肖像画は王妃ユーフィミア・ドゥ・ロス
夫と二度結婚した妻
ロバート2世妃 エリザベス・ミュア
~1355/在位せず
デイヴィッド2世とエドワード・ベイリャルという二人の王がいながら
ほとんど国にいやしない という不思議な時代
摂政としてスコットランドを守りきったロバート・ステュワートは
二人の王に継嗣がいなかったことから、ロバート2世として55歳で即位します。
ロバート1世の孫にあたるロバートは、王位簒奪に出てもおかしくはないのですが
平和主義者なのかなんだか、王位を奪うことなく役職をこなしていました。
そんな摂政時代に結婚したのがエリザベスです。
もともとエリザベスは愛妾で、1336年に正式に結婚したのですが
その正当性を非難されたため、1347年に教皇の特免状を受けて再度結婚します。
これは、たぶん子供たちを正式な継嗣とするための措置だったろうと思います。
1355年に他界します。
子だくさんの王を支えた
ロバート2世妃 ユーフィミア・ドゥ・ロス
~1386/在位 1371~1386
エリザベスの死後再婚したユーフィミアの母はロバート1世の妹マティルダなので
ユーフィミアはロバート2世の叔母にあたります。
生年がはっきりしていないので分かりませんが、姉さん女房だったのでしょうか?
最初の夫はマリ伯ランダルフで、1346年に死別しています。
ユーフィミアはエリザベスの生前からロバート2世の愛妾だったようで
エリザベスが亡くなった年に再婚しました。
ユーフィミアは2男2女を生みますが、ロバート2世には前妻エリザベスとの間に
すでに9人の子供がいました。
また、ロバート2世はかなりの男前さんだったらしく、愛妾が数名いたようで
その間に生まれた庶子も8人、計21人の子だくさんでした。
もちろんユーフィミアが全ての子供の面倒を一人でみていたわけではないでしょうが
問題児も多く苦労したことでしょう。
王に先立つこと4年、1386年に亡くなりました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
夫と二度結婚した妻
ロバート2世妃 エリザベス・ミュア
~1355/在位せず
デイヴィッド2世とエドワード・ベイリャルという二人の王がいながら
ほとんど国にいやしない という不思議な時代
摂政としてスコットランドを守りきったロバート・ステュワートは
二人の王に継嗣がいなかったことから、ロバート2世として55歳で即位します。
ロバート1世の孫にあたるロバートは、王位簒奪に出てもおかしくはないのですが
平和主義者なのかなんだか、王位を奪うことなく役職をこなしていました。
そんな摂政時代に結婚したのがエリザベスです。
もともとエリザベスは愛妾で、1336年に正式に結婚したのですが
その正当性を非難されたため、1347年に教皇の特免状を受けて再度結婚します。
これは、たぶん子供たちを正式な継嗣とするための措置だったろうと思います。
1355年に他界します。
子だくさんの王を支えた
ロバート2世妃 ユーフィミア・ドゥ・ロス
~1386/在位 1371~1386
エリザベスの死後再婚したユーフィミアの母はロバート1世の妹マティルダなので
ユーフィミアはロバート2世の叔母にあたります。
生年がはっきりしていないので分かりませんが、姉さん女房だったのでしょうか?
最初の夫はマリ伯ランダルフで、1346年に死別しています。
ユーフィミアはエリザベスの生前からロバート2世の愛妾だったようで
エリザベスが亡くなった年に再婚しました。
ユーフィミアは2男2女を生みますが、ロバート2世には前妻エリザベスとの間に
すでに9人の子供がいました。
また、ロバート2世はかなりの男前さんだったらしく、愛妾が数名いたようで
その間に生まれた庶子も8人、計21人の子だくさんでした。
もちろんユーフィミアが全ての子供の面倒を一人でみていたわけではないでしょうが
問題児も多く苦労したことでしょう。
王に先立つこと4年、1386年に亡くなりました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)