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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「12人の優しい日本人」~ 裁判員制度の参考に

2007年06月14日 | 映画(サ行)
 裁判員制度が話題になっている。その参考になるのが三谷幸喜の舞台「12人の優しい日本人」と中原俊が監督したその映画化作品 (1991)だ。

 三谷幸喜に素晴らしい先見性があったわけではなく、シドニー・ルメット監督作品「十二人の怒れる男 (1957) 」の骨格をもとにして、もし日本に陪審員制度があったら、という想定で書かれたコメディだ。

 オリジナルの舞台脚本の面白さと、限定された空間を映画としてうまく処理した中原監督の緊密なショットの積み重ねで、舞台劇の映画化作品としては最もよく出来た作品の一つになっている。

 豊川悦司が唯一謎めいたキャラクターで登場するが、公開当時はまだ「誰この人?」状態。今のようにメジャーになっては逆に出来ない役だ。

 陪審員と裁判員、厳密には構成も評決方法も違うそうだが、こういうことをやらされるという参考にはなりそうだ。

映画 「しゃべれども しゃべれども」

2007年06月07日 | 映画(サ行)
 とても端正な作品だ。

 何が端正かというと、結局は江戸以来ついしばらく前まで日本に息づいていた文化が、ということなのだろう。その文化のスタイル、生活のスタイルが映画のスタイル、すなわちカット割による画面のリズムや台詞回しとシンクロして、まれに見る心地よい端正な作品が出来上がった。

 真打を目指す二つ目の落語家が始めた話し方教室と、その生徒を巡る物語だ。

 その3人の生徒のユニークさと配役が作品のキーとなる。もちろん主役の国分太一も八千草薫も伊藤四朗も絶品だ。
 だけど生徒役の一人、子役・森永悠希の達者さには舌を巻く。それが、ませたガキとか生意気というのではなく、おそろしく素直で、また可愛い。
 子役、恐るべしだ。

 制作費は「スパイダーマン3」本編には遠く及ばず、おそらくその鳴り物入り宣伝費の何十分の一というところだろう。だけど金さえかければ良いというものではない、ということだ。

 改めて東京の中に残る江戸を探訪したくなった。

映画 「スパイダーマン3」 2 ~ SFXとモンスターたち

2007年06月06日 | 映画(サ行)
 空中戦アクションなどは早すぎて何がどうなっているのか目で追えない。またカメラが自在すぎて、画面のどちらが重力的に上なのか分からなくなっていると、もう次のカットに変わっていたりする。いずれDVDを買ってじっくり確かめてみよう、というほど暇でもない。

 今回ゴブリンのほかに新たに登場する二つのモンスターの造形は素晴らしい。それぞれで1本の作品が撮れるような魅力がある。
 しかし、大サービスてんこ盛りのためそれぞれが薄味になってしまった。

 宇宙からやってくる謎の生命体ヴェノムは、普通ならまず地球にやって来てさまざまな怪異現象を引き起こし、それがいかなる物か観客に理解させてから主人公との絡みが描かれていくだろう。「遊星からの物体X」的に恐怖で包み込み最後にスパイダーマンとの対決に持っていきたいところだ。

 本作では地上で初めて取りつく相手がスパイダーマンだし、計2人しかその被害には合わない。この映画のためだけにちょっと地球に来てみました、と言わんばかりだ。

 また、どんな生物なのかが良く分からない。

 映画の中ではスパイダースーツに付着して汚染するが、ピーターがそのスーツを着ない限り悪さはしないように見える。またピーターが破り捨てたスーツごと次の標的に取りつくと、今度は彼がブラック・スパイダーマンのような超人的な動きを見せるが、スパイダーマンはピーター自身のDNA変異によるものでスーツそのものには何の力もないはずだ。
 結局、説明不足なのだ。

 サンドマンの話は悲しい。すべては誤解から生じた悲劇だ。
 で、大暴れした後、ピーターと話すと、その誤解の原因が拍子抜けするほどあっさりと理解され、いずこへともなく去っていく。
 ならば、あんな派手なバトルをやる前に話し合ったらどうなのだ。ピーターは話して分からない相手ではないはずだし、そもそも逮捕された後、裁判で釈明もしなかったのか?

・・・・と、やはり込み入った話はあの時間では語り尽くされないのだ。そこでもし、すべてが周到に描かれた完全版がDVDで発売されたら、これは暇を作ってでも見たいと思う。

映画 「スパイダーマン3」 ~ ドラマ・パート

2007年06月05日 | 映画(サ行)
 シリーズ第3作。このシリーズの良さはSFコミックの荒唐無稽なアクションに加えて、ドラマ部分がじっくり描き込まれていることにあった。

 最新作はスケールが大きくなったものの、前1,2作と同じような上映時間でまとめる限りは、それぞれがやや物足りなくなった感が否めない。

 今回はまるでラブストーリーで、その一方がたまたま国民的人気ヒーローだったという路線の話かと思わせるようなところがある。ところが悪に汚染されるや「チョイ悪」イメージのピーターが「サタデーナイト・フィーヴァー」のトラボルタばりに、街の女性に色目を使い、バーでは派手な踊りを見せたりする。

 ドラマ部分が、これまでの崇高な「ヒーローの苦悩」に比べて安っぽく見えてしまうのだ。

 またもうひとつの核である、ピーターとハリーの友情の描写にもちょっと首をひねってしまう。

 強敵二人を相手に勝ち目のないピーターはハリーの応援を求めに行く。この時ハリーの美しかった顔は醜く焼け爛れている。この前段で描かれる二人の死闘の結果だ。

 そもそもハリーの誤解に基づく戦いだったとはいえ、ピーターはそのハリーの顔をこの時、初めて目にするわけである。それを見ても驚きもせず(当然謝罪すらなく)、自分の要求(=応援)を平然と述べることはありえない。そこで真の友情などと口にされても困ってしまうのだ。

 シリーズ最強のSFXについてはまた次回。

映画 「神童」

2007年05月11日 | 映画(サ行)
 松山ケンイチと成海璃子、旬の二人が主演し、TV「のだめカンタービレ」でクラシックファンが増えたと言われているこの時期の公開にしては観客がそんなに多くない。

 ピアノをめぐる天才少女うたと凡人ワオの物語だが、「アマデウス」におけるモーツァルトとサリエリのような葛藤はない。むしろ、お互いを高めあっている理想的な関係だ。

 原作は読んでいないが、ストーリーもテーマも良い(ように思える)。主役の配役も魅力的。だけど映画化作品は意外と平板な印象に終わってしまった。多分原作のストーリーを詰め込んでいるのだが各エピソードが中途半端で全体のメリハリに乏しく、ディテールの描きこみがないためにクッキリした像を結べないからなのだ。

 縫いぐるみがどれほど大切な意味を持つものなのかとか、演奏会の後少女はどうなるのかとか、病気への対処とか、努力型の松山ワオは音大でどうなるのかとか、むしろテレビの連続ドラマで毎週楽しみたいくらいだ。

 ラストもどうやって、松山ケンイチがあの場所へたどり着けたのか分からないから、現実ではなく幻想シーンのような印象を与えてしまう。題材が良いだけに、まことに惜しい映画だ。ただ、見なければ良かったという気は少しもない。

 「ピアノの墓場」が物語のキーとなる場所だが、最近読んだ中で最良の文芸的、大河的タッチのミステリー『風の影(集英社文庫)』に出てくる「本の墓場」を連想した。


映画 「情痴 アヴァンチュール」

2007年04月16日 | 映画(サ行)
 ガッカリした。配役もテーマも面白くなりそうな素材だけに。

 それなりに見る気にさせる、そそられる予告編だったのだ。しかし、話は淡々と進む。

 夢遊病がテーマで、劇中、ビデオテークにエンジニアとして勤務する主人公の職場のモニターに、怪奇映画「ノスフェラトゥ」の吸血鬼に操られて夢遊病状態になった女性が映ったりする。
 ビデオという素材の一種いかがわしさや夢遊病の得体の知れなさ、夜のパリ、とムードを演出する素材は揃っている。

 近所に住む女性(リュディヴィーヌ・サニエ)が夢遊病らしいと気付いて、それがまた美人なものだから、何とかしてあげたいと近づく主人公は家宅侵入に近いことまでやっている。

 それぞれの人間関係が訳ありで、だけどそれが何なの?、どうなるの?というメリハリがなく、なぜそうなるのか良く分からないがとにかくこうなりました、という面白くも何ともない結末で終わる。

 お勧めしません。予告でそそられた方だけ行って下さい。

痴漢犯罪分類学 ~ 映画「それでもボクはやってない」2

2007年03月02日 | 映画(サ行)
 人間には2つのタイプがある。痴漢をする人と痴漢をしない人だ。

 それぞれ、さらに2つに分けられるので合計4タイプに分類できる。

 1.痴漢をしてそれを認める人
 2.痴漢をしたのに、やってないと主張する人
 3.痴漢をしてないのに高圧的に問い詰められ認めてしまう人
 4.痴漢をやってないから最後までやってないと主張する人

 映画では冒頭に2つの事件が平行して描かれる。1と4のケースだ。

 当然罪に問われるべきは1.の方だ。だけどこちらは朝逮捕されて午後にはもう自由の身になっている。いわば日帰りコースだ。
 映画が主に描く4.の場合は長い。ほとんど1年がかりだ。しかもそれで出口にたどり着くならまだしも、敗訴 ⇒ 控訴となるとまた、まったくの振り出しに戻るわけだ。これでは映画を見た誰もが「やってなくても認めたほうが楽」と思ってしまうだろう。

 そこがこの映画のツボだ。
 「逆じゃないのか?おかしんじゃないのか、今の日本の制度は」と誰もが思ったなら、製作者としては、してやったりだろう。

映画「それでもボクはやってない」

2007年03月01日 | 映画(サ行)


 周防正行監督の快挙だ。

 情を排してクールだが、一級のエンターテインメントに仕上がっている。綿密な取材が、一般人の知りえない、しかし奇妙にリアルな世界を教えてくれる。

 権力の強大さがいかに怖いものか思い知る。たてつく個人は大変なことになる。

 深い井戸の底から這い上がって、ようやく光が見えてきたところで再び突き落とされるような絶望感を味わうことになる。
 まさにタイトルどおりなのでどんでん返しでも何でもないのだが、あの配役でストーリーを追っていると、つい幸せなラストを想像してしまう。そういう意味でまことにうまい配役だ。

 こんなことなら最初から認めておいたほうが良かったのではないかと思ってしまった。

 役所広司と加瀬亮の組合せは黒沢清監督の新作「叫(さけび)」でも拝める。


映画「叫」

2007年02月28日 | 映画(サ行)
 黒澤清監督の「ロフト」に次ぐ新作。まじめに幽霊の映画だ。

 同じ手口の連続殺人事件が起こるが犯人は同一ではない、ではなぜ・・・・という展開は「CURE」を思わせる。それを追う刑事が役所広司であるところも同じ。

 違うのはそこから先に幽霊がからんでくるところだ。今回は黒く闇の中でうごめく幽霊とは違う。美女で、しっかりと両足で歩いている。スーパーマンばりに空も飛ぶ。映像的にもくっきりはっきりだ。久々、葉月里緒奈の美しき幽霊。

 伊原剛志が遭遇する恐怖のエピソードなど、理詰めでは説明しきれない不可解さもあり、ミステリーの体裁ではあるが「J-ホラー」と呼ぶべきものだろう。
 何気なく見てしまったのに何もしなかったことの責任を、ある日突然、突きつけられ、自分の中の闇を見つめることになる恐怖が描かれる。

 オダギリジョー、加瀬亮がカメオ出演している。
 味わいとしては「CURE」+「回路」だが監督の新境地だと思う。

 叫び顔を正面からまともにとらえると、なぜかムンクの「叫び」に似てくるような気がした。

映画「サンキュー・スモーキング」

2007年02月13日 | 映画(サ行)
 タバコ業界の広報を行う「タバコ研究アカデミー」のPRマンをアーロン・エッカートが軽妙に演じている。クロをシロと言いくるめる弁論術がタバコ業界の命運を左右する様を描くブラック・コメディの体裁だが、主題は「親の子供に対する責任」である。

 給食費を払わない親がいると聞いてビックリ仰天、以前、武田鉄也の「金八先生」にも登場したエピソードだが、ドラマの話だと思っていた。
 そこでこの映画はまことに現代的なテーマを提示していることになる。息子役は「記憶の棘」でニコル・キッドマンを相手に微妙な役どころを演じたキャメロン・ブライトが好演。こんな息子がいたらいいなと思わせてくれる。

 豪華な配役に、洒落た脚本、映画の面白さがここにある。感動大作ばかりじゃつまらないしね。

 監督・脚本をこなしたジェイソン・ライトマンはこれがデビューだと言うから驚き。しかし「ゴースト・バスターズ」を撮ったアイヴァン・ライトマンの息子と知ってある意味納得だ。