ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙に掲載された解説「トップ決断にノー言えず」を拝読しました

2013年05月29日 | 日記
 2013年5月26日に発行された日本経済新聞紙朝刊の中面に掲載された「日曜に考える」の中の解説「トップ決断にノー言えず」を拝読しました。

 この解説「トップ決断にノー言えず」のサブ見出しは「シャープ 赤字続き経営陣刷新」です。日経新聞のWebサイトでの見出しは、少し異なり、メインとサブの見出しを組み合わせています。



 メイン見出しは、解説を熟読しないと、意味がたぶん分かりません。サブ見出しは、即物的でシャープの内情を解説するものと伝わります。

 2013年5月14日に、シャープは東京都内で開催した社長交代会見で、新社長に代表取締役副社長執行役員の高橋興三さんが、現社長の奥田隆司さんに代わって、6月25日に就任すると発表しました。今回の解説「トップ決断にノー言えず」は、文章量は紙面の三分の一とコンパクトで、文章表現も冷静でかなり押さえた感じになっています。しかし、今回の異例の社長交代劇の背景を説明する中身になっていると感じました。

 今回のシャープの社長交代劇は、発表前に一部のマスコミが速報として報じました。しかし、シャープはその内容を否定するなど、なにか背後にきな臭い動きが感じられました。その後、経済週刊誌などが、今回のシャープの社長交代劇の深層を解説する報道記事を出し続けました。

 今回の日経新聞の解説「トップ決断にノー言えず」を読んで、日本の大企業の中には、企業ガバナンスと呼ばれる企業統治態勢ができていない企業があると感じました。その代表格がシャープです。同社は大幅赤字に陥った、ここ2年間、企業統治態勢がおかしかったといえます。

 2008年3月期には、シャープは同社にとって過去最高の1020億円の純利益を稼ぎ出します。1998年から社長を務めた町田勝彦さんが液晶テレビ「アクオス」に事業を集中させた成果です。2004年に、三重県亀山工場を稼働させます。当時、巨人だった松下電器産業(現 パナソニック)に比べて、“一・五流”と揶揄(やゆ)されたシャープの快進撃の始まりです。2006年には亀山第二工場を稼働させます。

 2007年にシャープの社長に就任した片山幹雄さんは、翌年2008年9月に米国発のリーマン・ショックの洗礼を受けたシャープの再建に着手します。実際には、その前に当時の世界最先端技術・設備を投入した、総工費4000億円強をつぎ込んだ建設途上の大型液晶パネル工場の堺工場(大阪府堺市)の投資額があまりにも巨額すぎることから、同工場を分社化し、ソニーから1000億円強の約34パーセントに相当する出資話をまとめます(この後日談は、後でご説明します)。
 
 こうした対策(主に、韓国のサムソン電子対策)を取りながら、2009年に大型液晶パネルを生産する堺工場が稼働すると、液晶パネルの在庫がたちまち積み上がります。このため、2009年に亀山第一工場の古い世代の液晶パネル生産設備を、中国企業に売却します。日本国内からは、技術流出になるとの批判が出ました。シャープの事業赤字の実態を知らない、外野からの批判でした。

 さらに、2011年には亀山工場を中・小型液晶パネル専用拠点に転換するなどの対応策に追われます。片山社長は台湾の鴻海精密工業(ホンハイセイミツコウギョウ、Hon Hai Precision Industry)との資本・業務提携を探り、2012年には、この動きを公表します。

 片山さんは、シャープの“プリンス”と呼ばれ、10年は社長を続けると就任当初はみられていました。しかし、2011年度に巨額赤字を出した責任をとって、2012年(平成24年)4月1日に社長の座を高橋さんに譲ります。2012年のシャープ再建の責任者として、社長の高橋さんが辣腕(らつわん)をふるうと誰もが考えました。しかし、そうではなかったと、日経新聞の解説「トップ決断にノー言えず」は押さえ気味に語ります。長くなったので、この続きは明日にします。