万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

常葉橋の近くの母子像

2008年08月08日 | Weblog
常葉橋の元に三好医院があってその玄関口に画像のような愛の母子像と名付けられた彫塑が置かれていました。
 6日の夜、橋の下の草叢に横たわる6、7人の少年たちを夜中看てくれていた
老人がいたそうです。広島市中が燃えさかり、傷ついた身で恐怖の極みにある彼らをやさしく看護してくれた菩薩さまのようなお方がおられたのです。どこのどなた様であられたのか知る由もありませんが、十界互有(じっかいごうう)それぞれの世界に地獄から仏の世界があると云う仏典のお言葉が肯けます。
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常葉橋

2008年08月08日 | Weblog
画像は京橋川に架かる「常葉橋」この橋は原爆当時の橋ではありません。現橋は上下4車線に歩道がついた大きな橋になっていますが、当時は幅4㍍位のものではなかったのでしょうか。それに当時は川の土手がなだらかなスロープになっていて草叢となっていたのでしょうが、今はそこが地上げされて緑地公園風になっています。
 多分私が橋を撮影した場所辺りが土手の草叢だった所で兄たちが横たわっていた場所ではないかと思いました。
 ここを8/7日兄を捜索してくださった叔母の嫁ぎ先きの西尾幹三さんや木原さんたちによって夕方発見されたのでした。不思議としか云いようのない出遇いであったそうです。それから兄はパンクしたリヤーカー乗せられて廿日市の叔母の宅に帰ることが出来たのでした。到着は午後11時近かったそうですが、すぐ床に「おやすみなさい」と皆に挨拶をして安心したように眠り始め、12時前に息絶えたと云うことです。
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「空」

2008年08月08日 | Weblog
この原爆記念碑の絵とそして詩は森本順子さんのものと銘記されていました。
「空」と題した原爆詩が記されていました。後半部分をご紹介しておきます。
  幾万の人々の
  絶叫のこだま
  わたしの頭の上に
  「空」が見えた
  わたし達家族は
  着のみ着のまま
  追ってくる火から逃れた
  わたしは見た
  裂けた腕の皮膚が
  指の先から垂れ下がった人々を
  息絶えた母親の体を揺すぶって泣く
  幼な子を
  手の施しようもない
  それは絶望の世界だった
  廃墟の中に立ち
  わたしはさとった
  恐怖残酷の極み
  それは
  人々が創り出すということを
  
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