文明6年(1474)3月18日夕方、吉崎御坊の南大門の他屋辺りから出火し、本堂、諸堂宇が焼け落ちました。その折、蓮如上人の居室書院に置いてあった『教行信証』を出し忘れたことに気づいた本向坊了顕は燃えさかる火の中に飛び込み、自らの腹を短刀で切り開き、臓腑掻き出して聖教を押し入れて俯せになって聖教を守ったのでした。このお聖教を「血染めの聖教」と呼ばれていたと伝えています。
これらの事柄から蓮如上人が如何に親鸞聖人の書かれたお聖教を大切にされ、精魂込めてお読みになられていたことがうかがえます。
「聖教は読み破れ」とか「読書百遍、意自ずから通ず」と縁ある人たちにお聖教を詠むことを勧められました。
これらの事柄から蓮如上人が如何に親鸞聖人の書かれたお聖教を大切にされ、精魂込めてお読みになられていたことがうかがえます。
「聖教は読み破れ」とか「読書百遍、意自ずから通ず」と縁ある人たちにお聖教を詠むことを勧められました。