まりっぺのお気楽読書

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ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世妃 アウグスタ

2009-11-14 01:43:30 | ドイツ系王妃
ビスマルクを敵にまわした皇后
ヴィルヘルム1世妃 アウグスタ・フォン・ザクセン=ヴァイマール


1811~1890/在位 1861~1888

ヴァイマール=アイゼナハ大公カール・フリードリヒと
ロシア皇帝パーヴェル1世の皇女マリア・パウローラを両親に持つ公女アウグスタは
画家から絵を習ったり、指揮者から音楽を学んだりと幅広い教育を与えられた少女でした。

15歳の時に従兄弟のヴィルヘルムと会っています。
その時ヴィルヘルムははとこのエリーゼと愛し合っていたので
縁談はでなかったのではないかと推測しますが
アウグスタはヴィルヘルムに想いを寄せたみたいなのね

        

ではなぜアウグスタにヴィルヘルムとの縁談が舞い込んだかと言うと
兄の王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム(後の4世)になかなか跡継ぎが生まれず
ヴィルヘルムに王座がまわってくる可能性がでてきたからです。

そうすると一介のポーランド貴族の娘エリーゼではプロイセン王妃には不十分という
父王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の考えでアウグスタに白羽の矢がたったわけです。

アウグスタは幸せ一杯で結婚を承諾したのですが
ヴィルヘルムはエリーゼに心残りがありました。
妹のロシア皇帝ニコライ1世妃アレクサンドラ に宛てた手紙には
“ エリーゼは心から愛せるただひとりの女性。
 アウグスタは可愛らしく聡明だが熱くなれない ” なんてぇことを書いています。

しかもエリーゼは他の男性と婚約した後亡くなっちゃうのよ。
男性にとっては一生の心の恋人ですよね?
こんな女性を抱えている男性はやっかいですよー

1829年、18歳のアウグスタは32歳のヴィルヘルムと結婚します。
ヴィルヘルムの愛妾や多大な圧力からか、やはりハッピーな結婚ではなかったようで
アウグスタは1840年頃から狂乱状態になることがありました。

アウグスタは政治への関心が高くて自由主義を好んでいました。
革命後のコブレンツ滞在中には進歩主義者や革新派と親交を深め
1861年にヴィルヘルムが即位すると多くの知人が入閣しました。

でもそれもビスマルクが表れるまで…
即位から数ヶ月後、ヴィルヘルムは自由主義中心の議会を解散し内閣を組閣します。
首相はオットー・ビスマルクで、王から政治的信頼を得ていた人物。
アウグスタはビスマルクを敵視するようになります。

案の定ビスマルクはアウグスタに批判的な意見を議会で述べるようになり
妻のヨハンナも皇后に対して無礼な態度をとったりします。
夫ヴィルヘルムまでが首相に同調したことでアウグスタの狂乱は重くなりました。

それでも、孫のヴィルヘルムは見込みあり!と思ったのか自ら教育しようとしました。
また戦争が嫌いで、ナイチンゲールの意見を取り入れて全国婦人連合を設立しました。
活動的な女性だったみたいですね。
政治には口を出さず慈善とか教育や芸術の振興など
王妃らしい活動に力を入れていたら、ビスマルクも黙っていたかもしれないですね。

1866年と1870年の戦争を経てヴィルヘルムはドイツ皇帝になり
アウグスタも皇后になりましたが、ビスマルクによって葬り去られていました。
そんな彼女がふたたび表舞台に姿を表したのは1888年、孫のヴィルヘルム2世即位後です。
夫ヴィルヘルム1世は1888年に80歳で亡くなり
息子フリードリヒ3世が即位したものの、99日後に癌で亡くなってしまったのです。
ヴィルヘルム2世は、「気が合わない!」ということでビスマルクを早々に追いやりました。

1890年、69歳で亡くなったアウグスタ。
愛する孫の戴冠も見られたし、27年におよんで自分を追いやっていた
ビスマルクもいなくなって、最後の最後は幸せだったんじゃないでしょうか?

ただアウグスタには幸せでも、それがドイツのために良かったのかどうかは… つづく

(参考文献 阿部謹也氏『物語ドイツの歴史』 Wikipdia英語版)

物語 ドイツの歴史 中央公論社


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2 コメント

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Unknown (ケイコ・オカモト)
2010-06-08 09:28:29
はじめてお便りします。いつも楽しく読ませていただいています。あらためて読んでみて思ったのですが、アウグスタの母はピョートル1世の皇女と書いてありますが、これはパーヴェル1世の間違いではないでしょうか?
返信する
ありがとうございます (まりっぺ)
2010-06-09 02:18:35
ケイコ様、こんばんわ

たしかに!
パヴロブナ…パーヴェル1世の間違いです。
さっそく訂正します。
ありがとうございます。
返信する

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