皇帝を “おじさん” と呼んでいた皇后
レオポルト1世妃 マルガリータ・テレジア・フォン・シュパニエン
1651~1673/在位 1666~1673
ベラスケスの肖像画で有名なマルガリータ王女は
陶器のような肌、青い瞳、ブロンドヘアのとても美しい少女で
フェリペ4世の一番のお気に入りの子供でした。
15歳の時に叔父のレオポルト1世と結婚することになりました。
フェリペ4世も姪にあたるフェルディナント3世の皇女マリア・アンナを
王妃に迎えていました。
ここらへんの血族結婚は激しさを増してきますね。
なぜかというにスペインの王位継承が危険な状態にあったからです。
マルガリータが嫁いだ時、生き残っていたフェリペ4世の子供は
彼女以外には虚弱な王子カルロス(2世)とルイ14世妃マリー・テレーズだけでした。
もしカルロスに跡継ぎができなければ、ブルボン家が黙っちゃいません。
だってマリー・テレーズの子がいるからね!
30年戦争で領地を失ったハプスブルク家はなんとしてもスペインを守らねばならず
レオポルトとマルガリータの子供のスペイン継承権が条約に明記されました。
(でも結局ブルボン家に移っちゃうんだけどね… )
国立新美術館にもきていました
ベラスケスによる幼き日のマルガリータ王女
ふたりには11歳の年の差があったのですけれど、ものすごく気が合ったらしく
観劇や音楽などを一緒に楽しんでとても幸せな夫婦でした。
レオポルト1世は、なんと言いますか… 気は優しくて穏やかな人で
旦那様にはもってこいだが、戦乱期の皇帝にはふさわしくなかったようです。
だから幼いマルガリータとの日々は、彼にとって至福の時だったんじゃないでしょうか。
マルガリータはレオポルト1世を “ 皇帝 ” とか “ 陛下 ” と呼ばずに “ おじさん ” と
呼んでいたらしいよ
叔父だから間違いではないが、ニュアンスとしては(勝手に想像すると)
「おじさまぁ~ 」って感じかしら?
マルガリータの17歳の誕生日にはイタリアから作曲家を招いてオペラを催し
盛大にお祝いしました。
このオペラは17世紀のウィーンにおける最高傑作だと言われています。
そんなラブラブのふたりに悲劇が…
マルガリータは7人目の子供を流産した後21歳で亡くなってしまいました。
やはり、あまり早くから出産するのはどうかと思うよ…
いくら愛しているからって…女性のからだもいたわってほしい。
レオポルト1世の悲しみは尋常じゃなかったそうでございます。
悲しむぐらいなら少し考えて子づくりをしたらどうだったのかね?
結局子供たちも夭逝し、スペイン王位を継ぐ男の子はいませんでした。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
レオポルト1世妃 マルガリータ・テレジア・フォン・シュパニエン
1651~1673/在位 1666~1673
ベラスケスの肖像画で有名なマルガリータ王女は
陶器のような肌、青い瞳、ブロンドヘアのとても美しい少女で
フェリペ4世の一番のお気に入りの子供でした。
15歳の時に叔父のレオポルト1世と結婚することになりました。
フェリペ4世も姪にあたるフェルディナント3世の皇女マリア・アンナを
王妃に迎えていました。
ここらへんの血族結婚は激しさを増してきますね。
なぜかというにスペインの王位継承が危険な状態にあったからです。
マルガリータが嫁いだ時、生き残っていたフェリペ4世の子供は
彼女以外には虚弱な王子カルロス(2世)とルイ14世妃マリー・テレーズだけでした。
もしカルロスに跡継ぎができなければ、ブルボン家が黙っちゃいません。
だってマリー・テレーズの子がいるからね!
30年戦争で領地を失ったハプスブルク家はなんとしてもスペインを守らねばならず
レオポルトとマルガリータの子供のスペイン継承権が条約に明記されました。
(でも結局ブルボン家に移っちゃうんだけどね… )
国立新美術館にもきていました
ベラスケスによる幼き日のマルガリータ王女
ふたりには11歳の年の差があったのですけれど、ものすごく気が合ったらしく
観劇や音楽などを一緒に楽しんでとても幸せな夫婦でした。
レオポルト1世は、なんと言いますか… 気は優しくて穏やかな人で
旦那様にはもってこいだが、戦乱期の皇帝にはふさわしくなかったようです。
だから幼いマルガリータとの日々は、彼にとって至福の時だったんじゃないでしょうか。
マルガリータはレオポルト1世を “ 皇帝 ” とか “ 陛下 ” と呼ばずに “ おじさん ” と
呼んでいたらしいよ
叔父だから間違いではないが、ニュアンスとしては(勝手に想像すると)
「おじさまぁ~ 」って感じかしら?
マルガリータの17歳の誕生日にはイタリアから作曲家を招いてオペラを催し
盛大にお祝いしました。
このオペラは17世紀のウィーンにおける最高傑作だと言われています。
そんなラブラブのふたりに悲劇が…
マルガリータは7人目の子供を流産した後21歳で亡くなってしまいました。
やはり、あまり早くから出産するのはどうかと思うよ…
いくら愛しているからって…女性のからだもいたわってほしい。
レオポルト1世の悲しみは尋常じゃなかったそうでございます。
悲しむぐらいなら少し考えて子づくりをしたらどうだったのかね?
結局子供たちも夭逝し、スペイン王位を継ぐ男の子はいませんでした。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
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こんにちは。ごぶさたをしております。
このあたりにきてようやく知人と顔を合わせたような気分になる「女人伝」です。オランダの王妃はほとんど知らないことがわかっていい勉強になりましたが、地理的に近いスペインあたりだと「そうそう、こんな人いたっけ」という感じです。有名な画家が肖像画を描いていればなおさら。
マルガリータは本当に早世が惜しまれる王女ですね。長生きして後継ぎを生んでくれていればはぷルブルク家の歴史も変わっていたかも。
ハタチそこそこで七回の流産って痛々しいです。
ごぶさたしています。
日本に帰っていらしていたんですよね?
いかがでしたか?
スペインはれっきとした王族がいるのに、途中からハプスブルク家やブルボン家に取り合いされて…いい迷惑ですよね。
イタリアもこのころから狙われていますよね?
私はなんとなく、仲が良くて幸せ一杯の王妃は早く亡くなってしまう気がしているのですが、やはり若すぎる出産が原因じゃないかしら?と思ったりするんですよね。
14歳から毎年妊娠するというのは、尋常じゃない気がします。
生まれてくる子供だって、可哀想に長生きできない子があまりにも多いです。
マルガリータがもう少し大人になってから丈夫な子供を生んでいたら、たしかにスペインの歴史も違っていたかもしれないです。