まりっぺのお気楽読書

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イギリス王ジョージ4世愛妾 フランセス

2009-10-24 01:46:24 | 王の寵姫・愛妾
くされ縁? ずっと二番手の愛妾
ジャージー伯夫人 フランセス・ヴィリアーズ


1753~1821/愛妾 1782~1803

フランセスはジョージの愛妾のひとりではありましたが
どうしても一番にはなれなかったみたいなのよね。

アイルランドの主教の娘だったフランセスは
17歳の時20歳年上のジャージー伯ジョージ・ヴィリーアーズと結婚しました。

ヴィリアーズ家ってことは、チャールズ2世の時代バーバラ・ヴィリアーズのおかげで
ランクアップした家柄です。
ちなみにジャージー伯の爵位はウィリアム3世の愛妾になったエリザベスのおかげで
お兄様のエドワードが手に入れたものです。

そんなジャージー伯がなぜに貴族ではなくアイルランドの主教の娘と結婚したのか?
当時は不思議がられたそうです。

     

夫のジャージー伯ジョージは王太子ジョージの主馬頭でした。
そんなご縁があってか、フランセスは1782年頃からジョージと関係がありました。
ただ彼女はジョージだけってわけでもなく、いろんな方と関係があったらしいのね。

ふたりは、いわゆるセックスフレンドという関係だったと思うのですが
フランセスはなぜか1794年にフィッツハーバート夫人からジョージを奪おうと決心し
積極的に誘惑するようになります。

フランセスも41歳、ここらでトップに上りつめ老後を安泰にしておきたかったのかしら?
けれどこれはあまり上手くいかなかったようで
ジョージは相変わらずフィッツハーバート夫人と暮らしておりました。

その頃ジョージは借金をチャラにするために結婚したキャロライン に嫌気がさし
フランセスと食事をしろと強要したり、公式の場へわざとフランセスを連れて行ったりして
王太子妃をいじめだします。
フランセスは一緒になって王太子妃いじめを楽しんでいました。

しかしそんな長いくされ縁も1803年に終わりを告げました。
ジョージがハートフォード候夫人に夢中になり、とうとうフランセスを退けたのです。

フランセスはかなり悪名高い愛妾だったそうです。
夫との間には10人の子供が生まれていますが、誰の子だかね?

夫ジャージー伯は1805年に亡くなりました。
その後は大人しくしていたのかしら?
保養地チェルトナムで1821年に亡くなりました。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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