最初の犠牲者といえるかも…
フィリプ2世妃 イザベル・ド・エノー
1170~1190/在位 1180~1190
イザベルは10歳の時、共同君主だったフィリプと結婚し、
半年後に王妃になりますが、この結婚は、フィリプの相談役で、イザベルの母方の叔父
フランドル伯フィリプ・ダルザスによって進められたものでした。
(フランドル伯の爵位は、1911年シャトノワ家からフランドル=エノー家の
イザベルの父に移ります。紛らわしいので念のため…)
こちらだと幼さが分かりますね
イザベルはアルトワを持参金として持っており、賞賛で迎えられましたが
翌年、16歳になったフィリプ2世は叔父フラドンル伯と開戦し
さらに1184年には子供を生まない(こればっかり!)という理由で
イザベルと離婚しようとします。
だからっ! イザベルは14歳でしょ! 生めって言う方がおかしいじゃないか!
本当にせっかちで困ったもんです。
王の叔父ロベールが仲裁に入り、この離婚は回避され
1187年に待望の王子(後のルイ8世)が誕生しました。
ほら、待ってたらよかったんじゃないの!
1190年、イザベルは双子を生むのですが、翌日亡くなり
生まれたばかりの二人も4日後に亡くなりました。
愛妾になった王妃
フィリプ2世妃 アニェス・ド・メラニー
1180~1201/在位 1196~1199
イザベルの死から6年後の1196年、フィリプ2世はアニェスと結婚しますが
実はこれ、再々婚なのです。
フィリプ2世は1193年に、デンマーク王ヴェルデマー1世の娘インゲボルグと再婚しましたが
なんと 翌日結婚を無効にしてしまいました。
その後、彼は一貫して「自分は独身だ」とのたまうわけですが
インゲボルグも、彼女を支持する教皇もそんなこと認めていませんでした。
フィリプ2世は「独身ですから」と再婚に踏み切ったのですが
最初はジェノア伯ギョーム1世の娘マルグリットと結婚するつもりでした。
ところがなにもかも決って彼女がパリへ向かう途中
トマス・ド・サヴォイが彼女を連れ去り結婚してしまったのです。
文句は言ってみたものの後のまつり、すでにマルグリットは人妻ですので
16歳のアニェスと結婚することにいたしましたとさ。
教皇インノケンティウス3世は再三忠告しますが
フィリプ2世はまったく聞き入れず、とうとう1199年に破門されてしまいました。
たぶん破門だけなら堪えなかったのでしょうけど、
どうやら村八分がちな境遇になったみたいで食料品などにも事欠くようになって
フィリプはアニェスと離婚することに承知しました。
とはいえ、かたちだけインゲボルグと復縁した後も
フィリプ2世はアニェスを度々呼び寄せ、離婚後に子供が2人生まれています。
けれどもアニェスは失意に陥り、1201年に若くして亡くなります。
だって、“ 王妃 ” から “ 王の愛妾 ” になってしまったのですもの。
逆ならいいけどさ!
良家で育ったお嬢様のプライドが許さなかったんだと思うわ。
どうしてとっとと再婚しなかったんでしょう? 別れても好きだった?
フィリプ2世が殺したといっても過言ではないね!
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
フィリプ2世妃 イザベル・ド・エノー
1170~1190/在位 1180~1190
イザベルは10歳の時、共同君主だったフィリプと結婚し、
半年後に王妃になりますが、この結婚は、フィリプの相談役で、イザベルの母方の叔父
フランドル伯フィリプ・ダルザスによって進められたものでした。
(フランドル伯の爵位は、1911年シャトノワ家からフランドル=エノー家の
イザベルの父に移ります。紛らわしいので念のため…)
こちらだと幼さが分かりますね
イザベルはアルトワを持参金として持っており、賞賛で迎えられましたが
翌年、16歳になったフィリプ2世は叔父フラドンル伯と開戦し
さらに1184年には子供を生まない(こればっかり!)という理由で
イザベルと離婚しようとします。
だからっ! イザベルは14歳でしょ! 生めって言う方がおかしいじゃないか!
本当にせっかちで困ったもんです。
王の叔父ロベールが仲裁に入り、この離婚は回避され
1187年に待望の王子(後のルイ8世)が誕生しました。
ほら、待ってたらよかったんじゃないの!
1190年、イザベルは双子を生むのですが、翌日亡くなり
生まれたばかりの二人も4日後に亡くなりました。
愛妾になった王妃
フィリプ2世妃 アニェス・ド・メラニー
1180~1201/在位 1196~1199
イザベルの死から6年後の1196年、フィリプ2世はアニェスと結婚しますが
実はこれ、再々婚なのです。
フィリプ2世は1193年に、デンマーク王ヴェルデマー1世の娘インゲボルグと再婚しましたが
なんと 翌日結婚を無効にしてしまいました。
その後、彼は一貫して「自分は独身だ」とのたまうわけですが
インゲボルグも、彼女を支持する教皇もそんなこと認めていませんでした。
フィリプ2世は「独身ですから」と再婚に踏み切ったのですが
最初はジェノア伯ギョーム1世の娘マルグリットと結婚するつもりでした。
ところがなにもかも決って彼女がパリへ向かう途中
トマス・ド・サヴォイが彼女を連れ去り結婚してしまったのです。
文句は言ってみたものの後のまつり、すでにマルグリットは人妻ですので
16歳のアニェスと結婚することにいたしましたとさ。
教皇インノケンティウス3世は再三忠告しますが
フィリプ2世はまったく聞き入れず、とうとう1199年に破門されてしまいました。
たぶん破門だけなら堪えなかったのでしょうけど、
どうやら村八分がちな境遇になったみたいで食料品などにも事欠くようになって
フィリプはアニェスと離婚することに承知しました。
とはいえ、かたちだけインゲボルグと復縁した後も
フィリプ2世はアニェスを度々呼び寄せ、離婚後に子供が2人生まれています。
けれどもアニェスは失意に陥り、1201年に若くして亡くなります。
だって、“ 王妃 ” から “ 王の愛妾 ” になってしまったのですもの。
逆ならいいけどさ!
良家で育ったお嬢様のプライドが許さなかったんだと思うわ。
どうしてとっとと再婚しなかったんでしょう? 別れても好きだった?
フィリプ2世が殺したといっても過言ではないね!
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)