まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イングランド王チャールズ2世愛妾 フランセス

2009-06-08 01:03:39 | 王の寵姫・愛妾
王様をふって駆け落ち
リッチモンド公夫人 フランセス・スチュワート


1648~1702/愛妾 1663~1667?

フランセスの父ウォルターはチャールズ2世の母アンリエッタ・マリア付きの医師で
亡命先にも付き添っていたました。
フランセスもフランスで生まれ育ったのですが、チャールズと会ったのは
イングランドに帰国してからのようです。
もしかしたら会ってたかもしれないけど、フランセスはまだ小さかったから
チャールズは(恋愛対象外で)興味無かったのかもね。

チャールズ2世がキャサリン・オブ・ブラガンザと結婚することになりまして
アンリエッタ・マリアが結婚式に主席するためにイングランドに帰ったのですが
14歳のフランセスは付き添って行き、そのまま新王妃付きの侍女になりました。

日記で有名なサミュエル・ピープスによると「こんな奇麗な人見たことない!」ってわけで
33歳男盛りのチャールズ2世がほっとくはずないですよね。
フランセスは侍女になって半年ほどで王の愛妾になりました。

フランセスは白痴美ともいわれています。
けれども彼女が書いた手紙などは情感豊かで詩的な心の持ち主だったようです。

チャールズ2世は新婚ホヤホヤだというのに
王妃と離婚してフランセスと結婚しようとまで考えました。
(反カトリック派が王と王妃の離婚、およびフランセスとの結婚を画策したけど
 王が拒否したという説もあります)
けれどもチャールズにはバーバラ・ヴィリアーズというパワフルな愛妾がいましてね
王妃が離婚に同意したとしても彼女が納得しないと思うわ。
結局愛妾との結婚は王位が危なくなるというので思いとどまりました。

      

愛妾になって4年が過ぎた頃、チャールズもビックリ の出来事が…
フランセスがこっそり付き合っていたリッチモンド公スチュアート・レノックスと
駆落ちした上結婚してしまいました。
これは宿敵バーバラ・ヴィリアーズがふたりの関係に感づいたかららしいんですけど
フランセスにしてみたら、たとえ相手が王でもズルズル愛妾でいるより
下っ端貴族でもいいからちゃんと誰かの奥さんになりたかったんじゃないかしら?

チャールズ2世は意外にも寛大で、怒りが冷めるとすぐにふたりを呼び戻したばかりか
リッチモンド公をスコットランドやデンマークの大使にするなど重用しています。
さては夫を遠ざける作戦?

フランセスは1669年に天然痘に罹って往年の美貌は失いましたが
その後も王宮に留まっていたところをみると人柄も良かったのかもしれません。
夫は1672年にデンマークで亡くなり、王も1685年に亡くなりましたが
ジェイムズ2世の王子誕生にも立ち会うなど晩年まで宮廷人として活躍いたしました。

チャールズ2世は女神ブリタニアをモチーフにした銅像やコイン(現50ペンス貨)を
造っていますが、ブリタニアのモデルになったのはフランセスだそうです。

(参考文献 森譲氏『英国王妃物語』 Wikipedia英語版)

英国の有名な王妃をとりあげて詳しく解説
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« トムとジェリー お懐かしく... | トップ | 『フラナリー・オコナー全短... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

王の寵姫・愛妾」カテゴリの最新記事