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まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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フランス王ルイ6世妃 リュシエンヌ

2009-02-09 22:29:12 | フランス王妃・王女
                 アデライードのコイン(?)です。
                       こんなものしか見つからなくて…


エピソードがありません…
ルイ6世妃 リュシエンヌ・ド・モンモランシー


1088~1137/在位せず 

“ 肥満王 ” などと呼ばれていたルイ6世は、皇太子時代の23歳の時最初の結婚します。
リュシエンヌは16歳で結婚したのですが、19歳の時「王子が生めないから」という理由で
離婚されました。
しかし19歳ですからまだまだ余裕はあるというのに離婚されたところをみると
何か他に理由があったのでは…?

ルイが王になる前年に別れたので王妃にはなれませんでしたが
後に再婚して2人の子供に恵まれています。

    



中身で勝負
ルイ6世妃 アデライード(アデル)・ド・サヴォワ


1092~1154/在位 1115~1137

離婚から8年、ルイ6世が再婚したアデライードは、美しくない、といいますか
醜いという評判の女性だったのですが、思いやりがあって信心深く
切り盛りに長けたしっかりものだったそうです。

フランスの王様の中に、顔じゃなくて中身で女性を見て下さる方が
ひとりでもいて良かったっす・・・

アデライードは政治的にも活動的で、ルイ6世の治世中王家の会計書類に
45回も彼女の名が登場したらしいのです。
彼女の署名は王と同等に扱われていたということでしょうか?

ルイ6世は、“ カペー王朝始まって以来の最強の王 ”と言われ
29年の治世は戦いと王家の権力拡大に明け暮れていました。
しっかり者の王妃がいたから、安心して宮廷を任せられたのかもしれませんね。

9世紀に建てられた巡礼者たちの集会所を
サン・ピエール教会として建造する令を発したのもルイ6世とアデライードで
1134年に着工しています。

王が亡くなると表舞台からさがり、マシュー1・ド・モンモランシーとの間に
子供を1人生んだものの再婚はしませんでした。
◯◯夫人としてより、王の未亡人として余生を送りたかったようです。

ただ彼女にもひとつ悪い噂が・・・
アデライードはある若い騎士に馬上試合で魅せられてしまったのですが
彼には既に婚約者がいました。
彼の名はウィリアム・ド・アールビニー、
イングランド王ヘンリー1世の未亡人アデライザ・オブ・ルーヴァンと婚約していました。

ウィリアムに拒絶されたアデライードは
彼を誘い出しライオンのオリに入れてしまいましたが
彼は素手でライオンを殺したという…

これはイギリスのWilliam Dugdaleによるもので、なんか嘘くさいっていうか
嘘だろう!と言われております。
フランスとイギリスが仲悪い時に書かれてますからね。

1153年、アデライードは息子ルイ7世が完成させたサン・ピエール教会に隠遁し
翌年亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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