、井伊家は幕末まで長く存続)にもめげず、浪人・津雲半四郎(仲代達矢)は、静かにとても悲惨な身の上話を始めるのです。
そして、この仲代達矢が語った”今日は他人の身でも明日は我が身”の言葉に、私自身の昔体験した身の上話にも、とても強く関連している事に気が付き、私は今そのエピソードを思い出しています。
私自身も、この日記で、私の某ストリップ劇場からの追放劇に関して、同じストリップ客に、『今は他人事でも、明日は我が身に降りかかる事もある』と強い警鐘を鳴らした書き込みをしました。でも、誰一人として、その警鐘に賛同した客はいなかったです。
ようやく最近になって、その被害者(注:私を排除した親衛隊首魁から、劇場内で観劇中に暴行を受けた客)がもう一人出て来て、私の警鐘が正しかったことが多くのスト客に示されました。
だから、私は、この名作時代劇を、とても他人事とは思えないです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『切腹』竹光切腹を介錯人丹波哲郎は”軽佻浮薄なお手軽な事でなく全て古式に則り作法通り行う”と強要

2012-07-01 12:01:18 | 日記
今日の続編日記は、松竹映画『切腹』(1962年製作 小林正樹監督 橋本忍脚本 仲代達矢 岩下志麻 石浜朗 三國連太郎 丹波哲郎主演)その2のことです。
観念した千々岩求女(石浜朗)は、井伊家の中庭の切腹の場に引き出されます。そして、井伊藩馬廻り役・沢潟彦九郎(丹波哲郎)の介錯で、彼が持参した脇差(病気の妻の為売り払い竹光になっていた)腹を切るように強要されます。添付した写真は、呆然とその竹光の脇差を見つめる石浜朗と介錯しようと身構える丹波哲郎の二人です。
さらに、この脇差が竹光と知りながら、井伊家の江戸家老・斎藤勘解由(三國連太郎)は、千々岩求女(石浜朗)に『人品骨柄貴殿が、そのようなゆすりたかりの輩とは、拙者毛頭思わぬ。誠の武士のあっぱれな死によう。さあ お心おきなく!』と賞賛して、無理やりその切腹を強要します。
さらに、介錯人・沢潟彦九郎(丹波哲郎)は、切腹する千々岩求女(石浜朗)に次のような覚悟を語ります。
『切腹の儀も世の移り変わりに従い変遷しつつある、近頃は切腹も単なる名目だけに終り、三宝の上の短刀に手を伸ばす、そこを見計らい、介錯の者が適当に首を打ち落とす。従って、実際は腹を切るのではなく、三宝の上も、指料の脇差や短刀の類ではなく、白扇などを置く場合もある。しかし!本日はそのような形式に流された軽佻浮薄なお手軽なことではなく、すべてを古式に則り、作法どおりに行う。よろしいかな!このように十文字に掻っ捌いて頂く!それをよく見届けた上で拙者が介錯仕る。十二分に掻っ捌いた上でなければ、介錯の儀は仕らぬ!よろしいかな。貴殿の指料である。お使い願おう。我が腰のものこそ武士の魂!これほど 最後を飾るにふさわしいものはあるまい!さあ、いかがめされた!お願い仕ろう!』
この言葉の後、観念した千々岩求女(石浜朗)は竹光で切腹します。でも、とても死に切れず、最後には舌を噛み切ってしまいます。とても壮絶なシーンです。
斎藤勘解由(三國連太郎)が、ゆすりたかりの”輩”と称した若い浪人千々岩求女(石浜朗)にも、最後には武士としての”意地”を井伊藩の家臣に見せたのです。とても武士道の非道さ・残酷さを強く訴えた名シーンです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『切腹』用意整い切腹催促に”理不尽な!”と叫ぶ石浜朗へ丹波哲郎”武士に二言はないはず”に強い衝撃

2012-07-01 10:22:52 | 日記
今日の日記は、今久しぶりにお茶の間鑑賞している松竹映画『切腹』(1962年製作 小林正樹監督 橋本忍脚本 仲代達矢 岩下志麻 石浜朗 三國連太郎 丹波哲郎主演)のことです。
私は、この時代劇の名作を、私の好きな日本映画ベスト5に入れているほど、とても感動した映画です。そして、今その感動を再び味わう為、レンタル店からDVDを借りてお茶の間鑑賞しています。
1963年にカンヌ国際映画祭で審査員特別賞、『キネマ旬報』年間ベストテンの第3位で、仲代達矢が主演男優賞を受賞した世界的にとても評価の高い日本映画の名作です。
物語は、江戸時代の譜代大名の家事日記「井伊家覚え書き書」を紐解くことから始まります。1630年<寛永7年>5月13日、津雲半四郎と名乗る芸州元福島藩の浪人(仲代達矢)が井伊家の江戸上屋敷を訪ねます。津雲半四郎(仲代達矢)は、応対した江戸家老・斎藤勘解由(三國連太郎)に、『切腹のために、井伊家のお庭先を拝借したい』と申し出ます。
それを聞いた斎藤勘解由(三國連太郎)は、その年1月末に同じ申し出をした若い浪人千々岩求女(石浜朗)の悲惨な顛末を、津雲半四郎(仲代達矢)に語り始めます。何度見ても、橋本忍の綿密に計算されたシナリオと、仲代達矢と三國連太郎の実年齢を感じさせない名演、静謐とした中での異常な緊迫感を巧みに演出した小林正樹監督の卓越した力量に、私は深く感服しています。
そして、その若い浪人・千々岩求女(石浜朗)を応対した井伊藩馬廻り役・沢潟彦九郎(丹波哲郎)の言葉に、私は今強く衝撃を受けています。以下に、映画からその二人の会話を引用・掲載します。
・丹波哲郎『さ 時刻も移ることゆえお召し替えを願おう すでに用意万端整うておる 作法どおりの切腹の用意がな』
・石浜朗『お願い仕る お願いでござる!今しばらくのご猶予を!逃げも隠れも致さぬ 必ず当屋敷へ立ち戻って参る 一両日のご猶予を!』
・丹波哲郎『それは今更ならぬな!』
・石浜朗『そんな理不尽な!』
・丹波哲郎『理不尽?切腹は元々ご貴殿の願いにより取り計らったものと心得るが』
・石浜朗『申し訳ござらぬ 一両日の猶予さえあれば 必ず!』
・丹波哲郎『武士に二言はないはず!相ならぬ!』
添付した写真は、その二人の会話の最後シーン(日本語字幕入り)のです。壁画正面に座るのが丹波哲郎で、背を向けて懇願しているが石浜朗です。
この二人の生死を懸けた息詰まる会話に、日頃から『理不尽』と『武士に二言なし』のこの日本語を多用している私は、今大いなる衝撃を受けています。
何故なら、今までとても安易に、古来からの日本語『理不尽』と『武士に二言なし』の重い言葉を用いてきたのでは?との強い反省を私が持ったからです。私が以前某親衛隊首魁から受けた迫害・劇場からの排他は、丹波哲郎から石浜朗が受けた惨い仕打ちに比べれば、話にならないほど瑣末のものでした。
だから、私は、当時の私が受けた迫害を今興味深く振り返りながら、名作時代劇を鑑賞しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする