慈悲深き王妃
ヘンリー1世妃 マティルダ・オブ・スコットランド
1080~1118/在位 1100~1118
未婚だった兄王ウィリアム2世の逝去によりイングランド王になったヘンリー1世の妻
マティルダ・オブ・スコットランドはサクソン王エドマンド2世の曾孫にあたることから
イングランド人の人気を得たかったヘンリー1世の目に留まります。
よそ者の王様の苦労が伺えますね
マティルダは父であるスコットランド王マルカム3世が戦死したため
叔父を頼ってイングランドへやって来て、修道院で暮らしていたのですが
ヘンリー1世に見初められて王妃になりました。
(マルカム3世は、有名なマクベスに父王を殺され、仇をとって王になった人です)
修道院で暮らしていただけあって信仰心は厚く、慈悲深い人だったようです。
ヘンリー1世はかなりの好色で、愛人は少なくとも6人、婚外子は20人 に
のぼったらしいんですが、マティルダとの間に生まれた二男二女のうち
次女マティルダ以外は全て死亡してしまうという不運にあってしまいます。
愛人の娘が自分の兄であるスコットランド王アレグザンダー1世の妃になるって
どんな気持ちなんでしょうね? 複雑だったのかしら?
当たり前だと思ってあきらめてたのかしら?
私には理解不能です
存在感がないのですけど・・・
ヘンリー1世妃 アデライザ・オブ・ルーヴァン
1102~1151/在位 1121~1135
肖像画が見当たらないんですよね
さしあたって有名なエピソードはカール大帝の子孫だっていうくらいで・・・
19歳の時に、マティルダを失った53歳のヘンリー1世と結婚しています。
完全なる政略結婚(どんな政略かはわかりませんけど)。 可哀想に
子供はおらず、ヘンリー1世の没後アランデル城に隠居し、
その後アランデル伯ウィリアム・ドゥ・アールビーニーと再婚しました。
文学の奨励に励んだらしいですが、この頃のイギリス文学って何があったかしら?
叙情詩とか、そんな感じですか?
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『スコットランド王国史話』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
ヘンリー1世妃 マティルダ・オブ・スコットランド
1080~1118/在位 1100~1118
未婚だった兄王ウィリアム2世の逝去によりイングランド王になったヘンリー1世の妻
マティルダ・オブ・スコットランドはサクソン王エドマンド2世の曾孫にあたることから
イングランド人の人気を得たかったヘンリー1世の目に留まります。
よそ者の王様の苦労が伺えますね
マティルダは父であるスコットランド王マルカム3世が戦死したため
叔父を頼ってイングランドへやって来て、修道院で暮らしていたのですが
ヘンリー1世に見初められて王妃になりました。
(マルカム3世は、有名なマクベスに父王を殺され、仇をとって王になった人です)
修道院で暮らしていただけあって信仰心は厚く、慈悲深い人だったようです。
ヘンリー1世はかなりの好色で、愛人は少なくとも6人、婚外子は20人 に
のぼったらしいんですが、マティルダとの間に生まれた二男二女のうち
次女マティルダ以外は全て死亡してしまうという不運にあってしまいます。
愛人の娘が自分の兄であるスコットランド王アレグザンダー1世の妃になるって
どんな気持ちなんでしょうね? 複雑だったのかしら?
当たり前だと思ってあきらめてたのかしら?
私には理解不能です
存在感がないのですけど・・・
ヘンリー1世妃 アデライザ・オブ・ルーヴァン
1102~1151/在位 1121~1135
肖像画が見当たらないんですよね
さしあたって有名なエピソードはカール大帝の子孫だっていうくらいで・・・
19歳の時に、マティルダを失った53歳のヘンリー1世と結婚しています。
完全なる政略結婚(どんな政略かはわかりませんけど)。 可哀想に
子供はおらず、ヘンリー1世の没後アランデル城に隠居し、
その後アランデル伯ウィリアム・ドゥ・アールビーニーと再婚しました。
文学の奨励に励んだらしいですが、この頃のイギリス文学って何があったかしら?
叙情詩とか、そんな感じですか?
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『スコットランド王国史話』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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