王妃(正妻)のお気に入り
アグネス・カイザー
1852〜1941/愛妾 1899〜1910
101人の愛人がいたというエドワード7世!!
以前アリス・ケペル、デイジー・ウォーリック、ジェニー・チャーチルなど
何人か有名どころをご紹介しましたが、まだまだいますよ!!
今回は、王妃アレクザンドラ・オブ・デンマークが一番気に入っていたという
アグネス・カイザーをご紹介しますね。
アグネスは、裕福な株式会社の共同経営者チャールズ・カイザーの娘として
ミドルセックスで生まれました。
なぜ裕福な家の娘がそうなるのか不思議なんだけど、お年頃になると
クルティザンヌ(高級娼婦)になっちゃったのね。
親が株の取引に失敗しましたか? それとも勘当されちゃったとか?
アグネスはクルティザンヌのかたわら博愛主義者でもあって、結婚はせず
公の慈善活動に精をだしていました。
第二次ボーア戦争の際、アグネスと妹のファニーは、自宅を帰還兵のための病院にします。
エドワードはこの病院の、最初のパトロンでした。
どちらが先かわからないんですけど、アグネスはこの頃エドワードの愛妾になっています。
この病院は、2000年にエドワード7世病院という名称になり、現在では王室御用達です。
アグネスは戦争が終結した後も、傷を負った兵士たちの世話を続けました。
彼女の病院のゆきとどいた世話と親切さは人々に知れ渡り
経営者であるアグネスは、その手腕で名声を高めました。
アグネスは、1901年2月に、デイム(男性のサーにあたる)称号を与えられました。
また、同年8月にはファニーとともに赤十字から表彰されました。
アグネスは博愛精神に、ファニーは南アフリカでの看護活動に対しての表彰でした。
こう言っちゃなんだけど、もとは(高級だけど)娼婦なんですよ。
そして(いくら相手が王様とはいえ)世の妻を脅かす愛人です。
おおらかというかなんというか… 今なら “ 衝撃! アグネスの黒い過去 ” なんて見出しで
週刊誌とかに書かれちゃいそうですよね。
アグネスの熱烈な慈善精神は、王室にも気に入られ、ジェニー・ジェロームを除いては
最も王家に受け入れられた愛妾でした。
また、エドワードと精神的に一番結ばれていたとも言われ
エドワードが亡くなるまでお付き合いがありました。
引退後は荘園で暮らしていたのでしょうか?
1941年に88歳で亡くなりました。
君主たちのお気に入り
オルタンス・シュナイデル
1833〜1920/愛妾 不明
オルタンスはアグネスとは違って、長くお付き合いしたお相手ではありません。
エドワード7世は、偉大なオペラ歌手オルタンスの、数多い崇拝者のひとりという感じ?
サラ・ベルナールとかリリー・ラングトリーなどと同じカテゴリーに入りますかね?
ボルドーで生まれ、アジャンで1853年にデビューしました。
パリのヴァリエテ座に立つようになって、作曲家オッフェンバッハの目にとまり
1855年に彼の誘いでブッフ・パリジャン劇場に出演してからは、人気急上昇!
その後はロンドンやサンクトペテルブルクなどでも公演を行い喝采を浴びました。
オルタンスがロンドンで貴族の社交界への出入りを許された、ということから
エドワードの愛人になったとウワサされたそうです。
わかりやすいですね…
オルタンスの崇拝者にはルイ・ナポレオンもいまして、皇室一家のお気に入りでした。
1878年、45歳の時に結婚して引退し、1920年に87歳でパリで亡くなりました。
オルタンスの、舞台上での気迫というのはすごかったそうで、おおいに賞讃されたそうです。
君主たちの愛人というより、偉大なオペラ歌手として後世に伝えられていた方が
本人としては幸せだったんじゃないでしょうか?
オペラに詳しい方はご存知なのかしらね?
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
ひとこと王室コーナー
ヘンリー王子が婚約ですってね?
エリザベス2世はOKするのでしょうか? ドキドキですね
アグネス・カイザー
1852〜1941/愛妾 1899〜1910
101人の愛人がいたというエドワード7世!!
以前アリス・ケペル、デイジー・ウォーリック、ジェニー・チャーチルなど
何人か有名どころをご紹介しましたが、まだまだいますよ!!
今回は、王妃アレクザンドラ・オブ・デンマークが一番気に入っていたという
アグネス・カイザーをご紹介しますね。
アグネスは、裕福な株式会社の共同経営者チャールズ・カイザーの娘として
ミドルセックスで生まれました。
なぜ裕福な家の娘がそうなるのか不思議なんだけど、お年頃になると
クルティザンヌ(高級娼婦)になっちゃったのね。
親が株の取引に失敗しましたか? それとも勘当されちゃったとか?
アグネスはクルティザンヌのかたわら博愛主義者でもあって、結婚はせず
公の慈善活動に精をだしていました。
第二次ボーア戦争の際、アグネスと妹のファニーは、自宅を帰還兵のための病院にします。
エドワードはこの病院の、最初のパトロンでした。
どちらが先かわからないんですけど、アグネスはこの頃エドワードの愛妾になっています。
この病院は、2000年にエドワード7世病院という名称になり、現在では王室御用達です。
アグネスは戦争が終結した後も、傷を負った兵士たちの世話を続けました。
彼女の病院のゆきとどいた世話と親切さは人々に知れ渡り
経営者であるアグネスは、その手腕で名声を高めました。
アグネスは、1901年2月に、デイム(男性のサーにあたる)称号を与えられました。
また、同年8月にはファニーとともに赤十字から表彰されました。
アグネスは博愛精神に、ファニーは南アフリカでの看護活動に対しての表彰でした。
こう言っちゃなんだけど、もとは(高級だけど)娼婦なんですよ。
そして(いくら相手が王様とはいえ)世の妻を脅かす愛人です。
おおらかというかなんというか… 今なら “ 衝撃! アグネスの黒い過去 ” なんて見出しで
週刊誌とかに書かれちゃいそうですよね。
アグネスの熱烈な慈善精神は、王室にも気に入られ、ジェニー・ジェロームを除いては
最も王家に受け入れられた愛妾でした。
また、エドワードと精神的に一番結ばれていたとも言われ
エドワードが亡くなるまでお付き合いがありました。
引退後は荘園で暮らしていたのでしょうか?
1941年に88歳で亡くなりました。
君主たちのお気に入り
オルタンス・シュナイデル
1833〜1920/愛妾 不明
オルタンスはアグネスとは違って、長くお付き合いしたお相手ではありません。
エドワード7世は、偉大なオペラ歌手オルタンスの、数多い崇拝者のひとりという感じ?
サラ・ベルナールとかリリー・ラングトリーなどと同じカテゴリーに入りますかね?
ボルドーで生まれ、アジャンで1853年にデビューしました。
パリのヴァリエテ座に立つようになって、作曲家オッフェンバッハの目にとまり
1855年に彼の誘いでブッフ・パリジャン劇場に出演してからは、人気急上昇!
その後はロンドンやサンクトペテルブルクなどでも公演を行い喝采を浴びました。
オルタンスがロンドンで貴族の社交界への出入りを許された、ということから
エドワードの愛人になったとウワサされたそうです。
わかりやすいですね…
オルタンスの崇拝者にはルイ・ナポレオンもいまして、皇室一家のお気に入りでした。
1878年、45歳の時に結婚して引退し、1920年に87歳でパリで亡くなりました。
オルタンスの、舞台上での気迫というのはすごかったそうで、おおいに賞讃されたそうです。
君主たちの愛人というより、偉大なオペラ歌手として後世に伝えられていた方が
本人としては幸せだったんじゃないでしょうか?
オペラに詳しい方はご存知なのかしらね?
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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ひとこと王室コーナー
ヘンリー王子が婚約ですってね?
エリザベス2世はOKするのでしょうか? ドキドキですね