まりっぺのお気楽読書

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フランス王ユーグ・カペー妃 アデライード

2009-01-28 22:44:52 | フランス王妃・王女
伝統を誇る家系の源
ユーグ・カペー妃 アデライード・ダキテーヌ


945 or 952~1004/在位 987~996

やっちまいました…フランス

フランス王妃に関する文献は、手に入りやすい日本語のものだと
ほぼマリー・アントワネットカトリーヌ・ド・メディシスに集中していて
他の女性のエピソードは皆目手がかりがないのですが、家系図作っちゃったし…
Wikipediaを頼りに頑張ります(フランス語はわかりませんのでね)

さて、フランスですが、フランク帝国の一部である西フランク王国が
後のフランスになっていくので、西フランクをフランスとするものもあるのですが
ちょいとめんどくさいので、カペー家が王になったところから始めます。

カロリング家最後の王ルイ5世の死にともない、領封君主たちから選出されたのが
カペー王朝の始祖ユーグ・カペーでした。
父のパリ伯ユーグは西フランク王ロベール1世を父に持ち
同じく西フランク王ウードを叔父に持っていました。
祖父や父などはロベール家とも言われます。

      

当時は国といっても、アキテーヌ公、ブルゴーニュ公、ノルマンディ公、
プロヴァンス候、フランドル伯などの大領主が自分たちの領土を支配していて
カペー家もたんなる領主の一家系にすぎませんでした。

そりゃあもう各家入り乱れての戦いが繰り広げられていて
カペー家が王家として確立するのはずっと後になります。

ユーグ・カペーは王になる前の970年、アキテーヌ公の娘アデライードと結婚します。
これは両家の休戦の担保として結ばれた婚姻でした。
アデライードの母もノルマンディ公ロロの娘ですから
たぶんアキテーヌ公家とノルマンディ公家の和解のために嫁いだのではないでしょうか?

ユーグ・カペーはせっかく手に入れた王位を息子に譲ろうと奔走し
生前に息子ロベールへの継承を確実にします。

これが後にヴァロア家、ブルボン家へとつながり
ヨーロッパ中に家系をはりめぐらせるカペー家の一歩となりました。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

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