姑いじめが娯楽? ドイツ最後の皇后
ヴィルヘルム2世妃 アウグスタ・ヴィクトリア
フォン・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン
1858~1921/在位 1888~1918
アウグスタはホーエンツォレルン家の皆さんから“ ドナ ” と呼ばれていました。
ドナは23歳の時にヴィルヘルムと結婚しています。
結婚式は8時間にも及ぶものでした。
ホルシュタイン家ってそんなに悪い家柄だとは思えないんだが
ドナはヴィルヘルムの一家に見下されていたみたいなのね。
このクールな親戚付き合いはずっと続きました。
後にザクセン=マイニンゲン公妃になるヴィルヘルムの妹のシャルロッテは
とるに足りない領主の娘がヴィルヘルムの妃に、ひいてはドイツ皇后になるなんてっ!
というわけで、かなり冷たかったみたいですよ。
また、同じく妹のギリシャ王妃ゾフィアは、1890年に
ギリシャ正教への改宗についてドナに逆らい、ドナは逆上して流産してしまったそうです。

じゃあドナが可哀想かというと、そうでもない…
実は姑のヴィクトリアは、息子との関係が悪かったでしょ?
それをドナがとりなしてくれるんじゃないかと期待していたのですが
逆にドナは姑とのいざこざを楽しんでいました。
例えば、あるパーティーでヴィクトリア皇太后に
「どうしてわたくしが薦めたドレスを着ていないんですの?」とちくりと言ったり
娘のヴィクトリア・ルイーゼの名は(姑ではなく)祖母と曾祖母からとった名前だ、と
わざわざお知らせにあがったり、とか。
意地悪されたからってさらに弱い者をいじめるなんて、いかんじゃないか!
でも宮廷ではそうでもしないとストレスがすごいのかもしれないですよね。
そんなドナも、夫ヴィルヘルムが皇帝に即位して軍事に明け暮れるようになると
寂しくなってしまったのか皇太后と親しげにつき合うようになります。
仲良く馬車で出かけたり、ちょくちょく子供を連れて訪ねて行ったりね。
それでも(自由主義を吹き込まれると困るので)子供たちと皇太后だけにすることは
決してありませんでした。
皇帝になったヴィルヘルム2世は、それまでの慎重な外交を捨て
世界政策(強国政策)を打ち出していきました。
そんなつもりはなかったのかもしれないけれど、ことごとく英国に対抗するような政策は
次第に両国の関係を悪化させていきます。
また、ロシアとフランスを近づけ、敵に回すことにもなりました。
1914年のサラエヴォ事件を発端に勃発した第一次世界大戦に中央同盟国側で参戦しましたが
国内での反戦運動は革命になり、ついに1918年、ヴィルヘルムは退位し
オランダへ亡命しました。
退位と亡命にショックを受けて弱っていたドナに追い打ちをかけるように
1920年夏、皇子ヨアヒムが自殺します。
体調を崩したドナは1921年の春、オランダで亡くなりました。
ドナは亡骸となって、やっと、ドイツ(ヴァイマール)共和国から帰国を認められ
ポツダム宮殿近くの寺院に埋葬されました。
ちなみに夫ヴィルヘルムが再婚したヘルミーネも同じ寺院に埋葬されています。
ヴィルヘルムはドイツでの葬儀を禁止されたためオランダに埋葬されました。

“ The Empress ” という感じですね
(参考文献 阿部謹也氏『物語ドイツの歴史』 Wikipedia英語版)
ヴィルヘルム2世妃 アウグスタ・ヴィクトリア
フォン・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン
1858~1921/在位 1888~1918
アウグスタはホーエンツォレルン家の皆さんから“ ドナ ” と呼ばれていました。
ドナは23歳の時にヴィルヘルムと結婚しています。
結婚式は8時間にも及ぶものでした。
ホルシュタイン家ってそんなに悪い家柄だとは思えないんだが
ドナはヴィルヘルムの一家に見下されていたみたいなのね。
このクールな親戚付き合いはずっと続きました。
後にザクセン=マイニンゲン公妃になるヴィルヘルムの妹のシャルロッテは
とるに足りない領主の娘がヴィルヘルムの妃に、ひいてはドイツ皇后になるなんてっ!
というわけで、かなり冷たかったみたいですよ。
また、同じく妹のギリシャ王妃ゾフィアは、1890年に
ギリシャ正教への改宗についてドナに逆らい、ドナは逆上して流産してしまったそうです。

じゃあドナが可哀想かというと、そうでもない…
実は姑のヴィクトリアは、息子との関係が悪かったでしょ?
それをドナがとりなしてくれるんじゃないかと期待していたのですが
逆にドナは姑とのいざこざを楽しんでいました。
例えば、あるパーティーでヴィクトリア皇太后に
「どうしてわたくしが薦めたドレスを着ていないんですの?」とちくりと言ったり
娘のヴィクトリア・ルイーゼの名は(姑ではなく)祖母と曾祖母からとった名前だ、と
わざわざお知らせにあがったり、とか。
意地悪されたからってさらに弱い者をいじめるなんて、いかんじゃないか!
でも宮廷ではそうでもしないとストレスがすごいのかもしれないですよね。
そんなドナも、夫ヴィルヘルムが皇帝に即位して軍事に明け暮れるようになると
寂しくなってしまったのか皇太后と親しげにつき合うようになります。
仲良く馬車で出かけたり、ちょくちょく子供を連れて訪ねて行ったりね。
それでも(自由主義を吹き込まれると困るので)子供たちと皇太后だけにすることは
決してありませんでした。
皇帝になったヴィルヘルム2世は、それまでの慎重な外交を捨て
世界政策(強国政策)を打ち出していきました。
そんなつもりはなかったのかもしれないけれど、ことごとく英国に対抗するような政策は
次第に両国の関係を悪化させていきます。
また、ロシアとフランスを近づけ、敵に回すことにもなりました。
1914年のサラエヴォ事件を発端に勃発した第一次世界大戦に中央同盟国側で参戦しましたが
国内での反戦運動は革命になり、ついに1918年、ヴィルヘルムは退位し
オランダへ亡命しました。
退位と亡命にショックを受けて弱っていたドナに追い打ちをかけるように
1920年夏、皇子ヨアヒムが自殺します。
体調を崩したドナは1921年の春、オランダで亡くなりました。
ドナは亡骸となって、やっと、ドイツ(ヴァイマール)共和国から帰国を認められ
ポツダム宮殿近くの寺院に埋葬されました。
ちなみに夫ヴィルヘルムが再婚したヘルミーネも同じ寺院に埋葬されています。
ヴィルヘルムはドイツでの葬儀を禁止されたためオランダに埋葬されました。

“ The Empress ” という感じですね
(参考文献 阿部謹也氏『物語ドイツの歴史』 Wikipedia英語版)