当山の寺宝の一つなっています幕臣山岡鐵太郎(鐵舟)筆の1軸を曝風も兼ねて先日の総代会に床に掛けました。このお軸は当
山の山号額「西向山」を東京谷中の山岡邸を訪ね揮毫を依頼したところ、丁度胃癌のため病床にあり侍医から筆を執ることを止め
られていたのですが、寺の為、仏法の為になるなら書こうと起き上がって書かれたと伝えられています。その折山号額以外に27
枚の条幅紙を一気に書き上げられたのだそうです。残念ながらその時の26枚は当山には伝わっていませんが、この画像の1軸が
その時の書になるものです。鐵舟居士はこれらの揮毫から20数日後の明治21年7月19日午前9時15分皇居に向いて結跏趺
坐したまま泰然として示寂されたのでした。享年53才であられました。
この書をどのように読むべきか難渋いたしますが、このように読んで見ました。間違っていましたらご指摘下さい。
性而築書扇 身特捽鶴目
性はしかるに書扇を築き 身はただ鶴目をつかむのみ と訓読してみました。
癌と云う病床でご自分の50年の過ぎ来た人生に思いを持つ時に、筆を持てば徒に書紙の山を築き、木刀を持てば上下左右に激
しく動く鶴の目を捉えるようなことばかりに執念を燃やしてきた人生であったと自嘲の思いが起こってきます。しかしその不完全
なままが安然としてあります。
と、云うように解釈し、味わってみました。