浦戸の藤原眞吾さんのお宅にお参りすると必ず奥さんの須奈恵さんが1年分の「在家仏教」誌を
下さることになっています。
と云いますのは眞吾さんのお家は船舶業を営んでおられ、ケミカルタンカーで「協和発酵」の専
属の航走をしておられるのです。
「協和発酵」の社長であられた加藤弁三郎氏は工学博士で有能な科学者であられましたが、またそ
れにも勝る念仏者であられました。昭和27年頃に「在家仏教協会」と云う聞法会を設立され経済
界や実業家を中心に活動を続けられました。弁三郎氏は既に他界されましたが、その在家仏教協会
は全国の主要都市の会場で講演会が開かれ、機関誌「在家仏教」が毎月発行されているのです。
眞吾さん宅も「協和発酵」のお仕事から「在家仏教」誌が送られて来るのです。その1年分をお
参りすると私に下さることになっているのです。浄土真宗の教えのみでなく曹洞宗、臨済宗、日蓮
宗、天台宗などなどの先生方の講演や随筆などが収載されていて随分と啓蒙されます。
そうした翌日、福岡の武内英真先生から同じ「在家仏教」の3月号が送られて参りました。
この3月号に武内英真先生が一昨年3月に福岡会場で「我が過ちはそれに優れり」と云う講題での
ご講演が収録されています。
武内英真先生のご講演の中心は先生が学生時代に郷里のお父さんから大学に納入すべく預かった
授業料を使い込んでしまった過ちに対して、お父さんはお念仏の深いお味わいから次のような電報
を送られたのです。
咎(とが)めまじ たとえ罪ある身なれども 我が過(あやま)ち はそれに勝れり 父
この崇高で無碍心な電文に対して武内先生はその時の思いを次のように語られています。
私は、この電報を手にするまで、どんな罰がまっているのであろうか、と、針のむしろに座るよ
うな思いで一杯でありました。
しかし、この電報を読んだ時、ああ父は私の犯した罪を許してくれたのだなあ、の思いで心は満
たされ、この時ほど親とは有難いものだと思われたことはありません。
(中略)
そういう心配が、心配をかけたその時から私が大学を卒業して寺に戻ってくるまで、ズーッと続
いたのではなかったかと思われます。
と、語られ、「父母恩重経」の中に説かれている「遠行憶念の恩」(おんぎょうおくねん)に触れて語られております。親の子
を思う思いを50年数年も前の事実に立ち返り、今も現前としてその導きとお育てに浴しておられることが偲ばれ、有難いご法話と拝読いたしました。 それにしてもすごい電報ですね、血涙がほとば散っているように感じられます。
「在家仏教協会」を設立された協和発酵株式会社元社長加藤弁三郎著『仏教と私』の中に歎異抄
との出遇いを語っておられる一文の中から少しご紹介しておきます。
「念仏は無義をもて義とす」と、この書にはっきりことわってあるにも拘わらず、私が念仏之義を学んだのは、まさにこの書であった。私が昔そうであったように、今日の青年諸君も、念仏はもとより、仏教そのものについてはほとんど無関心であろう。称名は、蛙の声ほどにもひびくまい。私には、それがよくわかる。だが、蛙の声よりも無意味なものと思っていた念仏は、何と、それこそがたった一つの真実なものであったのだ。そして、国家、社会、政治、経済、文化、等々、期待をつないでいたものこそ、たわごとであったのだ。更に驚くべきことには、念仏のみまことと知った後の、一切世間のいとなみが、何と新しいかがやきを帯びてきたことよ。たわごとでありつつ、しかも、かけがえのない大切なもの、それがこの世のいとなみであったのだ。
(昭和33年6月『月報しんらん』)