万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

聖人の廟堂(びょうどう)

2009年01月09日 | Weblog
 聖人のご遺骨は「鳥部野の北の辺、大谷」におさめられ、文久9年の冬、約10年後に墳墓が改められて同じ東山の吉水の北辺へ納められて廟堂が建立され、その堂内に聖人の御影が奉安されたことが同じく『御伝鈔』に覚如上人によって記されています。その吉水の最初に廟堂が設けられた地は「元大谷」として今も保存されています。知恩院境内の直ぐ下辺りになります。
 「御絵伝」の聖人ご往生、葬送、廟堂の絵図はいずれも万福寺の「四幅の御絵伝」を撮しました。本日より内陣左余間床にお掛けいたしましたから是非とも拝観してください。

 ご本山(西本願寺)での大逮夜、15日の夜7時から翌朝6時まで通夜布教が行われます。会場は本願寺の北、聞法会館内の総会所、とホールの2会場で行われます。当山若院(浅野執持)も16日午前3時過ぎより2会場で布教を仰せつかっています。
またとないご縁と有難く、住職夫婦、2、3のご門徒の方と当日上山する予定にしております。京都近辺の方でご縁ある方はどうかお参り下さいませ。
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親鸞聖人の葬送

2009年01月09日 | Weblog
 京都へ帰洛された聖人の最後の寄寓地は「押小路の南、万里小路より東」にあった聖人の弟尋有(じんう)法師の禅房であられたことが『御伝鈔』に記されています。
 葬送の場所については「洛陽東山の麓、鳥部野の南の辺、延仁寺」で葬儀、火葬が行われたことが知られます。この場所は今の「西大谷」のあたりになります。
 画像は伝絵の葬送の段。
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宗祖御正忌法座

2009年01月09日 | Weblog
 京都ご本山(西本願寺)では本日より16日まで宗祖親鸞聖人御正忌報恩講法要がお勤まりになります。七夜にわたりますので「お七夜」(おしちや)とも呼ばれてまいりました。浄土真宗にとりましては年中で最も大切な法要、お法のご縁です。
 当山(万福寺)の御正忌法座は本年は13日日中席(午後1時始め)、13日夜席(午後7時始め)、14日朝席(午前10時始め)、正午よりおとき、とお勤めさせて頂きます。ご講師は広島市教雲寺ご住職藤井聡之先生をご出講いただきます。寒中ではございますがどうかお誘い合わせてご参詣くださいませ。宗祖親鸞聖人はこの寒中においてお念仏を静に申されながらお浄土へとお帰りになられました。
 画像は親鸞聖人のご一生の絵巻の「ご往生の段」です。撰述者覚如上人(親鸞聖人の曾孫)は
「聖人、弘長二歳、仲冬下旬の候よりいささか不例の気まします。これよりこのかた、口に世事をまじえず、ただ仏恩の深きことをのぶ、声に余言をあらわさず、もっぱら稱名たゆることなし。しこうしておなじき第八日、午時、頭北面西右脇に臥したまいて、ついに念仏の息たえおわりぬ。ときに頽齢九旬にみちたもう。」と記されています。
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