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まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『最後の瞬間のすごく大きな変化』豊かな表現力が生む混沌

2010-03-26 23:03:34 | アメリカの作家
ENORMOUS CHANGES AT THE LAST MINUTE 
1974年 グレイス・ペイリー

書きたいことをものすごく自由に表現している気がします。 素晴らしい!
だけどとても難解でございます

あの、今さらな気がしますが…上につけている ☆ は作品の善し悪しではなくて
私のまったく個人的な目安なんですよね。
で、☆ ひとつは「何度読んでも私には理解できんだろうから、もう読むまい」
というような意味です。
☆☆ 、☆☆☆ などの意味は追々…

何が好きかと言われてもよく分からないほどに
どの作品も暗中模索の中読み終えてしまった…という印象です。
うまくあらすじが書けるかどうか、まったく自信がありません
いつも簡単すぎて何が書いてあるか分んないじゃないか!ということはおいといて…

『道のり(Distance)』
息子のジョンが入り浸る2階下の女ジニーの部屋。
ジニーは亭主が他の女と駆け落ちしてからというもの、男と遊び歩いています。
ジョンに結婚を思いとどまらせたところまではよかったのですが
その後は郊外の妻子の家から通って来るようになりました。

『父親との会話(A Conversation with My Father)』
老いた父がモーパッサンやチェーホフが書いたような短篇をリクエストしました。
そこで向かいの家に住んでいる婦人をモデルにしました。
息子のためにジャンキーになって、まっとうになった息子に捨てられた母親…
しかし父はその話しが気に入らないみたいです。

『長距離ランナー(The Long-Distance Runner)』
フェイスは42歳、ダイエットのためにジョギングを始めました。
息子たちをおいて子供時代を過ごした家の近くを走っていたら黒人たちに取り巻かれ
会話を交わすうちに恐怖を感じて昔住んでいた家に逃げ込みます。
結局そこで3週間近く暮らすことになりました。

フェイスが主人公になっている作品はシリーズになっていて
本人がモデルになっているようです。

読んでいたら、まずはフラナリー・オコナーと同様の鋭さを感じました。
人の心を寄せつけない、突き放す、踏みにじる、という冷たさも漂っています。
でも、その後人と人の繋がりを求める欲求が感じられてきました。
ただしその繋がりは薄くて細いかんじ。

訳者村上春樹さんが “ 熱狂的な女性読者が多くいる作家 ” と書いておられますが
「泣けました」とかいう帯がついた本が好きな人には
たぶん向かないと思いますので、念のため…

私はもう1冊『人生のちょっとした煩い』も持ってるんですよね。
ハードカバーで2冊… なんで買ったんだろう?
村上春樹さんの訳だったからか、ホッパーの表紙につられたんだとしか思えません。

最後の瞬間のすごく大きな変化 文藝春秋


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こちら文庫版です
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『雨の朝 パリに死す』饗宴は終わったのに・・・

2010-03-01 02:12:10 | アメリカの作家
BABYLON REVISITED 
1930年 スコット・フィッツジェラルド

本当は『バビロン再訪』『バビロンへ帰る』などが正しい邦題ですよね?

本当に好きですね、この物語。
何度読んでも飽きるってことがありません。

『雨の朝 パリに死す(Babylon Revisited)/1930年』
死んだ妻ヘレンの姉夫妻にあずけている娘オノリアを取り戻そうと
プラハからやってきたチャーリーでしたが、姉のマリオンはいい顔をしません。
なぜなら、ヘレンが死んだのはチャーリーのせいだと思っているし
以前の放埒な生活が許せなかったから…
チューリーは立ち直ったところを見せようと必死です。

取り返しのつかないことをした人を、本当に信じることはできますか?
「信じて下さい」と言われてもなかなかねぇ…
心が狭いと思われるかもしれないけど、やっぱり100%は信じられない、私は。
マリオンはちょっと頑ね、と読んでいる時は思いましたが、気持ちは分ります。

『冬の夢(Winter Dreams)/1922年』
故郷で成功をおさめた若きデクスターは、少年時代に出会ったジュディに再会します。
相変わらず高飛車で気まぐれでした、でも、とても美しくなっていました。
彼は、ないがしろにされたり傷つけられても彼女からは離れることができません。
やっと我を悟ったデクスターはジュディではない女性と婚約しました。
しかしその婚約も破棄することになってしまいます。

『初恋』みたいな感じでしょうか?
どうにもならない恋心を抱いてしまった男性のノスタルジア。
しかしそんな熱く美しい想い出に哀しい現実が…

『金持ちの青年(The Rich Boy)/1925年』
優雅で紳士的な顔と、自堕落で冷徹な顔を持つアンソンは裕福な青年でした。
彼は少し真面目で堅苦しいポーラと恋に落ちましたが別れました。
傷心のアンソンは、ポーラと反対のタイプのドリーと付き合い
彼女を冷たく突き放しました。
友人たちは結婚していく中、彼はひとりで年をとっていきます。

年をとるにつれ、はらはらとはがれ落ちるように離れていく友人や遊び仲間たち…
子供部屋のために郊外へ引っ越したり、仕事が忙しすぎて消耗したり
肝臓をこわしたり…たしかに中々会えなくなった人が多くなってきましたね。

この短篇集に収められている作品には、登場しない友人の名が頻繁に出てきます。
「◯◯と最近会ったかい?」「◯◯は今どこにいるの?」などなど…
遊び仲間は、若い頃は多ければ多いほど楽しいものです。
愉快な時を一緒に過ごした人々の近況がだんだん耳に入らなくなってくると
めっきり老けこんだ気になりますよね。

バビロン再訪 集英社


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こちらも持ってまして・・・
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『最終目的地』それぞれの楽園を求めて

2010-02-25 23:20:52 | アメリカの作家
THE CITY OF YOUR FINAL DESTINATION 
2002年 ピーター・キャメロン

未知の人物が突然現れたことで、それまで平穏に暮らしていた人々の本心が表れて
人生が変わる…というのは、すごくありがちな物語です。

『最終目的地』はそんな小説です。そしてものすごく面白い!!

あらすじは書きませんけど登場人物を書いときますね。
それで彼らの人生がどう変わったか想像してみて

ユルス・グントは3年前にピストル自殺した作家です。
出版した本は20年前に書いた『ゴンドラ』1冊だけでした。

アーデン・ラングトンは、ユルス・グントの愛人だった人です。
穏やかで謙虚で母性に溢れ、家事や農園の世話をしています。

キャロライン・グントはユルスの妻、辛辣でマイペースな女性です。
画家をあきらめ、部屋にこもって模写ばかりしています。

ポーシャはユルスとアーデンの8歳になる娘で
修道院付属の学校に通っていてお祈りと聖人が大好きです。

三人はウルグアイの人里離れたオチョス・リオスで暮らしています。
そこは、ナチスを逃れたユルスの両親たちが手に入れた土地でした。

近所の製粉所にはユルスの兄アダムが暮らしています。
ダンディでお洒落で、人を傷つけることしか言わないインテリ老人です。

アダムと一緒に暮らしているのは恋人のピートで
バンコク生まれの美しい青年です。

ユルスの遺言執行人である、アダム、キャロライン、アーデンに
彼の伝記が書きたいと手紙をよこしたのがオマー・ラザキという大学の研究生。
優しげで誠実そうな、少し気の弱い青年です。

伝記の執筆に承認を与えなかったキャロラインとアーデンでしたが
奨学金のために、どうしても伝記を書かなければならなかった彼は
恋人の叱責を受けてはるばるカンザスからやってきました。

もう オマーの登場で何かが変わりそうでしょ?
それは女三人が暮らす家の方? 男ふたりが暮らす製粉所かしら?

ある日ピートの手伝いをしていたオマーは蜂に刺されてアレルギーを発症し
意識不明に陥りました。

やって来たのはオマーの恋人ディアドラ・マッカーサー。
彼女は実際的で有能な教師で、オマーに厳しい言葉と指示ばかり与えています。
でもオマーを本気で愛しているんです。

この人の登場も捨て置けないですよねっ。

とにかく、ディアドラ以外は行動しない人ばかりの物語で
南国の気だるさの中、ゆるゆる~と日々が過ぎて行ってます。

アクティブなディアドラは嫌われ者に思えるかも…
でも彼女が一番の功労者かもしれません。

停滞していたウルグアイの人々には、確実に変化がおこります。
語られなかった秘密が打ち明けられて、見せていなかった感情を露にして
皆の中に小さな波風が立ち始めます。
誰がどうしてどうなるの? そして伝記は?

ウルグアイという国の希薄なイメージからくる神秘性に加えて
イヤみの無い文章、イヤみだらけの巧みなセリフが心地よく
最後までダレること無しに読めた気がします。
あらすじは… 途中でほんとに想像ついちゃいますから

最終目的地  新潮社


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『アップダイク自選短編集』離婚について考えてみた

2010-01-18 01:00:47 | アメリカの作家
SELF-SELECTED STORIES OF JOHN UPDIKE 
1959年~ ジョン・アップダイク

作者自身が日本向けに14篇を選んだという短篇集だけあって
日本を舞台にした物語も収められています。

日本向けの一篇は『本州のキリスト(Jesus on Honshu)』という物語で
キリストは実はエルサレムで亡くなってはいなくて、日本の本州まで逃げのび
富山県、続いて青森県で106歳まで生きたと言うおはなし…
真偽のほどはともかく、なんだかわくわくするエピソードですよね。

さて、年代順に収められているというこの1冊、
最初の方の信仰や死をテーマにした物語は話しがややこしくなりそうなので
後半の離婚をテーマにしたものをいくつかご紹介します。

『孤児になったプール(The Orphaned Swimming Pool)』
ターナー夫妻が離婚することが決まった夏、留守になって打ち捨てられた庭のプールに
近所の人たちが集まり始め、いつしか町の社交場になってしまいました。
ある日夫が離婚の原因となった女性と帰ってきたのですが…

勝手に入り込むあたり、アメリカらしいオープンさが…違うでしょ!
いくら留守とはいえ人の庭、日本なら大事だと思うんですけどね。
家主がいなくなった家が急激に寂しさを醸し出すあたりが絶妙です。

『ネヴァダ(Nevada)』
妻のセアラが離婚を待ちかねたように新しい恋人とハネムーンに行くというので
カルプはふたりの娘を引き取りに行きましたが、すでに妻は出発した後でした。
道中、妹のポリーはスロットに夢中で姉のローラは母の悪口三昧、
カルプはカジノにいた両替係の女性の熱い視線に応えようと考えます。

こんなに自分の気持ちに正直な両親に育てられた娘たちの行く末が心配です。
目の前でけんかばかりされるよりはいいのかしら?

『アメリカの家庭生活(Domestic Life in America)』
いつものように別れた妻のジーンと子供たちのもとを訪問したフレイザーは
その後恋人のグレタの家を訪れました。
しかしグレタは別れた夫への怒りを口にし、子供たちはなついてくれません。
翌日フレイザーは再びジーンたちを訪ねて行きます。

別れた後も前の伴侶と定期的に会わなきゃいけないなんて、変なお約束。
たった二日間のお話なんだけど、どうみたって再婚がうまくいくとは思えませんがね。

以上、離婚調停中、離婚直後、離婚からしばらくたって…の物語でございました。

現在の離婚は、手続きや世間の風潮からみれば簡単になったかもしれないけど
昔よりめんどくさくなっているのかもしれない… カードとかパスワードの変更とか。
子供がいたら離婚後の取り決めなんかもすごそうよね!
考えただけで疲れてしまいますわ。

そんなこんなを考えた上で「別れたい!」と奥さんが言い出したら
もう取り返しがつかないと覚悟した方がいいかもよ

この作者は、なんというか、どうしたら読者が喜んで、ちょっとハッとして、
物議は醸さない… そういうことがちゃんと分かっていて書いている感じがします。
ひとつひとつの短篇の中でも硬軟のエピソードを取り混ぜていますし
知的欲求を満たしてくれる上にホッと息を抜く場も用意している、そのバランスが絶妙。

どう言ったらいいか迷いますが “ 職業意識が高い作家 ” とでも言いましょうか?
さすがピュリッツァ賞受賞の腕前。
でも…口あたりが良い文章だけに口どけも早いっていうか…
分かっていただけます? この感じ

アップダイク自選短編集 
新潮社


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『ブレイスブリッジ邸』挿絵があって良かった

2009-12-17 01:26:11 | アメリカの作家
BRACEBRIDGE HALL 
1822年 ワシントン・アーヴィング

そうですねぇ… 完全に今を忘れて
タイムマシンにでも乗った気分で楽しむしかないですね。

語り手がアーヴィング自身だとしたら、アメリカから英国へやって来て
「古きことは良きことかな」なんて思いながら過ごした日々を綴った1冊です。
ブレイスブリッジ邸にはモデルもあったみたいです。

語り手は、ブレイスブリッジ邸で行われる結婚式に客人として呼ばれました。

邸には昔気質の主や、皆に頼りにされるまめまめしい老人をはじめ
古い時代から続く折り目正しい使用人たち、偏屈な家畜番など
ひとりひとりに物語が作れそうなメンバーが揃っています。

さらに、客として大金持ちの心優しい未亡人と堅苦しい侍女のペアだとか
保守主義の将軍である老ダンディもお出でになります。

そしてそして、近隣に名の聞こえた農場主とその息子や
長い放浪から帰って来たけれど放浪癖が抜けない校長先生だとか
村に居座ってなにかと悪事を働くジプシーの一団なども色を添えます。

各章短くて読みやすく、小気味よくはあったのですけれど…
エピソード、舞台、登場人物のキャラクター、どれをとりましても
中途半端に古めかしい気がするんですよねぇ

2世紀も前の話しだからしかたないじゃん! と言えばそうなんですが
小説には時代のギャップを感じさせないものも多いでしょう?
いつの世も人間性は不変だ、と感じさせてくれる物語。

あるいは歴史ロマン。
壮大できらびやかな舞台、独特な雰囲気、伝説的な逸話、
そんなものを醸し出してくれる物語。

そのどちらでもないわけなんですよ。

今『カンタベリー物語』を読んでいるわけなんだが
7世紀も前の物語なのに、時の隔たりはあまり気になりませんがね…

面白くない、というのではありません。
使用人の心意気とかミヤマガラスの生態について書かれたところなんか
とてもロジックで、かつコミカルで良かったです。
でも、物語として心に残ったかというとそうでもない…という感じ。

物語じゃないのかしら? エッセイなのかしら?

どちらか分からんが、昔好きの私にしては入り込めない1冊でありました。
かなりたくさん挿入されている、古典的な挿絵に救われたような気がします。
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『ホーソーン短篇小説集』心清き人のブラックサイド

2009-11-15 13:01:07 | アメリカの作家

ナサニエル・ホーソーン

天才と言われるホーソーンなんだが…
ユーモラスに書かれているにもかかわらず、徹頭徹尾堅苦しいのよね
特に前半のピューリタニズムをベースにした物語の数々は
信仰の強固さと物語の暗さが渾然一体となっていて、気が沈みます。

後半のファンタジーっぽい寓話も、なんだかぐったりする… 訳のせいなのかしら?
それでも前半よりは読みやすかったので、後半から3篇ほどご紹介します。

『デーヴィッド・スワン(David Swan)/1837年』
学業を終えて伯父の雑貨屋で働くためにボストンへ向かう若者デーヴィッドは
木陰の泉の側で馬車を待つうちに眠り込んでしまいます。
彼を見つけた裕福な夫婦、美しい乙女、悪党たちのことなど気づきもせずに…

自分を中心に展開している物語など知ることも無く無邪気に眠る青年を
ラッキーととるかアンラッキーととるかは読む人次第です。
木陰の泉のきらめきが目蓋に浮かぶ美しいお話だと思います。

『雪少女(The Snow-Image)/1850年』
小さな姉弟が雪で妹を作る様子を、窓辺から微笑ましく眺めていた母親は
いつしか見知らぬ少女が子供たちと遊んでいることに気がつきました。
現実家の父親は帰宅すると、子供たちが止めるのも聞かず
寒そうな少女を居間の暖炉で暖めてあげようと連れて来てしまいます。

子供の素直な心と、大人たちの頑な現実主義を対比させた物語です。
そうさなぁ… やっぱり暖めようとしちゃうかもしれませんね。
韮沢教授が古い外国人の写真を「宇宙人だ」って言うじゃない?
信じられない私はやはり現実派なんだろうか?

『大いなる岩の顔(The Great Stone Face)/1852年』
アーネストは少年の時から渓谷に浮かぶ岩の顔を見上げて育ち
いつか同じ顔を持つ偉大な人物がやって来ると信じていました。
何人かが岩の顔の男として凱旋しましたが誰もそうではありませんでした。
待ちわびるうちにアーネストは老人になっていきます。

信じることの美しさと強さが溢れ出ている素敵な物語です。
偉大な人は自ら喧伝しなくても、名を成していくということでしょうか。
確かに、そういう方にリーダーになっていただきたい!
アメリカに大統領の顔の岩がありますけど、あれがモデルなのかしら?

14篇収められていますが、前半の調子で続いていたら
途中で投げ出していたかもしれません。
宗教ベースとはいえ、あまり救いとか慈愛が感じられないんですもの。

前半の短篇は、人々の暗い側面をぎゅっと凝縮して物語を作り上げている感じ。
上手く言えないのですが、小さな望みもささやかな幸せも垣間見えない気がします。
でも厳格清廉なピューリタン的観点から見ればどうなのか? 私には分かりません。

当時の言い伝えや事件なども多く取り入れているようで
ピューリタンの研究とか時代考証として読むにはいいかもしれません。
現代人には受け入れにくい作風なのでは?と察しますが、どうなんでしょ?
アメリカではまだたくさん読まれているのでしょうか?
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『ティファニーで朝食を』素敵なお洋服もいいけれど…

2009-10-17 00:13:39 | アメリカの作家
BREAKFAST AT TIFFANY'S 
1958年 トルーマン・カポーティ

映画では、おっしゃれ~! な部分だけが一人歩きをしているようですが
決してそんなにスタイリッシュな物語じゃありません。
お衣装はたしかに素敵な気もしますが、それはおいといて…
考え無しな女のだらしない毎日を描いた、お子さんにはお薦めできない内容よ。

でも、なぜか優雅で美しいのです。
男に肩をかまれて逃げ込んで来るホリーも
下着姿同然で散らかった床からストッキングを拾うホリーも
14歳で40代の男やもめの後妻になった過去も
何も彼女を汚すことはできない感じは、まさにHolyです。
本当はHollyですけどね。

ホリーはとんでもない女です… でも自由な女です… でもああはなりたくない…
でもちょっとうらやましい… ただの遊び人で怠け者でしょ?… でも根は優しいの。

古今東西、手に負えないヒロインが出てくる物語は多いけれど
読者にほとんど不快感を与えないというのは…カポーティーは素晴らしい。

メンタルな問題だとか過去のトラウマなんてことを言い出すと
とってもめんどくさくなるからやめましょう。
彼女の幸運を祈りつつ、文章を楽しみましょうね。

この本には他に3篇の短篇が収められています。

『わが家は花ざかり』は、ハイチの娼館で売れっ子だった17歳のオティリーが
里山のロイヤルにひと目惚れして出て行ってしまうお話です。
そこには意地の悪い老婆がいて彼女をいびるのよ さてさて…

『ダイヤのギター』は、刑務所の古株で信頼厚い囚人シェファーさんが
新入りの若者ティコ・フェイと仲良くなって脱走をそそのかされる物語。
シェファーさんは乗り気じゃないんだけど、ティコはとてもしつこいんです。

『クリスマスの思い出』は短篇集『夜の樹』に収められていた『感謝祭のお客』と
登場人物が同じだと思われます。
もう… 泣けてきた こんなクリスマス、経験したかった。
カポーティ自身の思い出でしょうか? そうでしょうね?

前にも思ったのですが、カポーティは書く物語の内容によって
憑依されてているんじゃないかと思うほどに表情が違う気がします。
でもやはり彼独特のファンタジーが含まれているんですよねぇ。
暖かいか冷たいかは別にして。

ティファニーで朝食を 新潮社


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余談です
『Moon River』をカラオケで歌うのが好きなんです。
でも聞いてる人は『My Way』と同じぐらいウンザリしちゃうんだって。
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『夜はやさし』作者のことを知りすぎて・・・

2009-09-27 23:30:50 | アメリカの作家
TENDER IS THE NIGHT 
1935年 スコット・フィッツジェラルド

私は作家の生い立ちや境遇にはあまり興味がない読者ですが
それでもフィッツジェラルド&ゼルダについては知っていますね。

最大の理由は村上春樹氏のエッセイに凝ったことでしょうか。
それにフィッツジェラルドの小説の解説には必ずといっていいほど
二人の享楽的で奔放な生活ぶりと、後年の不遇なフィッツジェラルドについて
書かれていますからね。

『夜はやさし』はそんな私生活を反映した、なかば自叙伝的小説だそうですが
フィッツジェラルドはこの物語を書いたことで、少しは肩の荷がおりたのかしら?
それともさらに哀しみを抱え込んでしまったのでしょうか?

物語は、有望な医学博士としてスイスにやってきたディック・ダイヴァーが
友人フランツの患者であった富豪の娘ニコルと恋に落ちて
結婚してから別れるまでの13年間を書き記したものです。

その間にはニコルの金にものを言わせたリヴィエラの家、パリでのばか騒ぎ、
パーティー、ドレス、買い物といった贅沢で豪奢な暮らしがあり
若い女優との恋愛沙汰があり、という華やかな日々がありました。
ディックはそんな暮らしを謳歌しているのかと思ったら…

どうやらディックは人生を無駄にしたという焦りを感じていた様子。
専門書を数冊出版したり、フランツと共同で立派な精神病院を設立したものの
常に発狂の危険をはらむニコルの側で、自分を消耗してしまったと思っていたようです。

本は思うように書けない、老けていく、ニコルの状況は良くない…
そんなことから酒が増えていき、とうとう病院経営からも手を引きます。

もとの怠惰な生活で顔をつき合わせていくうちに夫婦間の亀裂は大きくなって…

ヘミングウェイが『移動祝祭日』 の中で “ フィッツジェラルドは傑作を書けるのに
ゼルダのせいで書けない ” 的なことを書いていたような気がします。
彼女のことを “ スコットの前に横たわるハンデ ” とまで言っていますが
フィッツジェラルド自身もそう思うようになっていたのかしら?

物語ではディックとニコルはあっさり別れてしまいますが
フィッツジェラルドとゼルダは別れることなく、各々不幸な最後を迎えています。
クライマックスの別離はフィッツジェラルドの願望だったのでしょうか?
だとしたら、この物語を読んだ時のゼルダの気持ちはどうたったでしょう?

本当に自伝的小説だったとしたら、フィッツジェラルドは自分の思いを
外の世界に向けて吐露できたことになるけど、ゼルダの方はそうじゃないわけでしょ?
ゼルダの抱えていた問題だって、かなり彼女を圧し潰していたのではないかと
と思うんですけどね、気楽でわがままそうに見えるけど。

純粋にフィクションだと思って読んだ方が面白かったのかもしれません。
でも、どうしても重ね合わせてしまってねぇ…

夜はやさし ホーム社


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こちらですと1冊で。
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『キリマンジャロの雪 他12編』100% 男

2009-09-11 02:35:21 | アメリカの作家

アーネスト・ヘミングウェイ

100%は言い過ぎなんですけど、でも男臭い1冊でした。
コスモポリタンなヘミングウェイの本領を発揮した作品だと思いますが
体験談がベースになっている(らしい)ので、どうしても男性目線になるのでしょうね?
同じように世界各地を舞台にした作品でも、人間の内面に特化したモームなどとは
またひと味違った趣きが感じられます。

『白い象のような丘/1927年』
酒を飲みながらマドリッド行きの急行を待つ男女。
男は手術を前にした女を落ち着かせようとしますが女は懐疑的です。

これはね、ふたりが何についてしゃべってるのか理解不能なんです。
それでも一篇の物語に仕上がっているのがすごい!
好きか?と聞かれたらNoですけどね。

『清潔で明るいところ/1933年』
真夜中のカフェに残ったのは常連の老人ひとりでした。
ブランデーのおかわりをする老人に、若いウェイターは閉店を告げました。
年長のウェイターはカフェと居酒屋の違いを考えながら眠りにつきます。

夜中の2時半ですから…若いウェイターの気持ちは分かる。
お金持ちの、老人が、夜中に、独りで、カフェに、来る、という孤独さが身にしみます。
そして、その姿に自分の未来を見ている老ウェイターの哀愁が、けっこうきます。

『キリマンジャロの雪(1936年』
小さな傷から壊疽になった男が女とアフリカの大地に取り残されます。
死を意識している男は、女に冷たい言葉を浴びせながら女の金で暮らした日々や
書けなかった小説について思いを馳せます。
いよいよ死が近づいた彼は同僚のヘリに乗りキリマンジャロの山頂を越えた、のですが…

主人公の男性は余程後悔の多い人生だったのか、見苦しい最期を過ごしています。
死を前にした時にとる行動…できたら穏やかでありたいですね。

13篇から気になった3篇ををピックアップしてみました。

解り易いボキャブラリーと簡潔な文章で書かれていますが、なぜか迫力があります。
書きなぐる! という形容がぴったりです。
もちろん考え抜かれた上での表現でしょうから立派な文章なのですが
立派な装丁の本よりはボロボロのノートが似合いそう。

同じように読まず嫌いで回避してきたスタインベックにははまってしまいましたが
ヘミングウェイはどうだろう?
長篇を1冊読んでから考えてみます。

キリマンジャロの雪 角川書店


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『大使たち』自己分析もほどほどに・・・

2009-08-23 01:37:06 | アメリカの作家
THE AMBASSADORS 
1903年 ヘンリー・ジェイムズ

ストーリーだけを見ると結構面白いので書いてみますね。

ニューサム夫人から息子をアメリカへ連れ帰るようにと依頼されたストレザーは
気難しい友人ウェイマーシとパリへやって来ます。

ニューサム夫人はウレットを代表する上流婦人、大企業創業者の未亡人で
ストレザーは彼女の恩恵を受けて編集長として雑誌を発行しています。
首尾よく息子を連れて帰れば夫人と結婚することになっています。

いよいよ悪名高かった息子チャドウィックに再会した時
ストレザーは彼のあまりの変わりように衝撃を受けました。
洗練され、趣味が良く、非の打ち所がない好男子になっていたからです、

ストレザーはチャドをこんなにも変えた女性の存在を知ります。
ヴィオネ伯爵夫人…ストレザーは彼女に会ううちに
“ チャドは彼女を置いてアメリカへ帰るべきではない ” と思うようになります。

しかしアメリカに帰ればこれから築く莫大な富と尊敬が手に入ると知ったチャドは
帰ってもいいようなことを言っています。

一方、ウェイマーシによって行状を報告されていたらしいストレザーは
とうとう見限られ、チャドの姉ポコック夫人がパリに乗り込んできます。

さあ、チャドはどうするんでしょうね?

とにかくストレザーと言う人は、自分でも言うように生真面目で、理詰めで
自分を分析し自分の言葉を分析し、さらに他人を分析し他人の言葉を分析し
自分と他人を非難し、自分を反省し、他人を賞賛し… そんなことに明け暮れて
しかもいちいち理屈がつくもんだから、話しが進まないったらない

彼がなんだかんだと考えながら会話する場面は、思慮深いという範疇を越えて
ただの会話ナルシストに思えてきます。

他の登場人物もインテリジェ~ンスでソフィスティケ~トな感じでの言葉を発し
やけに傍点多し、そして先回り発言多し。
その上「今は言えない」ことや「ご自分でご覧になった方がいい」ことが目白押し。

チャドがどうするか、ニューサム夫人に見放されたストレザーがどうなるのか
やけに知りたくて我慢して読みましたが、中盤以降は早く終わらないかしら?
と考えながらページを繰っていました。

さてストレザーですが、作中登場する女性陣に「好きにならずにいられない」とか
「鋭い目を持っている」とか「考えがご立派だ」などと褒め上げられていたけれど
想像を逞しくしすぎて、はたまた手を広げすぎて収拾がつかなくなったように思え…
彼が悩みに悩んでいる間に、まわりはどんどん先に進んでいたみたい。
ただのお人好しなんじゃないですかね?

長々とくねくねと書かれていた割には「あ、やっぱりそう?」という結末でした。

内容はさておき、進行している物語に隠された側面や裏腹を読み取る努力を
必要以上に要求された気がします。
頭の良い方には面白いのではないでしょうか?
私はもう、いっぱいいっぱいです

大使たち〈上〉岩波書店


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上巻でございます。興味があったら…
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『二十日鼠と人間』季節労働者の静かな叫び

2009-08-12 00:49:28 | アメリカの作家
OF MICE AND MEN 
1937年 ジョン・スタインベック

イギリスのホップ摘み、アメリカの綿花摘みなど、数十年前の季節労働者は
映像や文章から過酷な暮らしを強いられていたことが想像できます。

この物語も、ベースにはそういった労働者の生活基盤の不安定さがあるのですが
流れ流れて働く人々の人間関係の厳しさがふんだんに描かれていると思います。

主人公はジョージとレニーという季節労働者です。
作品中にも「男ふたりで旅を続ける奴らはいない」という言葉が度々出てきますが
ほとんどの労働者はひとりでやって来ては去って行く中
ふたりはずっと一緒に旅を続けてきました。

レニーは少しうすのろでジョージなしではやっていけないんです。
ジョージはレニーに面倒をかけられながらも彼と離れられずにいます。
物語はこのふたりの関係と、レニーの純真さが招く悲劇を中心に展開して
空虚な哀しみ漂うラストを迎えます。

序盤からラストに向けて、伏線がどんどん効いてきます。
ジョージが繰り返し語る小さな農場の夢、レニーが前の農場でおこしたトラブル
しつこいほどにレニーの口から発せられる「ウサギ
淫乱な農場主の息子の嫁 …
もうこうなるしかありえないというクライマックスです。

登場人物の言葉の端々から当時の労働者の生活が浮かんでくるのですが
彼らは1週間の賃金50ドルを土曜日の夜にもらうと町で酒を飲んで売春宿に行き
また月曜日から働いて土曜日に50ドルを…という毎日を繰り返します。
農場が嫌になればふらっと出ていき次の農場へ、作物が無くなれば追い出されます。

誰もが自分の土地と家庭を持つことを夢見ていますが
ほとんどの人が夢破れてからだが動く限り農場から農場への日々を続けます。
労働者は皆孤独で、同じ部屋で寝泊まりしていながら友情を育てることができません。

年をとったら?
慈悲深い雇い主にできるだけおいてもらい、後は救貧院へ行くだけです。
若いうちは広大なアメリカ大陸を歩き回る生活もフリーダム!ってな感じですが
何も保障が無い老後を迎えるのは悲惨極まりないですよね。

本当に世界は豊かに、働く者に優しくなったものです。
でも日本はゆるゆると後退していっている気がする …

スタインベックは過酷さそのものをこまごま描写することはなくて
労働者の口から遠回しに語らせることで当時の厳しい境遇を描き出しています。
彼らの台詞を追ううちに、グイグイ引き込まれていきました。
いくら正確でもレポートみたいな文章を読んだってつまらないじゃない?
こういうのがプロの作家のなせる技なんですね。

ハツカネズミと人間 新潮社


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こちらが今の表紙かしら? 私のは映画の一場面なんです。
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『緋文字』背徳の代償の行方は…

2009-06-28 02:20:23 | アメリカの作家
THE SCARLET LETTER 
1850年 ナサニエル・ホーソーン

たとえば道ならぬ恋や一時の激情で、心ならずも新たな命を授かった場合ですが
女性だけじゃなくて男性にもなんらかの兆候が現れればいいのに…と思いません?
できたら「◯ヶ月だ」と分かるのがいいですね。お尻が膨れるとか耳が大きくなるとか。
女性は否応無しに体型が変化してしまうのですからね。

この物語は、私生児を生んでしまった女性ヘスタ・プリンが処刑台の上で
さらし者にされた挙げ句、一生胸に “ A ” の緋文字を縫い付けて
生きなければならないという罰を背負うことから始まります。

ヘスタは相手の名を明かそうとしないのですが、死んだと思われていた夫が現れて
相手の男を捜し出し追いつめて行くと宣言します。
夫が目を付けたのは将来を嘱望された若い牧師ディムズデイルでした。
彼は素性を隠しチリングワスという名の医者になってディムズデイルに近づきます。

物語はこの後7年の時を語っています。
父親はディムズデイル牧師に間違いなく、彼は日増しに精彩を失っていきます。
一方ヘスタは分をわきまえた行いと慈善で一目置かれるようになります。
死にそうなディムズデイルを助けようと考えたヘスタはチリングワスの正体を明かし
ヨーロッパへ渡って新たなスタートを親子3人で迎えようとするのですが…

牧師を目指すだけあって高潔なディムズデイルはそれなりに悩んだのでしょうが
後ろ指を指されながら子供を育てることに比べたら屁でもないと思うわ。

ヘスタはよく耐え相手を許していますが、果たしてこれでいいのでしょうか?
男の人にはとても好都合ですけど、生んで育てていく女性の人生はどうなるの?
とれるものなら責任はとってもらいたいじゃない?

ディムズデイルは、それでもまだ良心的だと思います。
良心の呵責ってやつでやつれていくわけですけど、あまりにもミエミエな弱りっぷりなので
目ざとい主婦なら気がつくはず。
なぜ誰も気がつかない?

舞台はボストンなのですが、そういえばアメリカには大量のピューリタンが
移民としてやって来たのでしたね? ボストンはピューリタンが多かったようです。
ヘスタの罪も本来なら死刑になるらしいですよ。
宗派によって差異があるのでしょうが、キリスト教ってけっこう狭量なのね

一生恥辱の刻印を胸に掲げて生きるという罰は、現代なら全然堪えないと思いますが
逆に罪を犯すとメディアで大々的に顔がでてしまいますものね。
日本のみならず海外にだって配信されてしまうわけで、小さな村で制裁を受けるのとは
スケールが違います。 心して行動したいものですね。

緋文字 新潮社


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『夏服を着た女たち』哀しい気分のジョーク

2009-06-14 08:18:10 | アメリカの作家
THE GIRLS IN THEIR SUMMER DRESSES 
アーウィン・ショー

アメリカのドラマとか映画を観ているとさぁ、緊迫した場面とか
あきらかに気落ちすべきところでジョークっぽいことを言ったりしますよね。
時には効果的ですがあまり都度重なると「ふざけすぎっ!」とイラつきません?

この短篇集はそんな脱力感に包まれる軽いジョークがちりばめられております。
でもわりと面白いし勉強になりますよ。
全てのジョークが笑いをとるために言うものではないのですね。

『80メートル独走(Eighty Yard Run)』
ダーリングは大学時代に80ヤード走をきめたグラウンドを15年ぶりに訪れました。
あのころの彼は人気者で、卒業すると美しくてダーリング一筋のルイズと結婚し
彼女の父親の会社に入って、若く裕福な夫婦を体現していました。
けれど今ダーリングは地方をまわる背広のセールスマンです。

奥さんのルイズはダーリングが酒浸りのうちに就職して出世してるんですよね。
この物語を読むと、窮地に陥った時には女性の方が強いのかなぁって思うわ。
奥さんの方が高給取りで顔が広いって男性的にはどうなのでしょう?
気にする? 気にしない? 旦那さんの性格によるんでしょうかね?

『夏服を着た女たち(The Girls in Their Summer Dresses)/1939年』
マイクルは気持ちのいい日曜の朝、散歩中に妻フランセスから
「他の女ばかり見ている」と責められました。
最初ははぐらかしていたのですが、フランセスがあまりにもしつこいので
マイクルも次第に男の本音を言い始めます。

うちの旦那さんもけっこうガン見っていうの? 他人のことを見つめんのよね。
別に綺麗な女の人を見るのはいいんだけど、ガッついてるようで恥ずかしいのよね。
過去のことをほじくり返して泣くというのは女性によくあるパターンなんですが
将来のことで泣かれちゃっても男の人は困っちゃうでしょう?

『カンザス・シティに帰る(Return to Kansas City)』
ボクサーのエディスがスパーリングで疲れて昼寝をしていると
妻のアーリンが入って来てわざとらしく泣き出しました。
カンザス・シティのママに会いたいというのですが、結婚してから1年半で
5回も帰っています。 エディスは我慢するように言うのですが…

こういう技を持っていればよかったなぁ… 聞いてもらえるまで引かないというのが
コツでしょうか? 嘘泣きの精度も磨かなくてはね。
泣いてワガママが通るのって結婚何年目ぐらいまででしょうね?
やろうと思ってできることじゃないんだけど、こういうの上手な人っていますよね。

登場人物のほとんどが美しい女性とハンサムな男性ということで
現実味の薄さは否めませんが、意外と胸にきます。
こんなことが別れに繋がっていくのかしら…(ため息)なんてな。

ジョークで気持ちを隠してなるべく深刻さから目を反らそうというやり方は
素敵かもしれないけど、日本人には似合わないスタイルじゃないかしら?
いくらハンサムさんだとしても、根本的に気質が違うような気がします。
どちらがいいかということではなくて…

夏服を着た女たち 講談社


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『フラナリー・オコナー全短篇』弱き者は沈黙する

2009-06-09 00:33:58 | アメリカの作家
27 SHORT STORIES BY FLANNERY O'CONNOR 
メアリー・フラナリー・オコナー

ものすごく勇気があると思うわ、彼女。
“ 勧善懲悪 ” だとか “ 弱きを助け…” という概念をまったく排除した冷静(冷徹?)な
視点で書かれた物語が27篇…偽善者のみならず常識家や知的層、弱者にも
情け容赦がありません。
気持ちのよい物語ではないけれど、読まずにいるにはもったいなさすぎます。

21歳のデビュー作から収載されていますが “ 地に足がついている ” っていうのかしら?
うわついたところがひとつとして見当たりません。
ひとつひとつが捨て置けない物語ではあるのですが
私なりにオコナーらしいと感じた作品をいくつかあげてみます。

『ゼラニウム(The Geranium)/1946年』
娘に引き取られてニューヨークのアパートで暮らす老ダッドリーは
毎日向かいの窓の貧相なゼラニウムを見て南部の農場を懐かんでいます。
ある日隣の部屋に黒人が引っ越して来たと知って愕然とします。
しかもなれなれしく肩まで叩かれて…

フィリップの『チエンヌ』でも書いたんですが “ 引き取って面倒見る=幸せ ” なのか
考えさせられる作品です。
この老人には人種に対する思い込みも(差別ではなく)あるので一層面倒です。

『すべて上昇するものは一点に集まる
  (Everything That Rises Must Converge)/1963年』
いつまでも奴隷制度を正しいとする母をつれてバスに乗り込んだジュリアン。
母は隣に座った黒人の子供に1セントの “ほどこし” をあげようとして
子供の母親に殴られてしまいます。
いい教訓になっただろうと近づいたジュリアンでしたが母の様子が変です。

ジュリアンのお母様はけっして悪人ではない普通の人なのですが
環境がゆるぎない信念を作り上げてしまったんでしょうね。
人種による座席の仕切りが取り払われたばかりの頃の物語だそうです。
ほんの50年前なんですけどね。

『長引く悪寒(The Enduring Chill)/1958年』
作家志望のアズベリーはもう先が長くないと思い
ニューヨークを引き払って母と姉が住む南部の農場へ帰って来ました。
誰も彼もが自分の話し相手にはふさわしくないと失望するにつれ病は重くなります。
ある日医者がやって来て「ただの感染症だ」と笑って言いました。

これは唯一(意地悪な)ユーモアが感じられた作品ですね。
端から見ていて「偉そうに言う前にやってみな!」と思ってしまう人はよくいますが
身内にいたらうざったいわね。

全体的に、完全に人を突き放した物語に仕上がっています。
かえって本質的な愛を感じるという人もいるようですが、私はそうは思いません。
絶対にあたたかい物語じゃないし、希望が持てる話しじゃないし…逆に落ち込みそう。
でも、人間て多かれ少なかれこんな部分があるんだと納得できるし
こういう世の中に生きていると肝に銘じておくためにも読んだ方がいい1冊です。

私はこんなじゃない! と思う人がいたら、偽善者、よほどのお人好し、天使のような人
のどれかだと思いますけどね。

              
                 こちら新潮社文庫です
                ちくま文庫よりすこ~しだけ優しげな訳になってます


オコナーは38歳という若さで難病のために亡くなっているんですが
長生きしてたらどんな作品を書いてたでしょう?
丸くなったかしら? それとも新たな問題を鋭く描き出したかしら?
読んでみたかったですね。

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉筑摩書房


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まずは上巻を…かならずや下巻が欲しくなると思いますよ
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『ソフィーの選択』愛と狂気のカタストロフィ

2009-05-30 00:27:02 | アメリカの作家
SOPHIE'S CHICE 
1979年 ウィリアム・スタイロン

トラウマ、パラノイア、サイコパス…メンタルな病のことはよく分かりませんが
なんだかそんな言葉が頭の中をかけめぐる1冊でございました。

舞台は第二次世界大戦後のニューヨーク、ブルックリン。
作家を夢見る青年スティンゴとひと組の恋人たちの、ある夏の交流を描いたものです。
スティンゴは同じ下宿で暮らすポーランド人女性のソフィーに惹かれてしまうのですが
彼女の恋人ネイサンの人柄にも魅せられて、友達として付き合っていこうと決めます。
三角関係のおはなし?

ネイサンは本当に魅力的で頭脳明晰、その上並外れた記憶力を供えているのですが
同時に狂気を抱えていて、自分が偉大な科学者であるという妄想に支配されています。

ソフィーは幼いころから誰かに支配されて生きて来た記憶を消し去ろうとしながらも
逃れられることができずにいます。
少女時代は大学教授の父親に、戦時中はナチスに圧さえつけられてきました。
新天地アメリカではネイサンの愛と狂気に、自らがんじがらめになっています。

スティンゴは22歳の健全な青年ならではの「早く童貞をなくしたい」という思いに
捉えられて妄想の虜になっています。
ネイサンやソフィーとはくらべものには…でも男性には深刻なことなんでしょうね?

お上品ぶるわけではないのですけれど、露骨な性描写はあんまり好きじゃないですよ。
『ソフィーの選択』では(日本語訳ですけど)あまりにストレートな(というか口汚い)
表現が数多く登場して少々面食らいましたが、読み終えてから考えると
必要な表現だったのかな、と思い直しました。

ネイサンの唐突な暴言や暴力も、ただ泣いて付き従うだけのソフィーも
スティンゴの無邪気な思い込みも、なにかというと出てくる激しい性描写も
全てが悲劇的な終焉へのアプローチに思えてきます。

後半はアウシュビッツの描写が多くなっていきます。
たしかに酷い、非道です。 心に刻んでおかなければならない部分だと思います。
でも内容がアウシュビッツのレポートにとどまっていたら
私はたぶんこの本を最後まで読もうという気にはならなかったんじゃないかなぁ?
脚色があるから余計胸にせまる部分があるような気がします。

作中にありましたが、戦時中アメリカの当面の敵は日本だったそうですよ。
だからアウシュビッツのことは戦後に知って怒りがこみ上げてきたんですって。

スタイロンは実際にアウシュビッツを生き延びてきたポーランド人女性と
ブルックリンの同じアパートで暮らしたことがあったのですが
物語のように親しくはならなかったそうです。
でも彼女からなんらかの強烈な印象を受けたのかもしれませんね。
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