まりっぺのお気楽読書

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デンマーク王フレデリク1世妃 アンナ

2010-03-12 02:01:23 | デンマーク王妃
ホーエンツォレルン家が・・・
フレデリク1世妃 アンナ・アフ・ブランデンブルク


1487~1514/在位せず

アンナは13歳の時にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公だったフレデリクと婚約し
15歳で結婚しました。
同じ日にアンナの兄ヨアヒムと、フレデリクの姪エリサベスの結婚式も挙げられました。

      
シャウエンブルク家がおさまったと思ったらホーエンツォレルン家…
包囲されてます。



              
讃美歌をのこした王妃
フレデリク1世妃 ソフィー・アフ・ポンメルン


1498~1568/在位 (デンマーク・ノルウェー王妃)1523~1533

ソフィーはポンメルン=ヴォルガスト公ボギスワフ10世の娘で
フレデリクがアンナを亡くした年に結婚しました。 16歳でした。

          
こちらでもホーエンツォレルン家が目立つ…

1523年、フレデリクは甥のクリスチャン2世への反乱貴族に推されて即位します。

ソフィーは政治には関心が無く、信心深い女性でした。
”Gott ist mein Heil, mein Hülf und Trost” というドイツの讃美歌は
ソフィーが書いたものだということになっています。

ソフィーは王妃になるとロラン島、ファルスター島、キール、プレーンと
ホルシュタインのいくつかの村を与えられました。
ソフィーは宮廷には住まずに、キール城でほとんどの時間を過ごしていました。

しかしフレデリク1世が亡くなり、前妃アンナの息子クリスチャン3世が即位すると
領地を取り上げられてしまいます。

ソフィーは子供たちとゴットルプ城に移ります。
1538年にクリスチャン3世から、キールに戻って来て暮らしたら?と言われましたが
ソフィが主権を主張したのでおじゃんになってしまいました。

義理とはいっても母子で…世知辛いですね。
ものすごく広いんだから少しぐらい領土をあげたっていいじゃないの、
などと思うのは庶民だから?

ところで、肖像画のお帽子の仕組みはどうなっているのかしら?
ディズニーランドのニューキャラクターにしてもいいぐらい可愛くないですか?

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

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