まりっぺのお気楽読書

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スコットランド王ロバート3世妃 アナベラ

2009-01-21 02:03:33 | スコットランド王妃・王女
放蕩息子に悩まされた
ロバート3世妃 アナベラ・ドゥラモンド


1650~1401/在位 1390~1401

ロバート2世の後を継いで王になったロバート3世は、父王の晩年には摂政をしていました。
しかし、母エリザベス・ミュアの結婚が正当でないとされる時期に生まれていたことと
摂政時代に重傷を負い身体が不自由になったことから、即位が危ぶまれたこともありました。

本名はジョンといいましたが、即位する際にロバートに改名しています。
そのため、度々摂政となって兄王を助けた弟のオールバニー公ロバートと
同名になってしまいました。

      

アナベラとは摂政時代の1367年に結婚しました。
彼女はデイヴィッド2世妃マーガレットの弟ジョンの娘にあたります。
ロバート(ジョン)は30歳、アナベラは16歳でした。
             
             ちょっとだけリアルなアナベラです

二男のデイヴィッドがどうしようもない不道徳者で(長男は早世)
いくら皇太子でも見過ごせなくなってきたことから
ロバート3世は弟のロバートに息子を預けることにします。
デイヴィッドはフォークランド城に軟禁されたのですが
アナベラはそのことがひびいたのか同年の10月に亡くなってしまいました。

翌年3月にデイヴィッドがフォークランドで変死します。
餓死という噂や毒殺説が流れましたが、結局は自然死で落ち着きました。

ロバート3世はというと、弟ロバートを疑いながらも強い態度に出れず
悶々とした日々を送りますが、三男ジェイムズを守らねば!と思い立ち
1406年にフランスへ留学させることにします。

ところがジェイムズも航海中病気になり、イングランドに上陸して
逮捕・監禁されてしましました。
ここでも弟ロバートがイングランドに密告したと疑われました。
ロバート3世はショックを受けたのか寝込んでしまい、3ヶ月後に亡くなります。

弟ロバートは不在の王に代わって、摂政として国を治めていくことになります。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)

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