7/1今日は朝から梅雨が上がったような真夏日となりました。数日前より九州から中四国にかけて豪雨が降り続け、各地に洪水、地滑りを起こしました。被災地の方々心よりお見舞い申し上げます。拙寺は建造物は被害はありませんでしたが、裏山が地滑りを起こし、庭の風景が少し変化しています。
今日から7月、今月の法語は正信偈「往還回向由他力 正定之因唯信心」の意訳されたご文です。このカ所はインドの天親菩薩(てんじんぼさつ)さまの顕された『浄土論』を中国の曇鸞大師さまが注釈をされた書物『浄土論註』の中のお言葉であります。
この私がお浄土に往生させていただくことも、お浄土に生まれ覚りの身とさせていただき直ぐさま人間界に帰ってきて迷える人々を救済させていただく身とならせていただくことも全て阿弥陀様の本願力と云う他力の働きに依るのであることがはっきりとのべられています。このことを往相回向、還相回向(おうそうえこう、げんそうえこう)と申します。この二回向の教えこそが親鸞聖人が「念仏のみぞまことにておはします」と申された核心であると云えます。
親鸞聖人が「天親菩薩」の「親」と「曇鸞大師」の「鸞」の字をいただかれて「親鸞」と名乗られていることからもこのことがよくうかがえると思います。
私(住職)は去る6月15日より今治の病院に急遽入院することになりました。しかし、ご安心下さい、昨日20日無事退院することが出来ました。 今月12、3日頃より風邪を引いたような症状がありその治療をしていましたが、その不快さや熱っぽさがなくならいものですからネットで調べてみてどうも「腎盂腎炎」ではないかと自己診断をして今治の泌尿器科を訪ね診察を受けました。尿・血液検査、CT検査を受けて、正しく「腎盂炎」であるとの診断。出来たら今日から入院治療をおこないますとのこと、私は咄嗟のことなので・・・土曜日に行われる「仏教婦人会年次法座」、日曜日に行う京都本願寺での「関西地区ご門徒の集い」のことが脳裏をかすめ、「来週からの入院といたします」と応えると医師はそれはいけません、それでは今日は点滴投与をしておきますから、明日入院の用意をして来て下さい」とのこと・・・・、その日は寺に帰り、家族に話すと、行事は我々でするから明日入院して下さいとの結論が出て、15日に入院治療することになったのです。内心「入院するような悪さとは思えないのに・・・、通院でもいいのになア」と思っていましたが、入院してみて「なるほど」と納得いたしました。所謂24時間点滴で、起きているいる時も寝ている時も点滴が続き、1日に2度その管に抗生物質液が投与されると云う治療なのです。
入院カバンに目を通しておこうと4、5冊の専門書も持参しましたが、中々落ち着いては読めません。専らテレビを見て時間を費やしていました。
5日目に医師が再度尿・血液検査の結果を見て退院の許可が出ました。5日で退院出来たのですから優等生です。病院での3度3度の食事も一粒のご飯も残さず完食いたしましたから、優等生ですよねエ、
いろいろとご心配やらご迷惑をお掛けしてまことにすみませんでした。お陰で健康を回復したようです。これからも宜しくお願いいたします。
帰山してみると庭のミニ睡蓮が咲いていました。庭の高台に植栽の沙羅が一杯花を咲かせていました。ホット嬉しさが込み上げて来ます。ありがとう。
かくして初めての入院経験は5日で終わりました。次の入院は初めての入院とは云えません。
今月も七高僧さまの第1祖インドの龍樹菩薩さまのお念仏のご教示を親鸞聖人がおまとめ下さっている最後のカ所のお言葉「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし)を意訳されてあるのが今月の法語であります。
ただよくつねに み名をとなえ ふかきめぐみに こたえかし
あなたともにどんなことがあってもお浄土へ生まれて行くよと申して下さる阿弥陀如来さまのご本願に遇うままが、もう迷いの世界に帰ることのない不退転の地位であります。その地位では如来さまの呼び声に常に呼び覚まされ、呼び覚まされてお念仏を申すばかりです。
世界で初めて核爆弾を創った国、そしてその2種類の爆弾(ウラン爆弾とプルトニューム爆弾)を広島と長崎の両市上空、すなわち老若男女の市民の住む頭上に炸裂させた国でもある。その国の大統領が初めて広島に訪れ、原爆慰霊碑に献花され、原爆ドーム、原爆資料館を見られるとのこと、そして両市の被爆者に会われるとのことである。このことが人類が持っている核兵器廃絶への大きな一歩になってほしいと切に願う。
私(住職)の兄緫智は広島の中学1年に在学していて8月6日八丁堀辺で動員作業中に被爆し、7日夜死去した。
父三智の当時の日記、歌集に何首かの哀歌が書き付けられている。
過ぎし年里のかえりに坊と共に泊まりし旅館は今もあれども
如何にして生き抜きたらん仮寝するベンチ間近かく秋虫の啼く
お気の毒です伯母の一語に玄関の土間に踞りて我泣き入りぬ
床の間の弥陀尊号の軸の前に坊は置かれたり白骨となりて
燃えつゞく炎をみつゝ明かしけんそのひと夜さの苦しみたらん
ガラス戸の破れ傷つきし姿ながら市内電車は焼野を走る
天幕の下の受付に一人悄然と負傷姿の校長のあり
校長さま無事でしたかと思わずもツト駆けよりぬ我ぶしつけに
同級簿に載せある坊の名の下に七日死亡と記したまいぬ
絶望の淵にありとも本願の道はかならずひらかれてあり
大悲無倦照護の光一切の苦悩も去りぬ憂いも融けぬ
ひた泣きに泣けども心は闇からず本願不思議名号不思議
この頃、何を見ても綜智のことが思い出され、人の居ないところで思う存分泣き暮れることが多い。たゞ綜智を奪ったものが敵国アメリカであるという呪わしい気持ちが毛頭ないのは私に迫って下される大悲のみこころ故であろうか。これだけはうれしいことである。(昭和20年8月28日日記)
原爆投下から71年、今日の日がどうか核兵器廃絶えの重い大車輪が動き始める起動となって欲しい。