初代イングランド王妃
ウィリアム1世妃 マティルダ・オブ・フランダース
1031~1083/在位 1066~1083
以前どっかで、趣味は家系図と書いたんですけど
作成した家系図がなんの役にもたってないので、(たたないか )
家系図をもとに女性の歴史なんかを、ゆるゆるとひもといてみようかと思いました。
最初に家系図を作成したイングランドからスタートしようと思います。
英国王室史の中では、ウイリアム1世からが正式な王となっていますが
ウィリアム1世はフランスからやって来た王様で
それ以前はアルフレッド大王やエドワード王などサクソン系の王が
イングランドを(一部だけど)治めていました。
デーン人(デンマーク系)の王が治めたこともあります。
マティルダ・オブ・フランダースは5代さかのぼると
アルフレッド大王の娘エルフトリュードにたどり着きます。
ヘンリー1世は、マティルダのその血筋に目を留めます。
自分のイングランド王の地位を強化すると同時に
イングランド人のご機嫌もとっちゃおうという作戦です。
(ウィリアムは最後のサクソン王ハロルド2世を破って
イングランド王になりました。エドワード王はハロルド2世の義兄)
ウィリアム1世はイングランド王でありながら、当然ノルマン公でもあるわけで
イングランド統治に忙しい夫に変わり、マティルダがノルマンディーを治めます。
あまり一緒にいる時間はなかったのかしら
彼女の功績として大きく取り上げられている『バイユーのタペストリー』
ウィリアム1世がイングランド王になるまでの活躍を綴った
70メートルにも及ぶタペストリーは、史実に忠実かどうかは別にして
時代考証には役に立ってるみたいです。
タペストリーって織物でしょ?
一人でぎっこんばったんやったわけじゃなくて、沢山の人がかり出されたとは思うけど
皆に混じって王妃が織ってたら素敵ですよね
ハンドクラフトの醍醐味は、自らの手で作り上げる事ですからね。
ウィリアム1世の不在に加えて彼女は悩ませたのは、たぶん長男ロベール。
戦国の世の習いとはいえ、王位を狙って父親に反抗して軍をおこしたり
父親に傷を負わせたり。
結局彼は弟であるヘンリー1世に反乱軍をおこしますが、王位には就けず
哀れな末路をたどります。
マティルダはそれを知らずに亡くなって幸せだったかも・・・
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
ウィリアム1世妃 マティルダ・オブ・フランダース
1031~1083/在位 1066~1083
以前どっかで、趣味は家系図と書いたんですけど
作成した家系図がなんの役にもたってないので、(たたないか )
家系図をもとに女性の歴史なんかを、ゆるゆるとひもといてみようかと思いました。
最初に家系図を作成したイングランドからスタートしようと思います。
英国王室史の中では、ウイリアム1世からが正式な王となっていますが
ウィリアム1世はフランスからやって来た王様で
それ以前はアルフレッド大王やエドワード王などサクソン系の王が
イングランドを(一部だけど)治めていました。
デーン人(デンマーク系)の王が治めたこともあります。
マティルダ・オブ・フランダースは5代さかのぼると
アルフレッド大王の娘エルフトリュードにたどり着きます。
ヘンリー1世は、マティルダのその血筋に目を留めます。
自分のイングランド王の地位を強化すると同時に
イングランド人のご機嫌もとっちゃおうという作戦です。
(ウィリアムは最後のサクソン王ハロルド2世を破って
イングランド王になりました。エドワード王はハロルド2世の義兄)
ウィリアム1世はイングランド王でありながら、当然ノルマン公でもあるわけで
イングランド統治に忙しい夫に変わり、マティルダがノルマンディーを治めます。
あまり一緒にいる時間はなかったのかしら
彼女の功績として大きく取り上げられている『バイユーのタペストリー』
ウィリアム1世がイングランド王になるまでの活躍を綴った
70メートルにも及ぶタペストリーは、史実に忠実かどうかは別にして
時代考証には役に立ってるみたいです。
タペストリーって織物でしょ?
一人でぎっこんばったんやったわけじゃなくて、沢山の人がかり出されたとは思うけど
皆に混じって王妃が織ってたら素敵ですよね
ハンドクラフトの醍醐味は、自らの手で作り上げる事ですからね。
ウィリアム1世の不在に加えて彼女は悩ませたのは、たぶん長男ロベール。
戦国の世の習いとはいえ、王位を狙って父親に反抗して軍をおこしたり
父親に傷を負わせたり。
結局彼は弟であるヘンリー1世に反乱軍をおこしますが、王位には就けず
哀れな末路をたどります。
マティルダはそれを知らずに亡くなって幸せだったかも・・・
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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だけども、私が面白いと思ったのは、この夫婦の結婚するまでの経緯が凄い…
ウィリアム1世は、父王ロベールの正式な妻から産まれた息子ではなく、“庶子”
その母は、貴族ではなく、中産階級、なめし皮商人の娘だったそうですね。
ウィリアムは、由緒ある家柄で教養豊かな姫君との結婚を望み、白羽の矢が立ったのが、マティルダ・フランダース。
この姫君は、さして美貌の持ち主ではなかったらしいですが、その血筋ゆえか、高貴な雰囲気を漂わせ、教養豊かな女性だったらしいですね。早速、代理人を通じて求婚するが、姫君は、ウィリアムは美男子であるが、その出自、なめし皮商人の娘を母に持つ、下賎の血筋で、“嫡流”でなく“庶出”である男など、論外!と冷たくあしらった。
後日、マティルダが教会から帰宅する途中、馬に乗ったウィリアムが彼女の前に現れ、いきなりマティルダのお下げ髪を掴み、地べたに転がった彼女を激しく殴ったり、蹴り飛ばしたりし、苦痛にうめく彼女を横目に、さっさと去って行ってしまい、その事を聞いたマティルダの父母は、怒りに戦慄き、報復しようとしたところ、当のマティルダが父母に報復を止めるように言い聞かせ、それどころか、公衆の面前で、自分にあれほどの事をするとは、ウィリアムは男らしい?殿方です、自分はウィリアムの妻になります。と断言し、晴れて(?)二人は結婚したそうで…ワケわからん(汗)。ですが、経緯はアレでも、二人は仲睦まじくて、11人(諸説あり)もの子供に恵まれ、ウィリアムは誠実な夫だったらしく、他に庶子等を作ることなく、マティルダも貞淑で賢い妻、母だったらしいですね。でも、マティルダは子供、息子達のことが心配だったらしく、死の間際まで気にしていたらしいですね…
余談ですが……マティルダ・フランダース王妃は、“イギリス史上、最も小柄な王妃”とされていて、身長は、150以下とも、127だったとも…