万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

親鸞聖人ご誕生祝賀、ハンドベル演奏

2009年05月25日 | Weblog
3年前より藤原久子先生のご指導により仏婦有志によってハンドベルの練習会がもたれるようになりました。
 今日の演奏は「みかんの花咲く丘」と「荒城の月」です。両曲ともなかなか高度ですが練習時より本番の方が良い出来で感動しました。「荒城の月」は先代住職が
この祝賀宴によく歌っていた曲で懐かしく皆さんと一緒に歌いました。
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降誕会法座寸描

2009年05月25日 | Weblog
記念講演。
 広島市西向寺住職高松秀峰師のご講演。
対立を超えた、尊きに導かれ安心を恵まれて行くと、理解と心にスッとしみ入るご法話を頂きました。忝なし、 
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宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)

2009年05月22日 | Weblog
 昨日5/21日は宗祖親鸞聖人のご誕生法会(たんじょうほうえ)降誕会(ごうたんえ)でしたが、拙寺では明日の土曜日に行います。今日朝から準備やらお掃除やらで走り回りました。若院夫婦は昨日の本山での降誕会のお勤めを果たして今日中に帰山するとのことで続いてお疲れさんのことです。
 明日午前10時よりお祝いの勤行に続いて広島西向寺高松秀峰師の講演。正午より祝宴。祝宴での仏教婦人会の出し物は「ズンドコ節」の踊りと会員有志16人によるハンドベルで「みかんの花咲く丘」と「荒城の月」が演奏されるとのことす。

 掃除をしていたら大山蓮華がきれいに咲いていましたので愛用のレンズ、マイクロニッコール105㎜でストロボ撮影しました。
 
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刈り込みの三種の神機

2009年05月20日 | Weblog
昨年は皐月が終わった7月初めに、霧島、平戸躑躅などを皐月と一緒に刈り込みをしたことでしたが、花の様子があまりよくないので今年は躑躅は早く刈り込んでみようと今朝から頑張ってみました。もう暑くて汗をびっしょりかきました。
 数年前から写真のような道具を使って刈り込みをします。
 先、電動の刈り込み機で刈っておいて刈り込み鋏みで整えます。全ての刈り込みが終わると庭用の掃除機で枝柄を吸い込ませます。これは非常に便利なもので作業が実に早く終わります。私の三種の神機?です。
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紫陽花の季節

2009年05月20日 | Weblog
今日は朝から寺庭の躑躅類の刈り込みをするべく庭に出ると小さな紫陽花が咲いているのに気づきました。薄黄緑色の小さな小さな花球です。坊守にこれは何と云う紫陽花なのかと尋ねると坊守も失念したとの応え。何年か前、母の日のプレゼントに贈られて来たものを路地に植えておいたのだと云う。まアいい、名前は知らなくても一番小さな紫陽花と記憶に留めておきましょう。知らぬ間に紫陽花の季節になっています。躑躅も終わり、皐月がちらほら咲き始めています。
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砂防ダム

2009年05月17日 | Weblog
集落の中心部を流れている大河原と土地の人が呼んで来た川は各谷からの水流を集めているのですが、その川本は大戸と呼ばれている谷を堰き止めて作られている大戸の池から流れ出ています。江戸末期新田開発が進んで潅漑用水として建設された池なのです。その下手に数年前から防災用の砂防ダムが建設されていましたが先日ダム本体は完成したようです。付帯工事がまだあるのだそうですが、随分と大きく頑丈に見えます。大戸の池がもし大雨で決壊してもこれで大事にはならないと云う
計画なのでしょう。
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河原にカラーが群舞

2009年05月16日 | Weblog
誰かが河原に植えたのでしょうか、真っ白いカラーの花が叢になって帯状に咲いていました。珍しい風景です。
 この河原の河口辺りには菜の花の群生も見られます。
2002年夏に編集して本にした『木村誠一さんの生涯と「真楽記」』にこの河原のことについて述べたカ所があります。今、読み返して見ますと次のように書いていました。
 「この大河原の源流は芸予諸島の中でも1、2の高さを持つ薬師山の谷間にある。この薬師山の北面は肥沃であって、巨大な黒松が覆い茂る山であった。その黒松は多量の保水力があり、一年中少々の日照りが続いても、その大河原に水を供給してくれていたのである。したがって島としては比較的水に恵まれた土地、集落であった。この川の流れは数十年前までは清流であって、常にやさしい瀬音が聞こえる川であった。(中略)ともあれ、誠一さんは幼少時からこの川の瀬音を聞きながら成長されたのである。」
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河原に黄菖蒲が咲いている

2009年05月16日 | Weblog
万福寺が位置しています口総集落の中央部を流れている河原があります。
島の川ですから小川なのですが重要な生活の川です。生活様式の変化からか、近年随分と汚れが目立っていました。しかし数年前より集落内に下水道が敷設され汚水処理が行われるようになりました。そのためなのでしょうその河原をきれいな水が流れるようになったようです。
 流れにそって黄菖蒲が咲いて水面に映していました。
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山法師(やまぼうし)

2009年05月16日 | Weblog
今年も山法師が咲いてくれました。昨年は2、3輪でしたが今年は沢山咲いていました。
 ヤマボウシは「みずき科」に属する落葉高木で、桑の木とは違うのですが実が食べれることからかヤマグワとも呼ばれていることが牧野図鑑に説明されています。その果実は赤く熟すとマンゴーのような甘みがあるそうです。まだ食したことはありませんが、今年は試食できるかも知れません。トサミズキ、アメリカ花ミズキなどが姉妹になるのですが、それらの実は食せないようです。 
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蓮如上人のご往生

2009年05月13日 | Weblog
 応仁の乱以後急速に一般大衆の拠り所となり吉崎を中心に教線は広がって行きました。しかし、在地の大名との権力闘争に巻き込まれる恐れもあって蓮如上人は文明7年(1475)吉崎を海路退去、若狭に上陸されて陸路教化されながら畿内河内の出口辺を拠点に教化をされました。
 江州金ヶ森の道宗の進言もあって山科野村の地に坊舎(本願寺)の建立をはたされました。大津近松へ安置されていた親鸞聖人ご真影をお迎えし御正忌報恩講をお勤めされたのが文明12年(1480)上人66才のことでありました。
75才の折、門主を実如上人に譲り、山科御坊南殿に隠居されました。しかし、近畿一円への足を運んでの教化、『御文章』を認めての伝道は弛むことなくつづけられました。また、大坂石山御坊の建立は82才の折に起工されて明応6年に完成されています。ご往生は明応8年、石山御坊から山科御坊へお移りになられ、旧3月25日正午ご往生になられたのです。
 画像は一家衆、門弟の方々へ遺誡を述べられ、愛馬にまでお別れをされてご往生になられました。
 もし、蓮如上人が本願寺にでられなかったら恐らく、親鸞聖人の教えは埋没してしまっていたでしょうし、残っていたとしても全く似ても似つかない教えになっていたに違いありません。中興上人とお讃え申し上げますのはむべなることであります。
 5月中は、蓮如上人4幅のご絵伝を地下室へおかけしておりますのでご拝観ください。
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