ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

朝日新聞紙「be」に掲載された大塚周一さんの社長就任の経緯を拝読しました

2013年05月26日 | 日記
 2013年5月25日発行の朝日新聞紙朝刊は、土曜日版「be」という別紙が付いています。その「be」のトップページに掲載されたコラム「フロントランナー」は毎回“時の人”を取り上げ、その方の独自の生き様などを解説します。

 5月25日のコラム「フロントランナー」には、ジャパンディスプレイ社長に就任して約1年になる大塚周一さんが登場しました。ジャパンディスプレイは、東芝、日立製作所、ソニーの3社の中・小型液晶パネル事業を統合しる新会社として2012年4月に設立され、中・小型液晶パネル事業を存続させる日本の最後の砦といわれた会社です(大型の液晶パネルでは、シャープが苦戦しています。シャープは中・小型液晶パネル事業も展開しています)。

 紙のbeの見出しは「液晶事業再建のかじ取り役」です。一方、朝日新聞DIGITALのWebサイトでは、コラム「フロントランナー」は上下の二部構成です。その上編の見出しは紙と同じです。



 今回は、大塚さんがジャパンディスプレイ社長に就任した経緯などを丁寧に解説します。大塚さんは、東芝などの大手電機メーカーという既存組織の出身者ではないことから、大企業に多い“サラリーマン社長”ではないことを力説する解説を展開します。



 事業統合会社のジャパンディスプレイが設立されるとのニュースが出始めた2011年当初は、東芝、日立製作所、ソニーの3社の中・小型液晶パネル事業を手がける各工場を“緩く”束ねて、それぞれが独自の事業を進めるのではないかとの噂が流れました。今回のbeの解説では、日本を代表する電機大手の東芝、日立、ソニーの事業部を単に束ねた会社ではなく「完全に融合した創業期の新会社という意識を植え付けた」と語ります。ベンチャー企業として、存続をかけているようです。

 設立前には、日本の統合会社でよく行われる“たすき人事”が融合策として実施され、事業改革ができないのではとも噂されました。この噂の理由は、日本の大手電機メーカーでは半導体などの主要電子部品事業の不振が続くと、事業統合し、打開策を探るからです。これは残念ながら、あまり成功していません。

 例えば、DRAMというパソコンやスマートフォンなどに使われている重要なメモリー半導体では、NECと日立、三菱電機の事業を束ねてエルピーダメモリを設立しました。あれこれとかなり努力したのですが、力尽き、現在は米国のマイクロン・テクノロジーの傘下に入り、事業再建途上です。

 同様に、システムLSIという電子部品では、ルネサスエレクトロニクス(東京都千代田区)と富士通、パナソニックとのシステムLSI事業の統合が模索されましたが、今年3月には断念し、事業調整に入るとのニュースが流れました。ルネサスエレクトロニクス自身が、NECと日立製作所、三菱電機の各事業部を再編し、2010年に再設立された統合会社です。日本の電機大手の半導体事業の再建を目指しています。

 日本企業3社の中・小型液晶事業を統合し、日本の最後の砦となった中・小型液晶大手のジャパンディスプレイは、エルピーダメモリーで取締役兼COO(最高執行責任者)を務めた後に、定年退職したばかりだった大塚さんを社長に招きました。東芝、日立、ソニーの出身者ではない方が、社長になった訳です。

 beによるとその経緯は、事業統合を設計した政府系投資ファンドの産業革新機構(東京都千代田区)が同社に第三者割当増資によって2000億円を投入し、出資の70%を占めることで、経営陣組閣の主導権を握ったようです(東芝、日立、ソニーの3社はそれぞれ10%ずつ出資しています)。ある種の国策会社です。

 当時、産業革新機構に出向していた経済産業省出身の執行役員・企画調整室長(当時)の西山圭太さん(現 経産省審議官)は「個性が違う選手を束ねられる監督」として、大塚さんに着目したそうです。大塚さんを強く社長に押したのは、エルピーダーメモリ社長の坂本幸雄だったそうです。大塚さんの元上司です。

 今回のbeの記事で興味を一番持ったのは、大塚さんも坂本さんも、米国の大手半導体メーカー傘下の日本テキサスインスツルメンツ(TI)でたたき上げに近い形で、実力を認められ、幹部にまで出世し「戦略思考やリーダーシップを学んだ」と、大塚さんが語ったことです。

 日本の大手電機メーカーは、以前は指定校制度によって、有名大学から学生を採用していたために「大企業の任期中に大過なく過ごして後輩にバトンタッチする人がほとんど」と、日本企業の大企業病について、大塚さんは指摘します。これに対して、大塚さんはまず、大学を卒業すると京都の抵抗器メーカーに入社した後に、日本テキサスインスツルメンツ、ソニー、エルピーダーメモリと次々と新天地を求めて転職し、外の世界を知っているといいます。これに対して、日本の電機大手の幹部社員は「自社以外の外の世界を知らない」と指摘します。

 日本の大手企業で順調にかつ無難に出世の階段を上ってきた幹部ではない人が、不振に陥った事業を統合し、その事業で勝てるような企業基盤を築くためには、まったくの部外者の方が、自由に腕が奮えることが重要なようです。日本でも、実力派の経営者を招く文化が出てきたようです。

 こうした社長人事は、事業の実態がかなり切羽詰まっているからかもしれませんが、日本の企業文化を変える契機になりそうです。平時ではない時には、大胆な人事が必要です。

埼玉県北本市の北本自然公園では、オオヨシキリが草むらの中で鳴いています

2013年05月25日 | 季節の移ろい
 埼玉県北本市の北本自然公園は現在、夏鳥を観察する野鳥観察愛好家などが散策しています。

 北本自然公園は埼玉県の川沿いの湿地や斜面林などがナショナルトラストなどによって保存されている里山の公園です。夏には自然に繁殖しているゲンジボタルが飛ぶそうです。

 北本自然公園の入り口近くの自然学習センターの裏側に、「高尾の池」と呼ばれる浅めの池があります。この池には、“八つ橋”という木道のような橋が架かっています。

 八つ橋の上から池の端をのぞくと、コウホネの黄色い花がいくつか咲いています。



 コウホネの葉の上などに、トンボが数羽、留まったり、飛び上がったりしています。





 見た感じは、“シオカラトンボ”のようにみえました。もう少し、小型のトンボもいます。

 コウホネの他に、アサザの葉も池の端に出ています。アサザの花は蕾の状態でまだ開花していません。

 池の端にヨシ(アシ)などの草むらがあり、その中に低木が数本生えています。この草むらの中から、オオヨシキリのけたたましい鳴き声が聞こえます。





 このオオヨシキリは、鳴きながら少しずつ移動しています。このため、時々、姿が見える場所に出てきます。オオヨシキリという野鳥の鳴き声を知らない方が聞くと、カエルが鳴いているように感じそうな鳴き声です。

 別の大きな池の端の湿地では、黄色い花のハナショウブの群生がきれいです。



 野鳥観察愛好家にとって“聖地”と考えられている北本自然公園も、夏に向かって、日に日に自然の移ろいが進んでいきます。

長野県佐久市の佐久荒船高原では、ズミの木が白い花を咲かせ始めました

2013年05月24日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東側にある佐久荒船高原は、5月下旬に入って木々の若葉が芽吹き成長すると同時に、木々の花の主役がどんどん入れ替わっています。

 山麓に育つサクラ系の木は、ヤマザクラなどの木の花が咲き終わり、ヤエザクラ系が花を咲かせています。



 山道沿いに植えられたヤエザクラ系の木は、枝打ちなどの手入れがあまりされていないので野性味あふれています。



 5月末になると、佐久荒船高原のあちこちの森や草原の中で、花を咲かせるズミ(別名はコナシ)の木は、少し赤みがかった蕾をたくさん付けています。



 日当たりのいい場所に生えているズミの木は、もう花をいくらか咲かせています。





 リンゴに似た感じの花です。同じバラ系のリンゴやナシなどの花に似ています。

 ズミの木は佐久荒船高原の森や草原には多数生えています。ズミの木が花を咲かせ始めると、その枝を隠すぐらいに多くの白い花が咲き、その付近は華やかな感じになります。

 ズミの木は約1週間で花期を終えます。ズミの木が花を咲かせた後は、ミズキの木が地味な花を咲かせます。背の高いミズキの木は多数あるために、あちこちでミズキの花を見ることができます。

 森陰では、名前を知らない野草の花が咲いています。



 この画像を基に、植物図鑑で調べてみます。佐久荒船高原では春から夏に向かって季節の移ろいがどんどん進んでいます。

長野県佐久市の佐久荒船高原では、アオジなどの野鳥がさえずっています

2013年05月23日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東側にある佐久荒船高原は、5月下旬に入って木々の若葉が芽吹き、森や草原などでは野鳥の鳴き声が響き渡っています。

 明け方から、ミソサザイやカッコウ、ホトトギスなどが鳴き始めます。ただし、これらの野鳥は森の奥にいて姿はほとんどみることができません。

 佐久荒船高原の西側にそびえている北八ヶ岳連山を望める見晴台に行きました。この日の朝は快晴で、北八ヶ岳連山がよくみえます。



 この見晴台付近で、オオルリの声が聞こえます。上から聞こえるので、辺りの崖を探すと、オオルリのオスの白いお腹が木の梢の間からみえました。





 100メートルほど離れた崖の中程の木に留まっているオオルリです。残念ながら遠目にしかみえません。手前に木に枝があり、全身はみえません。

 キジがよく出没する草原の端に移動しました。すると、ホオジロの仲間のアオジがすぐ側でよく鳴いています。このアオジは電線の上に留まっています。本当は木の枝に留まる機会を待ったのですが、このアオジはいずれ森の奥に消えました(仕方が無いので不本意ですが、電線に留まったアオジの姿をご紹介します)。





 真横からの朝日に照らされ、この写真以上にアオジのお腹の黄色い羽根が美しくみえました。電線に留まって、縄張りを主張していたと思います。

 少し移動し、あこがれのキビタキなどの出現を待っていると、猛禽類が1羽、舞い降りて来ました。この猛禽類の種類は分かりません。鋭い目つきで辺りを見渡しています。





 Webサイトで調べたところでは、チュウヒという猛禽類ではないかと推定しています(後日、ノスリだとのご教授をいただきました)。その内に、飛び去りました。

 猛禽類が出現する環境であることから、佐久荒船高原は小動物や野鳥などのエサが豊富になっているようです。一見、平和にみえる森陰では、熾烈な弱肉強食の世界があるようです。これも自然の営みです。

長野県佐久市の東端にある佐久荒船高原は春真っ盛りになりました

2013年05月22日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東端にある佐久荒船高原は、5月下旬に入ってやっと春真っ盛りになりました。5月中旬になって、標高1100メートルから1200メートルの佐久荒船高原は春本番を迎えます。

 佐久荒船高原の南側にそびえている荒船山(標高1423メートル)は艫岩(ともいわ)の真下まで新緑に覆われています。



 日に日に夏山の雰囲気になっていきます。

 同じように、佐久荒船高原の東側山麓に接してる群馬県下仁田町にある神津牧場の放牧場は緑の草原になっています。早朝の朝霧にいくらか覆われています。



 いくつかある放牧場の草原はどれも緑が濃くなり、春本番を示しています。生命の活動が活発化している様子を感じます。

 春本番を迎えた佐久荒船高原の森陰では、ニホンサクラソウ(日本桜草)があちこちで可憐な花を咲かせ、短い春を謳歌しています。



 ニホンサクラソウの花は早朝の朝日に照らされています。





 現在、ニホンサクラソウが咲いている森陰は、もうすぐ木の葉が茂り、深い木陰になります。ニホンサクラソウは10日間ぐらいで、花を終わらせ、来年まで密やかに生き延びます。

 佐久荒船高原の北側にそびえている浅間山(標高2568メートル)は山頂部の冠雪がほとんど融け、夏山の雰囲気を濃くしています。



 5月中旬過ぎになると、佐久荒船高原は春本番を迎え、花が目だったヤマザクラなどが花期を終え、ヤエザクラ系のサクラの木が花期を迎えています。目まぐるしく、春が進んで行きます。