まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『六号病棟・退屈な話』医者も人也・・・

2010-02-22 00:20:13 | ロシアの作家

アントン・パブロヴィチ・チェーホフ

もちろんチェーホフがポップでご陽気な作家でないことは重々承知していますが
やけに暗い気がします。
やはりその世界を知りすぎているだけに、リアルな暗部が滲み出ているのでしょうか?

チェーホフはお医者さんで、医者を題材にした短篇が多々ありますが
いったい旧体制のロシアにおけるお医者さんの地位ってどうだったの?という
謎が深まる一冊でした。

『脱走者/1887年』
肘を痛めて手術をすることになり、ひとり病院に残された7歳のパーシカ。
病院の食事、入院患者の死などを目にするうちに「母ちゃん」と叫んで病室を飛び出し
陽気な医者に会いたくなって窓の灯りをたよりに走っていきます。

なんだかパーシカの腕の病は深刻そうなんですが、それはおいといて…
7歳の子供の入院に母親が付き添えない病院なんて、考えられないですよね。
この物語のお医者さんは、子供には優しい人だったみたいで、それが救いでした。

『アニェータ/1886年』
医大生のステパンは、一緒に暮らしている女アニェータの肋骨を見ながら勉強します。
アニェータは今まで5人もの学生と暮らし、卒業と同時に捨てられていました。
もちろんステパンもそうするつもりです。

私はこのタイプの女の人が出てくる物語に弱いのよね。
捨てられるって分かっているのに尽くすのは何故なんだろうか?
年をとって学生たちに相手にされなかったらどうなるの? 想像が尽きません。

『敵/1887年』
医師のキリーロフの息子が死んだ直後、妻を助けてほしいと言って男がやってきます。
キリーロフは断りますが男は食い下がり、1時間の約束で出かけて行きます。
すると、男の妻の病気は嘘で、他の男と駆け落ちした後でした。

この後キリーロフはすごく怒りを覚えるんだけど、それは騙されたからじゃないの。
アボーギンていう男に対して怒るんですが、その気持ちは分かる。
この物語によると、医者は仕事に値する尊敬と報酬を得ていなかったような感じです。

上の3篇以外もすべて病院やお医者様が題材になっています。
表題の『六号病棟』は精神科をテーマにしたちょっと寒気を感じる物語。
精神科医に睨まれたら、もう人生終わりなのかしら?
『退屈な話し』は自分の死を悟った老教授の、晩年の嘆きを描いた物語です。
どんなに高潔な思想や信念を持った人も、死を前にして「ま、いいか」の
境地に陥ってしまう切なさが悲しい一篇でした。

ソ連では医者にも勲章や官位があったみたいです。
出世のみが目標の人がいますし、制度自体をあきらめてなげやりになった人も登場します。
どうやら報酬は充分でないようですが、上手くやって貯め込んでいる人もいます。

患者のために寝る間を惜しむ医者、研究命の学術肌な医者、地位や出世に血眼な医者、
いずこも同じか…

チェーホフは、何か医者の世界に疑問を感じてこれらの小説を書いたのでしょうか?
自分への戒めだったのでしょうか?
いつかチェーホフの人と也を読んでみようと思います。

チェーホフ全集〈5〉 筑摩書房


このアイテムの詳細を見る

文庫で全集があったとは… 探さなきゃ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ともしび・谷間 他七篇』所詮は他人の想ひ出・・・

2009-12-13 00:39:10 | ロシアの作家

アントン・パブロヴィチ・チェーホフ

岩波文庫から短篇集が2冊出ていたから買っちゃったよ。
やはり良かったですわ、少しクールで静かめなチェーホフの世界。

9篇が収められているこの短篇集を読んでいて考えたことがあります。
それは、思い出話って本人が思っているほどにはねぇ… ということ。

小説では、登場人物が思い出を語る…というケースは珍しくありません。
この短篇集も4篇が「こんな話しがありましてね」という感じで
登場人物の思い出が語られています。
好きか嫌いかは別にして、その4篇をご紹介。

『ともしび/1888年』
鉄道技師アナーニエフが若い頃におかした過ちの話を、助手と旅人に聞かせます。
若い頃は、助手の学生のように高尚な思想を持っていたアナーニエフは
立ち寄った故郷の町で少年の頃ヒロインだったナターリヤに出会いました。
アナーニエフは、生活に不満がありそうな彼女を一夜のお相手に…と考えます。

『箱に入った男/1898年』
狩猟に来て納屋に泊まっている教師ブールキンが獣医のイワンに語ったお話。
自分の考えと様式にこりかたまったギリシャ語教師ベーリコフを
新任教師の姉ワーレニカと結婚させようと、まわりの人々が躍起になりました。
うまくいきそうに見えたのに、ワーレニカが自転車に乗ったばかりに…

『すぐり/1898年』
雨宿りをしているイワンが、ブールキンと農園主アリョーヒンに弟のことを話します。
弟のニコライは幼い頃暮らしていた田舎のような土地に住みたくて
生活を切り詰め、好きでもない金持ちの女性と結婚し、やっと土地を手に入れました。
弟を訪ねたイワンは、ニコライの地主ぶった態度に呆れます。

『恋について/1898年』
アリョーヒンがブールキンとイワンに、悲しい結末をむかえた恋の話しを聞かせます。
彼は若い頃、裁判所副所長ルガーノヴィチの若い妻アンナに恋をしました。
アンナも同じ気持ちのように思え、噂にもなりましたが、ふたりの恋は清いものでした。
しかしルガーノヴィチの転任が決まり、アンナとの永遠の別れが訪れてしまいました。

以上の4篇は、語られる思い出話を含めて、とても良い物語なのですよ。
でも話しを聞かされている登場人物にはそうでもないみたいなのね。

『ともしび』の助手の学生は、話しを聞き終わると、すごくつまらなそうな顔で
失礼くさい返事をして、さっさと寝床に入っちゃいます。
『箱に入った男』のイワンは、いきなり別の話しを聞かせるとか言い出します。
『すぐり』のアリョーヒンは、聞いてる間に眠くて堪らなくなってしまいました。
『恋について』では、ブールキンとイワンは気まずい思いをします。
なぜかっていうと、アンナが今、けっこう近所に住んでいるからなんですけどね…

美しいものでも、醜いことでも、恥ずかしいことでさえも、
本人には忘れ難い、大切な思い出なのですけれども
他人にはそんなの関係ないもんね~っ

おしゃべりしている時に「それより私はね…」て言って、
割り込んだり、割り込まれたりっていう経験、ありますよね?
人が話している間に自分は何を話すか考えるという、カラオケ状態の経験、
話しが終わる前に次の話しがかぶさっちゃってるという、強引フェードインの経験、
特に歳を重ねる毎に多くなってきた気がする… 気をつけようっと。

物語の本当の焦点は他のところにあるということは、重々承知しておりますけれど
人の悲しい思い出話しに感動するという物語が多い中
正直なリアクションという気がして気に入りました。

好きだったお話は『かわいい女・犬を連れた奥さん』にも収められていた『谷間』
それからスノッブな若奥様が堅実な夫を裏切るお話し『気まぐれ女』でした。

ともしび・谷間 他7篇  岩波書店


このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イワン・デニーソヴィチの一日』昨日も、今日も、明日も…

2009-11-14 01:43:44 | ロシアの作家
ОДИН ИЕНЬ ИВАНА ДЕНИСОВИЧА 
1962年 アレクサンドル・イサエヴィチ・ソルジェニーツィン

この物語は素晴らしい!! と、いくら私が書いたところで
その素晴らしさを伝えるのはどだい無理だと分かっています。
しかし書かずにはいられない。

政治犯として収容所に服役しているイワン・デニーソヴィチ(シューホフ)の
朝5時の起床から夜10時過ぎの就寝までを描いた、本当にたった一日のお話なのです。

極寒のソ連の収容所がどんなに過酷か? 私には分かりません。
零下何十度の荒野、つぎはぎだらけの囚人服、ほとんど実の無いスープの食事…
人が思い描けるだけの無慈悲さは存分に書かれています。
賄賂、密告、たかりなどの呆れた行状だって驚くには値しません。

胸にぐっとくるのは、こんな一日がずっと続いてきたことと
これからもずっと続いていくのが分かっていることです。

服役囚のほとんどは、政治犯とはいっても戦争中捕虜になっていたことや
たったひとこと不用意な発言をした、反政府派にミルクを運んだだけ、という
些細な理由で10年(途中から25年)の刑をくらっている人たちです。
刑が終わっても運が良くなければ再び収容されたり流刑になる恐れは充分にあります。

今日を生き抜くためだけを考えて過ごす一日の恐ろしさ… 想像できません。
ましてやそんな日が何年も続くなんて、考えただけでどうにかなりそう。

それなのにシューホフは一日の終わりにベッドの中で
「今日は幸せな日だったなぁ」と思うのです。

上手くやって朝も夜も一皿(水みたいなスープを)多く食べられました。
ブロック積みの仕事も楽しくはかどりました。
営倉(独房)にも入らずにすみました。

“ 美しい ” と言ってはいけないかしらね?
それでも、何日も風呂に入っていない男たちが繰り広げる日常を淡々と書き綴った
この物語が清らかに思えてなりません。

人は生きることを選ぶ、生きるためにはなんでもやる、という
ギリギリの日常が展開されているにもかかわらず
必死さの裏にある心のゆとりや労働の喜びに胸うたれます。

テレビ等で目にする強制収容所の、救いの無い映像が脳裏にちらつきつつ
どっこい俺たちは生きてるぜ! という主人公たちのたくましさに
小さな希望と喜びが見いだせた物語でした。

だからといって強制収容所があっていいということにはなりませんけどね。

イワン・デニーソヴィチの一日 新潮社


このアイテムの詳細を見る

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『賭博者』悪魔に魅入られた人々

2009-10-05 01:10:26 | ロシアの作家
ИТРОК 
1866年 ドストエフスキー

感想を書くまでにすごく時間がかかってしまった… なにやら身につまされて。

舞台はドイツの保養地のホテル。
主人公は家庭教師のアレクセイと、賭博でめちゃくちゃになった将軍一家です。

アレクセイが恋いこがれる将軍の娘ポリーナは
一家につきまとう胡散臭いフランス人デ・グリュー侯爵を想っているみたいなのだが
財産がないので上手くいかない様子。

将軍はたぶん借金やなにかでロシアにいられなくてドイツにいるのね。
彼はデ・グリューの親戚を名乗るブランシュに求婚したくてしょうがないのですが
ブランシュは金がかかる女です。
家計が火の車の将軍にはとてもとても…

そんな一家と他数名が待ち望んでいるのが
有り余る金を持つ伯母のアントニーダ老婦人が死亡したという電報です。
危篤だという電報をもらってから彼らは今か今かとその一報を待っています。

そんなある日、ポリーナの冷たい態度にイライラして問題を起こしたアレクセイは
クビを言い渡されてしまうのですが、彼の目の前に救世主のように現れたのは
誰あろう… ピンピンしているアントニーダ老婦人でした。
将軍一家はどうなってしまうのでしょう?

この後老婦人がルーレットの狂喜に魅惑されてしまい
ポリーナを救おうとするアレクセイもルーレットに挑むわけですが…

ルーレットを囲んで次第にギラギラしてくる人たちの様子に鬼気迫るものがあって
さすが自らが賭博常習者だったドストエフスキー!って感じ
経験+才能が見事に融合した場面です。

物語は予期しなかった、というか好きになれない展開をみせていきます。
ルーレットと真剣勝負をしたその夜を堺に
アレクセイの人生は大きく変わってしまったようです。 もちろん悪い方へね。

素直でなかったポリーナが悪いのか? 鈍いアレクセイが悪いのか?
私はポリーナがもう少し女らしい感情を見せていたら
ふたりの人生も違ったものになっていたと思うんですけどね。

でもそうなるとただのラブストーリーになっちゃうわけで
ドストエフスキーらしさが無くなってしまうのかしら?

賭博で手にした大金はあえて見苦しく、バカバカしく使うことになるのだという
彼なりの警告が込められているような気もします。
しょせんはあぶく銭なわけですから…

私は競馬は好きだが、大きくつぎ込もうとする人の気がしれません。
1000円ぐらいでいいじゃない? と思うのですが
1000円が2000円になったところで何も面白くないんですってさ。
10000円が20000円に、100000円が200000円にならないとダメなんだと。
0円になった時のことを考えないのかね?
恐ろしや、ギャンブラーの思考。

賭博者 新潮社


このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『クロイツェル・ソナタ 悪魔』真面目な夫ゆえの悲劇?

2009-09-22 18:36:49 | ロシアの作家
КРЕЙЦЕРВА СОНАТА、ДЬЯВОЛ 
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ

表題2篇が収載されている1冊です。
物語に共通しているのは良き夫になろうと誓った男性を襲う悲劇。
パターンは違えど男性が抱える不変の苦悩ではないでしょうか?

『クロイツェル・ソナタ(Крейцерова Соната)/1891年』
夜汽車で愛について語りだした乗客たちの中に妻を殺したポズドヌイシェフがいました。
彼が雄弁に語る、妻を殺してしまった理由とは?
ある女性を愛して結婚したというのに、ふたりにはハネムーンから喧嘩が絶えず
結婚生活は敵対と憎悪の連続でした。
お互いがうんざりしていた頃、妻はモスクワ帰りの音楽家に心を奪われたようでした。

ボズドヌイシェフの女性観、結婚観はかなり偏ったものに思えないでもありません。
そんな男性が妻の心変わりに気がついた時… ああ恐ろしや。
しかし妻は本当に浮気していたのでしょうか?
その根拠は夜中に一緒に食事をしていたという事実しかないのですが…

『悪魔(Дьявол)』
借金だらけの領地を継いだエヴゲーニィは、軽い気持ちで村の人妻ステパニーダと
度々関係を持ちました。
町で出会ったリーザと恋に落ちて結婚した後は、ステパニーダのことは忘れていたのに
1年後に屋敷の手伝いに来ていた彼女を見た時から、エヴゲーニィの頭から
ステパニーダのことが離れなくなります。

昔の女が目の前に… どうします?
これは実話がもとになっている上に、トルストイ自身の体験談でもあるそうです。
妻のことは愛しているけど、他の女性も手に入れたいというジレンマ。
浮気癖のある男性の皆さん、浮気前にそんなに悩むものでしょうか?

ボズドヌイシェフとエヴゲーニィは、結婚前には女性問題があったとはいえ
それは独身男性ならば “ 健康維持のために当然のこと ” と認識していて
結婚後は妻一筋の家庭生活を送ろうと誓った男性です。

打算ずくで体面重視の人身売買もどきの結婚がまかり通っていた当時からいえば
ピュアな物語ですが、あまりにも夫婦のかたちに理想を求めすぎたのではないかしら?

ボズドヌイシェフはその理想を壊したのは妻だという思いが強すぎたために
エヴゲーニィはその理想を壊すまいと苦悶したために
悲劇的な最後を迎えるまでに自分を追い込んでしまったような気がします。

浮気… バルザック的フランス人なら後先考えずにやりそうな気がするし
モーパッサン的フランス人なら笑い話にしちゃうでしょうね。
その点主人公二人はかなり真剣に、生死をかけて考え込んじゃってます。
恋愛ぐらいで死ぬほどのことはないと思うがね…

夫婦なんてさ、愛なんてさ… と結婚前から考える必要はないと思うが
現実って甘美なものばかりじゃない、厳しいものなのよ

浮気をしようかどうしようかと悩んでいらっしゃるあなた!
解決への手がかりのひとつにはなるかもしれませんよ。

クロイツェル・ソナタ/悪魔 新潮社


このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『チェーホフ短篇集』別れることの難しさ

2009-09-10 01:21:01 | ロシアの作家

アントン・パーブロヴィチ・チェーホフ

新潮文庫『かわいい女・犬を連れた奥さん』
岩波文庫の『カシタンカ・ねむい』 に続いてチェーホフの短篇集を読んでみました。

こちらの本の訳者(松下裕氏)はチェーホフの日本語訳で有名な方だそうですね?
14篇の半分ぐらいは既読だったのですが、どれどれ…と手に取ったしだいです。

思ったより情熱的な方が多いロシア文学の主人公の中で
チェーホフの短篇に登場する、騒がしいことが苦手で平凡な男扱いされる
控えめな男性にはホッとさせられます

そんな男性の苦悩がうかがえる好対照な2篇を書き出してみます。

『アリアードナ(Арцабна)/1895年』
船で出会った男性イワン・シャモーヒンが語り始めた自分の恋の失敗談。
彼が恋したアリアードナは、ドレスや舞踏会に憧れ
華やかな場でちやほやされる自分の姿を夢見てばかりいる女性でした。
他の男とイタリアに行ってしまった彼女に呼び出されたシャモーヒンは
彼女のみならず相手の男性にまで金を使わされて、土地まで抵当に入れてしまいました。
それでも彼女のそばを離れることができずに、彼女と帰国するところだと言うのです。

『知人のところで(Узнакомых)/1898年』
弁護士のポドゴーリンが学生時代を過ごしたクジミーンキから彼を招く手紙がきました。
気乗りはしませんがタチヤーナやワーリャの頼みは断りきれず出かけて行くと
案の定、競売にかけられる土地を守る相談をもちかけられます。
財産をくいつぶしたのに、なぜか女性に人気があるタチヤーナの夫セルゲイは
やっぱり金の無心をしてきました。
その上みんなしてポドゴーリンとタチヤーナの妹ナジェーダと結婚させようとしています。

主人公はふたりとも断りたいのに断れない、というジレンマにとっても悩んでいます。
『アリアードナ』のシャモーヒンは早く帰国して働いて借金を返したいのに
まだ遊び足りないというアリアードナを置いて行けないし
『知人のところで』のポドゴーリンは競売はやむを得ないと言いたくても言えず
セルゲイにはうんざりしながらお金を渡しちゃう。

もうっ!ビシっと言ってやりなよ!
と思うんだけど、もし自分が同じ目にあっていたらどうなるか分からないですね。

一方、彼らの相手になる男性が揃いもそろっていい加減なお調子者なのです。
ところがなぜか、そういう彼らの方が人生を謳歌しているようで
純粋だ、男らしいなんて言われて女性にももてたりするんです。

真面目、几帳面、常識的な男性は、どうも文学ではバカにされがちなのですけど
私は悪いとは思わないんだけどなぁ。
チョイ悪、無造作、アウトロー … 確かに素敵に聞こえるわ、困ったね。

主人公のふたりは、それぞれ女性との関係に結論を出すことができました。
悩んだ末の決断、「それで良かったんですよ」と言って上げられる未来が
ふたりにやってきますように …

『かわいい女』は何度読んでも良いですね。

チェーホフ短篇集 筑摩書房


このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『美人ごっこ』遠い日のせつなさを覚えてる?

2009-08-05 00:59:22 | ロシアの作家

ユーリィ・ヤーコブレフ

ロシア(ソ連)の作家はそんなに読んでいるわけじゃございませんが
この短篇集は政治色ほぼゼロ! まさに政府推奨の青春小説って感じです。
児童文学で有名な作家だそうですけど、大人が読んでもせつない気持ちにさせられます。

たまに戦争に関する記述がでてきますが、それは第二次世界大戦の敵国
特にレニングラードを包囲したドイツへの小さな非難にとどまっています。

『カナリアは悲しそうに泣く』
いつも工場でののしりあっていた青年と娘がふとしたきっかけで海辺に旅行へ。
海のそばのバンガローで過ごすうち青年の心には恋心のようなものが芽生えて
帰ったら一緒に暮らそうと決心するまでになります。
けれどその気持ちを打ち明ける前に娘は …

『大地の心』
大人になって母が眠っているはずの故郷の共同墓地に向かっています。
子供の時に見ていた「かあちゃん」、田舎で見た「かあちゃん」を思い出します。
従軍中「かあちゃん」からの手紙は平和な故郷の風景を運んできてくれました。
でも実は故郷レニングラードはドイツ軍に包囲されていたのです。

『バラクラワ』
少年が学校から帰るとおばあちゃん「バラクラワ」は死んでいました。
もうアイロンをかけたり、昼食を作ったり、背中を流したりしてくれる人がいません。
実感が湧かずプールに出かけてしまった少年でしたが、バラクラワが教えてくれたこと
バラクラワにしてあげられなかったことが心に浮かんできました。

全部で10篇収められていますがほとんど子供が主人公です。
テーマになっている幼い悩みは大人にとっては些細なことですが、小さな頃同じような
悩みや悲しさを感じていたなぁ … なんて思い出したりしました。

初恋はいくつだったかしら? 4年生の時初めてバレンタインデーのチョコを買ったけど
家まで持っていったらお母さんが出て来て叱られたのでした。
おばあちゃんが死んだ時はどうだったっけ? 学校を休んで東京に来たので
パンダを見に行くことばかり考えていた気がします。
初めて子犬を拾って帰った時は父に怒鳴られて「死んじゃえ」なんて思ったかなぁ…

今さら教訓めいたことは考えたくないので深読みはしませんでしたが
やはり両親は大切にしなきゃなぁ、と反省させられております。

旧ソ連体制の言論統制がどれほどのものだったかは想像がつきませんが
限られたテーマとボキャブラリーで物語を作り上げるというのは大変だったと思います。
たとえ少し退屈に思えたとしても、生み出されたものは決して平凡なものではありません。

書きたい作品のために祖国を捨てた人も立派ですが
国にとどまって国民に文学を与え続けた人も同様に尊敬に値する、
そう思いませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『初恋』翻弄されたい恋心

2009-07-18 00:31:26 | ロシアの作家
ПЕРВАЯ ЛЮбОВЬ 
イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ

うぅぅぅむ… 解説で小沼文彦氏が “ ツルゲーネフが思い描いた完璧な女性像 ” と
書いていらっしゃる女性が登場する物語2篇なんですけれど…
私の勝手な解釈では “ こんなに酷い目に遭わされても愛さずにはいられない
女性に存在していてほしい ” という願望なんじゃないかと…
ちょっとニュアンスが違うんですけど上手く言い表せません。

『初恋/1860年』
16歳のウラディーミルはある日隣家の庭で数人の男たちにかしずかれた
女王のようなズィナイーダを目にして彼女に近づきたいと思い
なんとか取り巻きのひとりになることができました。
奔放にふるまうズィナイーダに日に日にのめり込んでいくウラディーミルでしたが
突然彼女が恋を知ったことに気がつきました。
しかもその相手は若く美しいウラディーミルの父でした。

たとえばこんなことされたらどうですか?
一列に並んで花束でおでこをはたかれたり人前で四つん這いにさせられて
踏み台になったりって耐えられますか?
私は今ひとつ彼女の美徳がどこにあるのか理解できなかったんですけどね。

『かた恋/1857年』
N・Nはドイツの片田舎でロシア人の兄妹と知り合い親しくなります。
兄ガーギンは画家を目ざすという平凡な好人物、妹アーシャは感情の起伏が激しく
気紛れな扱いにくい女性でした。
N・Nはふたりが兄妹ではないと考えましたが本当に異母兄妹でした。
事実を打ち明けたガーギンはアーシャがN・Nに恋をしていることも告白しました。

アーシャは複雑な生い立ちから人付き合いが苦手になってしまったみたいです。
人を愛するということも良く分かっていないんじゃないかしら?
せっかく勇気を出して愛を打ち明けたのに…男性が少し臆病でした。
というか、兄ちゃんが妹のためだとしてもちょっと根回しに走りすぎたんじゃないかな?

実は “(恋愛で)不幸な私 ” ってけっこう嫌いじゃないですよね?
女性なら妻子ある男性とか身分違いなんて大好物!
親の反対とか「実は生き別れた兄妹!」なんていうのも王道です。

一方『初恋』を考えてみますと…
究極の女性に弄ばれる自分ていうのは、けっこう男性が酔いしれたい
シチェーションではないですか?
そして、自分には見せない従順さを他の男性(しかも実の父!)に見せている
恋しい人の姿というのも、悲しみに身悶えつつ快感が得られるステージですね。

でも女性は弄ばれたり母親に恋人を盗られるっていうのはNGなのよね
あくまでも自分が愛されている上で結ばれない…というのが良い悲恋なのです。

振り向いてくれない人を慕い続ける…多少マゾヒスティックな気がしないでもないですが
男性が夢見る悲恋が描かれている1冊ではないでしょうか?

はつ恋 新潮社


このアイテムの詳細を見る

表紙は昔の方がいい気がする…映画のワンシーンらしいんですけどね
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『桜の園・三人姉妹』戯曲再考

2009-06-24 01:08:13 | ロシアの作家
ВИШНЁВЫЙ САД・ТРИ СЕСТРЫ 
アントン・チェーホフ

チェーホフは好きだが戯曲が嫌い…というジレンマを解消すべく
この1冊に手を伸ばしてみました。

貴族階級の世紀末的哀愁という内容はすごく好き!!
とても良かったんだけど、やっぱり小説仕立てにしていただいた方が…
でも脚本だからこその良さなのかしら? ト書きが苦手なんですよね

『桜の園(ВИШНЁВЫЙ САД)/1903年』
没落していきつつある領主のガーエフとその妹ラネーフスカヤは
慣れ親しんだ桜の園が競売にかけられるというのに、出入りの商人ロパーヒンの
「別荘地にして貸し出しては?」 という助言を聞き入れようとしませんでした。
とうとう競売の日、桜の園を買ったのはロパーヒンその人でした。

たぶん舞台上ではロパーヒンが薄情者に見えるんじゃないかと思うのですけど
額に汗してきた人が、客間でお茶ばかり飲んでいた人に取って代わるって
正しいことじゃないでしょうか?
当時どの国でも抱えていた旧態を守ろうとする層と新興層の攻防ですが
ロシアは特にお金で称号が買いやすかったみたいだから入れ替わりが激しかったかも…
どちらの立場からこの物語を見るかで意見が分かれたんじゃないかしら?

『三人姉妹(ТРИ СЕСТРЫ)/1900年』
1年前に父親を亡くした姉妹の長女オーリガと三女イリーナは
長男アンドレイと生地モスクワへ向かうことが望みでした。
けれどアンドレイが結婚して子供ができ、教師をしていたオーリガは校長になり
イリーナもモスクワ行きを諦めて除隊したトゥーゼンバフ男爵に嫁ぐ決心をします。

仕事をやめて海外に語学研修に行っちゃうっていうのは圧倒的に女性が多いですよね?
現状を変えたいと思ったら女性の方が思い切りがいいような気がしますけど
誰もが即実行できるわけではなく、どんどん時はたってしまって後悔だけが残るという…
イリーナがすぐ口にする「モスクワへ…」がかなり心に響きます…涙がでそうです。

脚本は苦手だけど、小説よりキャスティングを妄想しやすいですね?
モリエールを読んだ時はそうでもなかったんですが、舞台ってやっぱり
キャラの立つ脇役が重要なんじゃないかと、あらためて思いました。

2篇とも爺さまが登場するんですけど日本でやるなら長門裕之しかいないんじゃなくて?
『三人姉妹』のナターシャはねぇ…松たか子の姉ちゃんかオセロの松嶋ってどう?
なんて考えていたら観劇に行ってみたくなってしまいました。

桜の園・三人姉妹 新潮社


このアイテムの詳細を見る

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『家族の記録』“変哲もない”家族の記録

2009-04-22 01:26:18 | ロシアの作家
СЕМЕЙНАЯ ХРОНИКА 
1852年 セルゲイ・チモフェーヴィッチ・アクサーコフ

名前は変えていますが、作者の祖父、父、その家族のことを綴っている物語です。
最初はどうなることかと思いましたよ・・・つまんなくて。

第1章には祖父ステパンが新しい土地を探して移り住み
パグロヴォという立派な村ができるまでが描かれています。
特筆するところはありませんが、ステパンの暴君ぶりはよく分かります。

第2章はステパンがこよなく愛する従妹プラスコーヴィヤの結婚の物語。
美男子で人気者のクロレソフは、結婚後立派な夫ぶりを発揮していましたが
次第に本性を表して、忌まわしい人物に変貌します。
事実を知ったプラスコーヴィヤは別離を決意し、ステパンは彼女を救います。

第3章から第5章は、作者の両親にあたるアレクセイとソフィヤのなれそめから
作者が生まれるまでの物語なのですが、これはもう『渡る世間は鬼ばかり』ばりの
嫁 VS 小姑 and 姑の争いの連続です。

なにしろアレクセイには姉妹が4人いまして、三女と四女がすごい意地悪なの!
母親と五女はそのふたりに逆らえず、一緒になってソフィアによそよそしくします。
しかも善良なアレクセイはまったく気付かず、頼りにもなりません。
(長女は亡くなってまして、次女はお人好しでソフィアが大好きなのです)

けれども暴君であるステパンが、美しく才気あふれるソフィアを気にいったことから
ソフィアもその特権を行使しようと、舅のご機嫌取りに余念がありません。
ますます気に入られ、逆にそれが小姑の嫉妬を招くという “ 負のスパイラル ”
この先うまくやっていけるのでしょうか?

作者はソフィアの息子ですから、やはり肩入れしがちになっております。
確かに小姑ふたりはヒドいし、嫁に行ってるんだから自分の家の心配をしなよ、と
言いたいところです。
でもソフィアもちょっと高慢じゃないかしら?
姉たちをはじめ田舎の生活を見下しているみたいだし
すぐ激怒してアレクセイを叱りとばすのはどうかと思うよ。

ステパンとアレクセイ、二代に渡る物語で、プチ・ルーゴン・マッカールみたいですが
ルーゴン・マッカールみたいなドラマティックな展開はありません。
(かろうじて第2章が物語になりやすい要素を含んでいますかねぇ)

けれども、あまりにも普通の家族のことを本にしようと思い立った、その無謀さに乾杯!
しかもそんな物語がそこそこ面白いというのは驚きでした。
時代が違うことと、ロシアという独特の土地柄がそう思わせてくれたのでしょうか?

家族の記録 岩波書店


このアイテムの詳細を見る

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『鰐』なんか笑えない・・・ (>_<、)

2009-03-14 01:22:02 | ロシアの作家

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

“ ユーモア小説集 ” と書いてあったので、お珍しい と思い購入しました。
うぅぅむ、確かに笑わせてくれようとしてるかもしれないのですけど…
愉快に笑えないのです、私。

以前チェーホフ・ユモレスカを買った時には、内容というよりは訳が!
「◯◯なんじゃ!」「◯◯だんべ」(思い出せないので適当です)的な言葉に
閉口したのですけれど、ドストエフスキーの方はちょっと哀しいんですよ。
これで笑えと言われましても… というのが正直な感想です。

4篇なので簡単(すぎるほど)に全部ご紹介します。

『九通の手紙からなる小説/1847年』
慇懃な内容から始まって、やり取りを重ねるうちに罵詈雑言を書き連ねるようになる
ピョートル・イワーヌイッチとイワン・ペトローヴィッチの手紙。
とうとう、お互いの妻のことにまで及んで…

メールでなくて良かったよ…手紙なら少なくとも中1日はかかるものね。
書いていくうちに、あれもこれもと追加したくなる気持ちはよく分かります。

『他人の妻とベッドの下の夫/1848年』
嫉妬深い夫が妻をつけまわるうちに浮気相手らしい青年に出会います。
後日現場にのり込もうとすると女は人違い、慌ててベッドの下に隠れたら
その青年が先に潜んでいました。

夫の態度に『永遠の夫』を連想させられてイライラします!
しゃべればしゃべるほど墓穴を掘るというのに、なぜ黙ってられないかな?

『いまわしい話/1862年』
同僚の家で人道的な行いについてひとくさり論じたイワン・イリイチは
帰りに部下の結婚式に気付き、身分を超えて顔を出してやることにします。
皆の感激する表情を思い浮かべてほくそ笑むイワン・イリイチでしたが…

イワン・イリイチの災難を笑うより、新郎のプセルドニーモフの今後を考えると
可哀想で涙が出てしまう、というのが私の感想でございます。

『鰐(1865年)』
友人夫妻とドイツからやってきた巨大な鰐の見せ物を見に行ったセミョーン。
ふとした隙に友人のイワンが鰐に飲み込まれてしまいます。
右往左往する人々を尻目に、イワンは「しばらく鰐の腹の中にいる」と言いだします。

セミョーンってお人好し…いやなことはいやだとはっきり言わなくてはね。
それにしても、あからさまな利己主義のぶつかり合い…ビックリしますよ。

『九通~』と『他人の妻~』は浮気に関するもの、『いまわしい話』と『鰐』は
官僚主義や似非人道主義をおちょくっているような内容です。
結局ユーモアってそういうものが題材になりやすい時代だったのかもしれませんね。

人が「面白い」と思うには、モデルになる人物がいるんじゃないでしょうか?
確固とした個人でなくて漠然としたタイプでもいいのですけれど。
情報があまり広くいき渡らなかった時代には、“ 寝とられ亭主 ” とか “ 成り上がり ”
“ 俗物 ” “ 腰巾着 ” など、分かりやすい笑われ者が必要だったのかもしれません。
それで「◯◯さんみたいじゃなくて?」って笑うのね。

とはいえ、ドストエフスキーにこういう一面があったと知って
なんだか嬉しくなりました。

鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集 講談社


このアイテムの詳細を見る

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ソルジェニーツィン短篇集』◯◯主義なんてくそくらえ!

2008-12-09 01:52:28 | ロシアの作家

アレクサンドル・ソルジェニーツィン

本棚を見ていたら、ソルジェニーツィンの短篇集と
『イワン・デニーソヴィチの一日』があったんだけど、例によって読んだ覚えが・・・
というわけで短篇集から手をつけてみました。

いい本だったわ。

旧ソ連時代の物語が4篇収載されていますが、とにかく全篇通して思うのは
「お役所ってやつは・・・ 」ってことです。
これがソ連だから特にそうなのか?
いえいえ、現代の日本だってそんなに変わらないんじゃないですか?
人情 VS お役所仕事だったら、必ずと言っていいほどお役所が勝つってことです。

4篇しかないので、全篇をサクっと紹介します。

『マトリョーナの家(Матрёнин Двор)/1963年)
人のためばかりを考えて暮らしている老女マトリョーナと下宿人の若い数学教師の
貧しくも穏やかな日々は、哀しい出来事で突然終わりを告げます。
国のため、人のために働き通しの一生を送ったマトリョーナ。
どんな世の中も、こういう名もない人々が国を支えているのです。

『クレチェトフカ駅の出来事
   (Случаи На Станции Кречетовка)/1963年』
眼が悪いせいで前線に出られず、後方支援で引け目を感じているゾートフ中尉が
クレチェトフカ駅に当直したある夜の出来事。
どこへ行くかも知らされず移動する兵士たち、食糧もなく戦時品を運ぶ老兵がいます。
気心が通じ合えたと思った兵士はスパイでした。

『公共のためには(Для Пользьl Дела)/1963年』
生徒たちが手伝って建てた新校舎に引っ越す日が迫っているというのに
州は引き渡しの許可を出してくれません。
新校舎が科学研究所として国に引き渡されることを知った校長のミヘーエヴィチは
州の書記などにかけあいますが、一度決まったことはくつがえらないのです。

『胴巻きのザハール(Захар-Калита)/1965年』
夏の自転車旅行で訪れたクリコヴォの古戦場で出会った番人のザハールは
まるで戦いに参加した兵士の生き残りのような容姿をした男でしたが
古戦場を愛して止まず、政府の援助を待ちながら孤軍奮闘していました。

この当時、ソ連はバリバリの社会主義国家ですが、社会主義だろうが
共産主義だろうが、民主主義、資本主義、よく分からんが共和制、
絶対王政だってなんだって、富める者はさらに富み、貧しき者は一生慎ましく
暮らすようになってんのよぉ・・・
私腹を肥やす人っていうのは、どんな世の中でもちゃんとうまい汁が吸えるように
なってるんだわよ

私は政治・経済の仕組みは皆目分からないですけれど
上に立つ人が強慾な人だったら、どんな主義だって一緒だと思いません?
清貧の政治家や役人を期待する方が間違ってるんでしょうか?

ソルジェニーツィン短篇集 岩波書店


このアイテムの詳細を見る
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『肖像画・馬車』“成功”ってなんだろう?

2008-11-24 18:11:44 | ロシアの作家
ПОРТРЕТ 
1842年 ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ

可笑しい・・・
本当は少し怖い物語なのかもしれないのですが
私としては肖像画を描いてもらう人々の
「奇麗に描いてほしい!」「男前に描いてほしい!」という
口うるさい注文や振る舞いが、まず笑えました。
分かります! 将来、孫とか子孫なんかに「変な顔だね」なんて言われたくないもの。
いろいろ考えて、結局ありきたりなポーズになっちゃうの

前後篇に別れていて、前篇では異様な目付きの老人を描いた肖像画を買った
画家のたまごチャトルコフが、その額縁から大金を手に入れたために
肖像画家としての名声と富を得ながら、画家としての自分の才能に失望し
人生を後悔するというお話しです。

どうして才能を認められていた青年画家が、豊かな想像力を失い
平凡な肖像画家として生きていくようになってしまったか・・・興味深い話しです。

芸術家なら、成功してもしなくても同じ悩みを持ち続けて生きていくのでしょうね?
世間に迎合して豊かさを手に入れるのか、自分の世界を追求し困窮に喘ぐのか・・・
両者が一致してくれればこんなにハッピーなことはありませんけれど
うつろいやすい人々の心を捉え続けるというのもまた、難しいことです。

後篇は、売りに出されたその老人の肖像画について、ある青年が語るエピソード。
その肖像画を描いたのはその青年の父でした。
モデルになった老人は、肉体が死んでからもその肖像画によって生き長らえたいという
奇妙な望みを持った、ある高利貸しでした。

青年の父に始まり、その肖像画を手にしていた人物には、次々と不幸が
襲いかかったという話しなのですが、果たしてそれは肖像画の力だったのでしょうか?
人々の不幸は嫉妬や猜疑心、憎悪などが膨らんだことによっておこるのです。
さてさて、そんな力を持つ絵なんて存在するものでしょうか?
あったら怖いですね

わたくし、ゴーゴリは初挑戦だったのですが好きでした。
あまり大仰でなく、不思議な物語が淡々と展開してくところが。

『馬車』は軽妙なお話しということになってます。
軽~い気持ちで口約束しちゃった男性におこる、他愛もない失敗談です。
でも社交界では大失敗なことかもしれませんね。
奥様の朝の身繕いの様子も思い浮かべると可笑しいです。
2時間もかかるなんて・・・何やってんの?

岩波文庫の『死せる魂』の表紙に書いてあるあらすじを読んで(長いし)
買わなかった覚えがあるんですけど、いつか読んでみましょう、と思いました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『オネーギン』ちょっといい気味かもね

2008-11-07 01:24:07 | ロシアの作家
ЕВГЕНИЙ ОНЕГИН 
1823年 プーシキン

これは・・・ 小説ですかね?
恋愛に関する論文のような、覚え書きのような、観察日記のような・・・

筋書きは面白かったんですが、話しが膨らみそうかな、って思うと
書き手の「僕の場合はさぁ」っていう恋愛論や女性観が顔を出し
なんか話しがとびとびで、唐突に時が流れちゃってるという・・・

恋愛や社交に疲れた人気者オネーギンが、隠遁した田舎の地所で
ラーリン家のタチヤーナから愛を打ち明けられますが
彼女の純粋な気持ちに応えられないとして断ります。

田舎で唯一の友人だったレンスキィはタチヤーナの妹オリガを熱烈に愛し婚約しますが
オネーギンはある日レンスキィの誘いでタチヤーナのパーティーに行った際
気に食わないことがあって、オリガにちょっかいを出し
怒ったレンスキィと決闘する事になります。

結局レンスキィを殺してしまったオネーギンは田舎を去り
彼を思い続けていたタチヤーナも母親の懇願に負けてN公爵と結婚します。
2年後、ペテルブルクで再会した二人。
オネーギンは美しくなったタチャーナに心奪われてしまいます。

ここからが(例えば)バルザックなんかだったら
必要以上に話しが膨らんじゃうような気がするんだけど、
この物語ではそうはいかず…なんだか消化不良な感じです。
この後どうなんのよ~? このまま終わりですか?ってな感じで気になります。

タチヤーナはロシア人女性の美徳の象徴だそうなんですが
なんかイジイジしてる暗い人という印象しかありません。(翻訳のせいでしょうか?)
見た目か、それとも行動のどちらかに魅力があるようにも思えないし
ただひたすら相手の事を考えてるだけっていう
関わり合いになったら怖そ~な女性なんですよね。
“ 着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編む ” タイプかしら?
若いのにエレジーな感じですね。

ただ最後はちょっと「ザマミロ 」って思えましたね。
美しくなったタチヤーナに恋い焦がれるオネーギンを
「もう人妻だから」と言って彼女が拒むシーンですけど 。
下世話ですけど、フラれた男をフリ返すってすごく気持ちいいでしょう?
逆もしかり。

でも物語的には、それでも惹かれていっちゃたりして、ヨリが戻っちゃったりして
グチャグチャっていうのが面白そうなんですけどね
どちらかというと、この物語が終わった後の二人に興味があります。

映画ならラストで “ To be continued ” って出そうだし
ドラマなら “Season2” とかできちゃいそうなエンディングでした。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『貴族の巣』完全に名前負けでは・・・

2008-09-18 22:20:09 | ロシアの作家
ДВОРЯНСКОЕ ГНЕЗДО
1857年 イワン・セルゲーイェヴィチ・トゥルゲーネフ

貴族っていっても、田舎の地主さんなのよ。
エルミタージュとかクレムリンなんかを想像して読むと、すごいギャップ

19世紀ぐらいの小説を読んでいると、よく身分とか家柄とかでてくるけど
大貴族は仕方ないとして、田舎の中流の上ぐらいが一番ピリピリしてるみたい。
少しでも上の家柄と縁を結びたくて、少しでも下の家とはつきあいたくないという
そんなことばっかり考えて暮らしてるみたいです。

ロシアの片田舎O---市でもそういう上流社会がありまして
その中のカリーティン未亡人家と地主のラブリェーツキー家を軸に物語が展開します。

ラブリェーツキーには美しい妻がいますが、彼女は行く先々で愛人を作ります。
それを知った彼は妻をパリに残し、一人でロシアに帰って来ます。
妻ワルワーラは、その後札付きの女性になっていきます。

ラブリェーツキーは、親類にあたるカリーティン夫人を訪ねた際にリーザに恋をします。
しかし未亡人は娘を前途有望な上流の青年パンシンに嫁がせようと躍起になっています。

ある日ワルワーラ死亡の一報を受けたラブリェーツキーは、自分の想いをリーザに打ち明け
リーザも同じ想いでいることを知りますが、幸せも束の間でした。
娘を連れたワルワーラが許しを請いに戻って来ます。

物語は、壮大なイメージのタイトルからは計り知れない程地味に
二つの家族と少数の人物で繰り広げられていくわけですが
どうやら作者自身がこの階級(荘園地主)に属していたということで
自分の身の回りで起こったことや噂話を書き綴ったのかもしれないですね。

私はワルワーラ嫌いじゃないかな。
目的がものすごくハッキリしている
“ 安楽な生活をさせてくれる男 ” この一点に絞られています。
だからターゲットを見つけたらあの手この手で楽しませちゃいますよ
しかもミエミエです。これほどわざとらしいと、ある意味清々しいですね。
まあ、容姿に絶対の自信がないとできない事ではありますが。

パンシンも結局彼女の虜になっちゃいます。

逆にリーザなんですけど、ちょっと元気ないですね、 若いのに。
純情で敬虔な淑女だということは分かりますが、なんでも理詰めでこられても
話しててもつまんないよね

男性の方はどちらがお好みなんでしょうね?

邦題『貴族の巣』が原題の直訳だかどうか、ロシア語の分からない私には
見当つきませんが、ちょっと大げさすぎませんかしら?
『地主の集い』とか『領主の応接間』とかでよかったのでは?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする