天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『国際シンポジウム・溝口健二』木下千花氏卓越評論『元禄忠臣蔵』の風俗は日本的でなく異化効果として働く

2012-07-17 23:09:10 | 日記
今日の日記は、今読んでいる蓮實重彦/山根貞男編著『国際シンポジウム溝口健二―没後50年「MIZOGUCHI2006」の記録』(2007年朝日新聞社刊)に書かれた『元禄忠臣蔵』の映画評論のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
その著書の巻末に掲載された、木下千花氏の評論『世界の中のミゾグチ、溝口の中の世界』で、映画『元禄忠臣蔵』に関して、とても卓見な記述がありました。以下にその一部を抜粋・引用します。
『溝口のプロジェクトにとって重要なのは、「元禄」だ。まず、時代劇というのは基本的に江戸時代を舞台としている。時代劇の衣装・風俗・建築は、原作がどこの時代に設定してあろうと、歌舞伎、新国劇など舞台からの慣習で江戸末の文化文政期のものに従うのが常識とされている。・・しかし、溝口健二にとってはこの風俗こそが鍵となる。「元禄忠臣蔵」は時代劇の規範に抗って可能な限り元禄時代の風俗に則り、そうした意味で、空虚な観念に過ぎなかった「歴史映画」を一挙にかつ大胆に実現してしまった。・・破産的傑作「元禄忠臣蔵」は前後篇とも不人気に終わった。・・史実に則った溝口の映画こそは、哲学者長谷川是閑が言うところの歴史映画の使命を果たすはずだった。・・しかし、そうは問屋が卸さなかった。・・時代劇の規範に慣れ親しんできた観客にとって、「元禄忠臣蔵」の風俗は、「日本的なもの」でもって感性的な無媒介の共鳴を呼ぶどころか、まさに「異化効果」として働いてしまったのだ。』
このように、時代劇の時代考証(特に江戸時代)は、とてもいい加減なものです。逆に、時代に忠実に描いた『元禄忠臣蔵』は、”不人気の破産的傑作”と呼ばれてしまったのです。とても悲しいことです。
しかし、溝口が製作した『元禄忠臣蔵』には、まさに元禄時代の人物がものまま物語を演じているような強いリアリティーが存在しています。役者の鬘は、まったく自然で、実際自毛で結ったような現実感がありました。また、着ている衣装・その所作、建築物などを観ていると、当時の時代にそのままタイムスリップしたような思いを持ってしまいます。
この著書で書かれた公開座談会で、この『元禄忠臣蔵』を溝口映画のベストワンに、小説家・阿部和重氏(1968年生まれ、2005年「グランド・フィナーレ」で芥川賞受賞)が推挙していました。若い人の中にも、古い名作映画が持つ普遍の素晴らしい価値を判る人物がいることに、私はとても嬉しくなりました。
このように、名作映画は、時代を超えて後世に残っていくものです。
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