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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「最後の初恋」

2008年10月07日 | 映画(サ行)
 ロミオとジュリエットの悲劇はわずか4日間の出来事で、そのスピードにこそ若さが宿っているのだと思っていた。

 本作は熟年カップルの大人の恋だが、旅行者リチャ-ド・ギアの海辺の宿への滞在期間4日間で燃え上がるのだ。その海辺の宿がとても凝った作りでセットなのか、実在するのか不思議なムードを持っている。

 主役の二人、ギアとダイアン・レインは「運命の女」で共演しており、このときは夫婦役。妻の危険な不倫が引き起こす事件の波紋を描いた。

 今回は一転してラブ・ロマンス。脇役もなかなかの顔ぶれが揃っているのだが、平板な出来事が平板に展開し、人物を魅力的に描くエピソードもない。

 このような作品をじっくり見せてくれるとハリウッドの底力を示すことができるのに、と思ってしまう。

映画 「ゾディアック」

2008年09月30日 | 映画(サ行)

 迷宮入りの連続殺人事件に関わった男たちを描く。

 「ゾディアック」とは結局なんだったのか?時代を巻き込んだ恐ろしく複雑怪奇なパズルのような現象であった、としか言いようが無い。

 ある結論に達するとそれが「真ではない」という結果が出てしまう。そしてまた振り出しに戻る。メディアに事件が登場することによって捜査する側も犯人側もメディアを利用しようとする。困ったことに事件には関係のない第3者もそれに悪乗りしてしまうのだ。

 したがって真犯人とそうでない人たちの共作による「ゾディアック」像がいつのまにか出来上がってしまう。多くの矛盾を含んだ犯人像がそうやって出来ていく。あるいは複数犯を単独犯と錯誤することから生じる矛盾なのかもしれない。

 事件に人生を狂わされた記者、刑事、そして最後まで喰らいついていた新聞社の風刺漫画家をじっくり描く作風は、これまでのフィンチャー作品とは趣が違うものの堪能できた。

映画 「幸せの1ページ」

2008年09月08日 | 映画(サ行)
 シリアス路線から一転、ジョディ・フォスターの珍しいファンタジー・コメディ作品。

 インディ・ジョーンズばりのヒーローが登場するアドベンチャー小説の作家役だ。それが作風とは正反対に潔癖症かつ外出恐怖症なのだ。

 その彼女が南海の孤島からのSOSをキャッチ、救出に向かう。・・・のだが、着いてからどうこうするというより、着くまでのプロセスに大半を裂いている。

 SOSの送信者である少女(アビゲイル・ブレスリン)は実際、とてもたくましく育っているし、ジョディが到着すると間もなく、ジョディの助力というわけでもなくすべてが解決してしまうので、どちらかというと行かなくても良かったのではないかと思えてしまう。

 島の孤独な生活をむしろ楽しんでいた父娘と、これまた孤独な作家の出会いを描いて、これがその物語の1ページ目だという、そのスタート点に立つまでの物語である。起承転結の「起」だけで終わってしまう印象だ。はたして2ページ以降の続編は無いと思うのだが?(あってももう行かないよ、私は。)

映画 「12人の怒れる男」

2008年09月02日 | 映画(サ行)

 ハリウッド・ミステリー風のスタイリッシュなタイトルから一変、本編が始まると叙情が漂い出す。最近珍しく味わいのある作品だ。間違いなくロシア映画だ、と懐かしささえ覚える。

 ラストの余韻までミハルコフ監督らしい文学的な資質が感じられる。

 リメイク作品だがオリジナルの室内劇から一転、舞台を現代ロシアに設定し、回想による生々しい戦闘シーンなどが挿入されて映画的興趣に富んでいる。

 日本にも導入される裁判員制度を考える上でも必見の作品だ。人を裁くという重みを裁判員が次第に理解していく、その過程が表決数の変化に出てくる。

 しかしロシアの社会情勢を考えた時に、たどり着いた評決がどういう意味を持つか、という一ひねりが効いている。

 人を裁く立場の人間には被告の人生を丸ごと受け入れるだけの覚悟が要求されることが分かる。果たしてその立場になったとき、自分に裁判員が務まるのだろうか?

映画 「スカイ・クロラ」

2008年08月06日 | 映画(サ行)

 芝居だったら作り物の背景の前でリアルな人間が演技する。ちょうどその逆なのだ。どこまでもリアルな立体感を持った背景に、2次元の平面的アニメキャラクターが登場する。

 この作画が物語の世界観を象徴している。主人公たちキルドレはけして死なないというが、実は何度でもリセット出来るという意味では逆に「何回でも死ぬ」運命を宿命付けられているのだ。
 その分、人の命は軽くなる。ゲームの中のキャラクターと存在感において変わるところはない。そこにリアルに存在する「モノ」と死ねば何度でもリセットされる人間の存在感を対比するとこの作画の意図が理解できる。

 はかなさ、切なさがリアルな戦闘シーンを舞台に描かれる感覚は、どこか新海誠の一連の作品に似通ったものが感じられた。

 クロラ=crawler はハイハイする赤ん坊の意味だ。

映画 「ザ・マジックアワー」

2008年07月29日 | 映画(サ行)

 三谷幸喜監督作品。第四作目にして最高の作品だと私は思います。

 書割のような、と言うかまさに映画のセットのような守加護(すかご)という町が舞台になっている。一応ギャング映画なのでシカゴを訛らせている。

 ボスのオフィスも、愛人が不倫を働くホテルも、その不倫相手の店も同じ街角で目と鼻の先にある。その狭い界隈で騙し合いが展開してバレナイはずないだろう、というリアリティ皆無さには目をつぶり、良質のコメディを大いに楽しんだ。

 舞台もそうだが映画も多くの裏方さんの職人的技術によって支えられており、その方達への監督のオマージュがしっかり描かれている。主要配役のみならずカメオ出演的な有名俳優の登場も楽しい。

 監督の映画愛が全開で、もうやめる訳にはいかないだろう。これからも舞台と映画の両輪態勢で観客を楽しませて欲しい。

映画 「潜水服は蝶の夢を見る」

2008年06月17日 | 映画(サ行)
 一人称の映画だ。主人公は突然の病に倒れ、全身が麻痺する。唯一自分の意志で動かせるのは左眼だけだ。その瞼の瞬きで綴られた物語。

 ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)という身動き不能状態を潜水服に例えている。脳の働きには以上が無いので、「記憶」と「想像力」がいかに人間の生命を支えるか、その記録となっている。

 病室で意識が戻るところから主人公の見たままの光景が映像となって映し出される。眩しかったり、ボケたり、目をつぶったりがそのまま映画の画面となる。
 右目も見えるが瞬きは出来ない。したがってそのままでは目が開きっぱなしとなるため縫い閉じようということになる。冒頭で、その針と糸による外科的処置が一人称により、すなわち瞼の内側から右目に見える光景として描かれる。

 コミュニケーションの唯一の手段が左眼の瞬きだ。医師が読み上げるアルファベット26文字の該当文字が発声された時に目を閉じて合図する。26文字の終わりの方だったらその間ずっと目を開けていないといけない。ただし読み方は頻出順なのでabc・・・の順ではない。

 それ以外ならモールス信号を瞬きで送ることも可能だろう。「ジョニーは戦場へ行った」では主人公が頭の動きによるモールス信号を思いつき、これが唯一のコミュニケーション手段となった。脳が正常であることは共通だが、ジョニーの場合は顔面がなかったのだから・・・。

映画 「シューテム・アップ」

2008年06月06日 | 映画(サ行)
 スタイリッシュにひたすら銃撃戦の美学を描きとおす作品だが、タッチは劇画調。

 ただ、主役級は豪華な布陣で、ストーリーも期待以上にしっかりした設定だ。

 ほとんど無敵の主人公に、赤ちゃんを守らせるという一つの制約事項を加えるとどうなるかという、シミュレーションゲームのようでもある。

 2003年公開のクリスチャン・ベイル主演「リベリオン」は、武道の型を銃撃スタイルに取り入れたガン・カタで近未来SFに仕立てたがこちらは少し趣が違う。

 大統領選に絡む銃規制の問題が事件の背後にある点などに現代的なリアルを感じさせるが、全体のトーンは劇画の非現実感が支配している。

 三つ巴のはずがいつのまにか二つの敵は一緒になっていたり、主人公の背景が今一はっきりしないなど、全体を86分にまとめた無理があるものの、ここは難しいことを言っていないで銃撃の爽快感を打ち出していこうという製作コンセプトは明快である。

 ただ、"Shoot'em Up"という原題をそのままカタカナ書きして理解できるほど日本人の英語力はないのではないだろうか?むしろ意味が分からないから良いのか?

映画 「最高の人生の見つけ方」

2008年06月03日 | 映画(サ行)
 原題は「THE BUCKET LIST」で、劇中では「棺おけリスト」と訳されている。死ぬまでにやっておきたいことをメモしたリストを意味する。

 モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンが、実に生き生きと楽しそうに演じている。人間には必ず死が訪れるが、それが現実のものとして迫ってきた時、この世が限りなく美しく輝きだす、その視点で綴られた物語なので風景も、エピソードも温かく美しい。

 海外の名所旧跡を訪れるほんの何秒かのシーンのために俳優も役者もそこまで行って撮影している。(まさかCGではないよね。)夕暮れ時など光の効果が最大限に生かされる時間帯に撮影しているので観光パンフレットにあるクッキリハッキリの明るい映像とは異なる深みのある景観を見ることが出来る。

 モーガン・フリーマンの語りから始まったが、先に天に召されるのは・・・というトリックも楽しめる。

 破かれたり何度も危機に陥るリストがその都度蘇り、新たな項目が加えられたり、実現してチェックを入れられたりする過程が面白い。

 ロブ・ライナー監督の語り口が快く、ちょっといい話に仕上がっている。多くの人に見てもらいたい。

 BUCKETはバケツなのだが「棺おけ」の意味があるのかどうか?

映画 「さよなら。いつかわかること」

2008年05月21日 | 映画(サ行)
 静かな語り口の作品。

 母親が軍人としてイラク戦線で戦っている一家の物語。夫を戦場に送っている妻の集まりに、この一家の場合は夫が出席している。

 妻の死を、たまたま自分だけが知ることとなった夫が、二人の娘たちにそのことを告げるまでの話だ。学校を休ませて娘たちの行きたいところに旅をする。その非日常の中で、何か変だという心の準備が娘たちにも出来てくる。その微妙な旅をロードムービーで見せていこうという趣向だ。

 家の留守電では、今でもその死んだ妻の声が相手にメッセージを求めてくる。夫は旅の途上で度々電話をしては妻に旅の報告を入れている。

 「そこまでの時間」を描くところに主眼があるためか、すべてを知っている観客にとってはそれがとても長い。映画らしいメリハリの利いたエピソードの積み重ねがなく、むしろ淡々と時間が流れていく。まじめな映画なのであまり文句を言いたくはないのだが。

 特筆すべきはクリント・イーストウッドが音楽スコア書いていることだろう。