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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「親密すぎるうちあけ話」

2006年12月08日 | 映画(サ行)
 ミステリアスな展開のパトリス・ルコント作品。

 精神分析医と患者のドラマはジャン・ジャック・ベネックスの「青い夢の女」(2000) やブライアン・デ・パルマの「殺しのドレス」(1980)などミステリーの傑作が多い。本作も一見そのような装いながらロマンティックの枠内に収まっている。ルコントだから。

 サンドリーヌ・ボネール演じる美しい患者の人違いが物語の軸となる。あんな美人でさえなかったら一言「人違い」と告げて幕、物語は成立しないだろう。
 間違えられたファブリス・ルキーニの税理士は、やましさから途中で医師免許を持っていないと告白するのだが、患者の方は「カウンセラーは必ずしも医者とは限らないから」と取り合わない。こちらの方はせっかくの「うちあけ」が不発に終わってしまう。

 税理士が同じ階に開業する本来の精神科医に相談すると、女の方はそれを分かっていて近づいているのではないか、という可能性を示唆する。もしミステリー派の監督ならここからまったく別の方向に物語が向かって行くだろう。

 結末は・・・・、DVDでご覧下さい。

映画 「上海の伯爵夫人」

2006年11月10日 | 映画(サ行)
 人種の坩堝のような上海に戦争の足音が聞こえ始める時代の物語。

 「ナイロビの蜂」に続いて、ラブストーリーがからむ外交官役といえばこの人しかいないレイフ・ファインズの主演作。異国の地で時代に翻弄されながらめぐり会った男女が戦火をくぐって新たな船出をする。秋にふさわしいロマンチックな作品だ。

 難を言えば、ロシアの貴族階級がどのような状況で上海にたどり着いたのか分からないし、ヒロインの「伯爵夫人」が嫁ぎ先で疎まれる理由も今ひとつ説得力がない。ヒロインの娘が言うように、彼女の稼ぎで家族は生活しているのだから、何故?と思ってしまうのだ。

 日本人でただ一人、全編英語の台詞を流暢に操っているのが真田広幸。日本の軍部を操る影の存在だ。ただ、脚本のせいか演出のせいか、「ラスト・エンペラー」の坂本龍一などに比べるとやや平板な印象で「影」の部分の彫りが弱いように感じた。

 美しく撮られているので「魔都上海」という感じはしない。ボブ・フォッシー監督の「キャバレー」などに比べるとサラリとしている。

映画 「16ブロック」 ~ 複数形じゃないの?

2006年10月26日 | 映画(サ行)
 面白い。と思ったらリチャード・ドナー監督作品だった。

 ブルース・ウィリスがうらぶれた警官役。よりによってクリスマスの夜になぜこんな事件に遭遇してしまうのかと嘆く「ダイ・ハード」の精悍なマクレーン刑事が、年を経てこうなったのだと思いながら見るのも一興か。運の悪い一日が、またしてもめぐって来るのだ。

 ドナー監督のヒットシリーズ「リーサル・ウェポン」同様のバディものだが趣向の違う「ちょっとイイ話」に仕上がっている。護送される証人役のモス・デフが小うるさい小悪党と思いきや、だんだん血も心もかようイイ男に見えてくる。

 観客だけでなく、主人公ブル-ス・ウィリスもそう思い始める当たりから俄然良心が目覚め、「ヒーロー」が蘇る。(ちょっと年はとっているが。)

 宣伝も比較的地味なのがもったいないくらい。鳴り物入りで公開されたナイト・シャマラン作品やデ・パルマ作品に比べたら絶対こちらがお勧め、というのが私の意見。

 原題は「16 BLOCKS 」。複数形無視の邦題が付いたが、かつて「15 ミニッツ」という複数形邦題作品もあった(こちらはデ・ニーロ主演)。

映画 「戦場のアリア」 ~ 「武士道」の精神

2006年10月02日 | 映画(サ行)
 敵も同じ人間であるという当り前の事が見えなくなっている、あるいはそれを無視しているのが戦争であることが分かる。

 敵の姿が見える肉弾戦なればこそで、近代戦だとこうは行かないだろう。

 当事者たちは、敵を人間としてたたえ合ったことを罪として問われてしまう。戦争は常に「聖戦」であって、こちら側から見れば敵は常に極悪非道の存在でなければならないのだ。
 ここに来て観客の記憶は一気にイラク戦へと飛び、明快なブッシュ批判を意識した反戦映画としての骨格を認めることになる。

 新渡戸稲造の「武士道」に次の一節がある。

 「勇気と名誉はともに 価値ある人物のみを平時に友とし、戦時においてはそのような人物のみを敵とすべきことを要求している」

 また同書には「おのれの敵を誇れ。されば汝の敵の成功は汝自身の成功となる」というニーチェの言葉が引用されている。

 本文中の引用は「三笠書房・知的生き方文庫『武士道』新渡戸稲造著、奈良本辰也訳」による。

映画「スーパーマン リターンズ」2 ~ 女系はありえない?

2006年09月29日 | 映画(サ行)
 今週で終わるというのでもう一度見た。ドラマとしてのふくらみをじっくり味わえ初見時よりさらに面白く感じた。

 スーパーマンが父親として、息子の中に自分自身を見る視点が良く描かれている。物語の主軸は、マーロン・ブランド演じる父親からスーパーマンへ、そしてその息子へと受け継がれていく、男系社会の秩序の中に描かれるロマンなのだ。

 これからも続くこの一族の長い歴史の中で、いつか男の子が生まれなかった場合は「スーパーマン典範」の改正を議論することになるのだろう。

 子役のラストネームがリーブ。もしやと思ったが先代スーパーマンはReeve、子役はLeabuだった。カタカナ表記すると同じだが英語の響きはまったく別。日本人が苦手なrとl、vとbの組み合わせだ。

 夕暮れ時の空を、事件性を帯びないでスーパーマンがスーッと飛んでいく情景は夢のように美しい。

映画「佐賀のがばいばあちゃん」

2006年09月11日 | 映画(サ行)
 何の奇もてらいもない、まっすぐな映画。

 人々の優しさは胸に染みるし、ストーリーはけして期待を裏切らない。ひょっとしてこうなるんじゃないかとか、ハラハラドキドキの二転三転もどんでん返しもない。

 だけどこれがイイ。

 主人公はいきなり母親のもとから連れ去られるわけだが、その行った先のばあちゃんの家がスゴイ。
 家の水場が川をはさんだ向こう側にあり、母屋からは裏戸を開け、橋を渡って台所や風呂に行くという、安藤忠雄の住宅のような、ある意味では贅沢な空間にまずビックリさせられる。

 だけどその生活の質実さといったらない。拾うものはあっても捨てるものはないという究極のリサイクル、リユース生活だ。「省資源」という今様のテーマを、この佐賀のばあちゃんの日常はすでに普通に実践していたのだ。

 現代の日本が、この「貧しいけれど豊かな生活」からいかに遠くに来てしまったかを思わないわけにはいかないい。

 懐かしく、いくらかの羨ましさも感じながら、だけど誰も戻りたいといって手は上げないだろう、少し前の過去がそこにある。

映画「スーパーマン リターンズ」

2006年08月25日 | 映画(サ行)
 バットマンに続きスーパーマンも帰ってきた。

 スーパーマンのスピードはともかく、映画としてのテンポは他のハリウッドアクション映画に比べるとゆったりしている。アクションよりドラマに比重があることの現われだろう。

 確かに手に汗握るスーパーマンらしいアクションに関しては冒頭間もないエピソードが最大で、クライマックスでもある。
 後は三角関係に近いラブストーリーと親子の絆(特に父と子の)の物語で引っ張ることになる。そこがやや物足りなく感じられれば2時間半が長い。

 スーパーマンの家族といっても朝タイツ姿で「行ってきます」と出勤するわけではないので、ラストは暗示によって観客の想像にゆだねるのが夢があって良いかも知れない。

 それにしても病院に入ったスーパーマンはスーパースーツ姿でもないわけで、クラーク・ケントとの差はもはやメガネの在る無しだけでしかないのにロイスが気付かないというのも・・・・。それもスーパーパワーの一つなのかもしれないが。

 初々しく爽やかなニューヒーローの誕生だが続編はあるのだろうか。

映画「さよなら、僕らの夏」~ どっちがイジメっ子?

2006年08月03日 | 映画(サ行)
 夏の終わりのほろ苦さが漂ってくる作品。イジメっ子に対するちょっとした制裁のつもりが思わぬ事故に発展する。

 チラシにあるように「スタンド・バイ・ミー」に比肩するような作品ならば、もう少し公開形態も考えられたのだろうが単館レイトショーもやむ無しというところか。極めてまじめに直球を投げられたようで、映画的な興趣がない。

 配役は悪くないし、少年、青年がそれぞれにトラウマを背負った設定も映画を膨らませる要因になりうるのだが、それが膨らまないままに終わってしまう。

 イジメっ子と言っても腕力勝負のガキ大将風である。誰かとつるんで陰湿なイジメを先導するわけでもなく、むしろ群れからは離れて一人で遊んでいる。デブの留年生で、言動はエキセントリック、確かにイヤな奴で、腕力も強い。だけどそんなに悪い奴ではないのだ。

 日本なら、むしろこちらの方が皆から嫌われて無視され、イジメの対象になってしまうのではないか、と思うほどである。

 体の小さな主人公はいつも理不尽にイジメられているという設定だが、画面で表現されるのは主人公がイジメっ子のビデオカメラを勝手にいじったために暴力をふるわれるシーンのみである。イジメっ子はこのビデオカメラを非常に大切にしており、理由がないわけではないのだ。

 逆に制裁をたくらむ主人公の兄の友達グループはイケメン揃いで、けして苛めを受けるタイプではない。どうも、どちらが苛められているのか分からなくなってしまう。

映画「スタンドアップ」 ~ 日本で撮れるか?

2006年07月10日 | 映画(サ行)
 最近めずらしい社会派の作品。女性の社会参画とセクハラの問題が正面から描かれている。

 日本では進歩的なはずの政治の世界でさえ、あえて「女性閣僚」と呼称される。そこが男の世界であるがゆえだ。アメリカの政界はその辺はるかにボーダーレスに見えるが、そのアメリカでさえこの作品に描かれたような時代が少し前まであったのだ。
 事実に基づく映画だそうだ。

 ヒロインと弁護士のラブ・ストーリーをある程度の比重で描くことも可能だったろうがそうはせず、硬派の作品に仕上がっている。そのためか主役はあくまで女性で、男優はショーン・ビーン、ウッディ・ハレルソンなどが出演しているもののとても影が薄い。
 監督が女性であることも見逃せない。

 一見地味な作品だがシャーリズ・セロンがタフなヒロインを熱演、果たして今の日本映画興行界でこういう企画は日の目を見るだろうか?

 原題は”North Coutry"だが久々に内容を良く表したまともな邦題が考えられている。

映画 「そして、ひと粒のひかり」

2006年04月10日 | 映画(サ行)
 世界の現実をいきなり突きつけられる作品。

 生きていくための厳しい選択を迫られる一人の女性像がリアルに描かれ、並みのサスペンス以上の緊迫がある。

 親指ほどの大きさにセットされた麻薬は「粒」でカウントされる。そしてマリアに宿った、命を持つ小さな肉体がそれに対比される日本語タイトルは、最近まれなヒットだろう。
 
 主人公はラストで子供を育てるためにアメリカに残ることを決意する。まだアメリカにも夢と自由のかけらくらいは残っているのだ。少なくとも南米コロンビアの現実に比べれば。

 若くても、子供を身ごもった一人の女性としての毅然とした崇高なまなざしがまぶしく美しい。原題は「神の恩寵に守られたマリア」というような意味。